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#77. おれたちソーシャル・モンキーは


最近こんな本を読んでいる。

インターネットが登場してから、政治家や作家、専門家だけでなく、一般人でも、なにかを書いて大衆の目に触れさせることが可能になった。

いままでならば、編集の手がさまざま入ってから読まれていた「書き言葉」も、ネット上では多くの人が、他人の編集を介することなく、各々が自分の思ったことを、思ったように吐き出している。

この note もある種、そういった恩恵のひとつの形と言えるだろう。

むかしながらの個人サイトやブログ記事だけに限らず、最近の Facebook や Twitter、そして Instagram などの SNS では、とりわけ若者世代が使う言葉の多様性や革新性が際立っている。

(以前、若者の使う英語の略語を紹介した記事)

「!」を連打したり、絵文字を随所に挟んだり、「 お 前 が 言 う な 」とスペースを空けて強調したり ...... ネットやスマホの登場以降発明された言葉の「小技」は、日本語においても枚挙に暇がない。

この本では、ぼくたちが一見自由奔放に操っているかのようなネットの(英語における)言葉づかいにも、実はいくつかの法則があるのだということが説明される。

「本当に法則なんて存在するのか」と思う人も多いだろうが、著者の McCulloch がそういった「ランダムの中に潜むパターン」の例として初めに挙げている keysmash の事例がとても面白い。

keysmash とは、(下の画像のような)キーボードをランダムにタイプすることで感情が昂ぶっていることを示す煩雑な文字列である。

画像1

日本語でも「dぬいwqdぐyqgwd」のような文字の並びを見かけたことのある人はきっと多いだろう。

しかし、この極めてランダムにタイプされたかのような keysmash ですら、完全に乱雑というわけではないようだ。

A typical keysmash might look like "asdljklgafdljk" or "asdfkfjas;dfl"—quite distinct from, say, a cat walking across the keyboard, which might look like "tfgggggggggggggggggggsxdzzzzzzzz."
典型的な keysmash はおそらく「asdljklgafdljk」とか「asdfkfjas;dfl」のようなものであり、これはたとえばネコがキーボードの上を歩いたときにできる「tfgggggggggggggggggggsxdzzzzzzzz」のようなものとはハッキリと異なっている。

たしかに、例として出された keysmash はどちらもどこか見覚えがある。見覚えがあるということは、これと似たようなものを何度も目にしているということだろう。

さらに、つづけて McCulloch は、この keysmash の裏にある法則を 6 つ、具体的に挙げている:

(1) Almost always begins with "a."
ほとんどどれも「a」で始まる。
(2) Often begins with "asdf."
たいてい最初の並びは「asdf」。
(3) Other common subsequent characters are g, h, j, k, l, and ;, but less often in that order, and often alternating or repeating within this second group.
その他よく見られる文字は g, h, j, k, l, そして ; だが、この順番で現れるわけではなく、たいていの場合はこれらの文字が交互に使われたり繰り返されたりする。
(4) Frequently occurring characters are the "home row" of keys that the fingers are on in rest position, suggesting that keysmashers are also touch typists.
頻繁に現れるのは、キーボード上で指を置くホームポジションにある文字であり、これは keysmash をする人はブラインドタッチをしているということを示唆している。
(5) If any characters appear beyond the middle row, top-row characters (qwe . . .) are more common than bottom-row characters (zxc . . .).
キーボード中段の列以外から文字が現れるとすれば、下段の文字( zxc など)よりも上段の文字( qwe など)がより一般的。
(6) Generally either all lowercase or all caps, and rarely contains numbers.
だいたい、すべて小文字かすべて大文字のどちらかで、数字が含まれることは稀。

結局のところ、多くの人が使っているこのキーボードの文字の並びにしたがって、打ちやすい文字がタイプされているということだろう。

だがそれだけではない。

McCulloch によれば、このようにして叩き出された keysmash は、われわれが他者に対して抱いている "social expectation" (社会的期待) によって強化されている部分があるという。

I conducted an informal survey, asking if people retype their keysmash if it doesn't look, er, smashing enough.
わたしは非公式の調査で、自分の打った keysmash が、なんというか、十分に smash らしくなかったとき、それを後から打ち直すかを尋ねてみた。
I found that the majority of people will delete and remash if they don't like what it looks like, plus a significant minority who will adjust a few letters.
すると、打った keysmash が気に入らない場合、それを削除して打ち直すという人が多数派だったばかりか、無視できないほどの数の人が、2, 3 個の文字を調節しているということがわかった。

ランダムで煩雑であることが肝であるかのような keysmash を、打った後わざわざ打ち直し調節までしているというのは可笑しな話だ。

It's that even when we're not trying to make patterns, when we think we're just a billion monkeys mashing incoherently on a billion keyboards, we're social monkeys—we can't help but notice each other and respond to each other.
つまり、とくべつパターンを作ろうとしていなくても、自分たちのことをただ 10 億のキーボード上で無秩序にボタンを連打している 10 億匹のサルだと思っていても、結局のところわれわれは社会的サルなのであり、お互いの存在を認識し、お互いに向けて反応せざるを得ないのである。
Even when something looks incoherent for an outsider, even when it's intended as incoherent for an insider, we as humans are still practically incapable of doing things without patterns.
たとえ外部の者にとっては無秩序に見える場合でも、そして内部の者にも無秩序であるよう仕込まれた場合においてすら、われわれ人間はやはり物事をなんの法則もなしにやってのけるのは事実上不可能なようである。

一見自由な言葉づかいにおいてすら、周りが自分に期待することを考え、それに合わせたものにしてしまうというのは、

「好きに発言していいよ」とか、「形式は自由です」、「服装は問いません」などと言われても、いちいち正解があるような気がしてネットで検索を繰り返してしまうぼくら日本人としてはとくに身に覚えのあることだろう。

ブログの最後も、自由に締めくくればいいものを、いまこの瞬間も多くの人にウケるようなオチを考えてしまう自分がいる。

ネット世界の言葉づかいも完全に自由なわけではない。ぼくたちは結局どこまで行っても、ただのソーシャル・モンキーなのだ。


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