リストカット、自殺未遂の心理
※これは、どうにか最後まで読んでほしいノートである。
こないだそんなことが書いてある本を見つけたような気がする。
ただ個人的にはそれは
当事者に語ってほしいと思う。
何もその感覚がわからない人が書いたところで、深層心理に迫ることが出来るとは思わないのだ。
そこで私が当事者の1人して書いていこうと思う。
どうかリストカットや自殺未遂を他人事にしてほしくない。
基本的に人は誰しも精神の弱さを持っていて
同じ環境に置かれたとしたら
あなたもリストカットや自殺未遂をしていたのではないかと思うのだ。
ただ非難したり避けたりするのではなく、
「なぜするのか。」
ここに着目してほしいと願う。
私は、
人によって差があるだろうが、
自分の軽視
これにつきるのでは。と思う。
苦しみの果てに
開き直るしかないと悟り、
それでもやはり気になって、頭がいっぱいで、
どうにもならない事実に嫌気がさして、
もうこんな自分どうにでもなれーー!と言った感じである。
基本的に
どん底の精神状態では自殺未遂や自傷はしないと思う。
どん底の精神状態では
自分への悲観で頭がいっぱいで
そんなことを考える隙間はない。
どん底から開きなおった状態、
悲観の果てに何かいい方法がないかとか、
少し環境が良くなってきて悲観以外のことを考える余裕がでてきたとか、
そんな状態の時にぽっくり死んでしまったり、
自殺未遂をしたり、
リストカットをしたりする。
よく韓国のアイドルや、芸能人は
最近元気であったのになぜか自殺してしまったというのはこういう心理ではないかと思う。
また注意したいのが、
リストカットと自殺未遂では真意が違う。
リストカットも自殺未遂もしんどい時にやるのは同じであるが、
リストカットは生きるためにやる場合が殆どであったりする。
本当に死にたい心理の時に
リストカットをしたところで死にきれないのはわかりきった話だ。
リストカットをどんなに深くしても
それなら飛び降りか、焼身か、
確実に死ぬ方法を考える方が合理的だ。
死のうとして無駄に生きてしまったら災難だ。
障害が残るかもしれない。
自分を傷めることで
生きる自分を奮い立たせる。
この感覚はあまりわからないかもしれないが、
頑張る時に
腕をつねったり、
スポーツ選手が試合の前に自分の頬を叩きながら入場してきたり
そんなものではないかと思ったりもする。
最後に言いたいのは
今、死について考えているならば
環境を変えてほしい。
死について考える時は
大抵視野が狭くなっている。
この置かれた状況が全てだと考えがちであるが、
実際のところ何か1つがうまくいかなくても、
それ以外の方法をみつけたら
うまくいく時もある。
その為にも環境を変えるのも1つの手だと伝えたい。
そして、自殺未遂や自傷で困っている当事者の周りの方にも
そのサポートをお願いしたい。
そんな思いで書いてみたノートである。
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