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【小説】可愛い女(可愛がられるために自分をなくす話)

 就職するにあたって、本物の陶器肌ファンデというものを買った。

 肌を陶器のように滑らかに見せる化粧品は他にも多くあるが、このファンデーションの特徴は化粧をしていない時にあった。このファンデーションを使い続けると、徐々に肌質が変わっていき、すっぴんでも陶器肌をキープできるというのだ。

 入社式までの二週間、本物の陶器肌ファンデを毎日付け続けた。売り文句に嘘はなく、入社前日の洗顔後は鏡に顔を寄せて注視しても、つるつると均質な肌に毛穴の一つも見つけることはできなかった。

 肌は完璧。髪型も可愛く見えるよう研究した。流行のファッションも勉強して一式揃えた。バイトで貯めたお金はほとんど消えてしまったが、これまでの垢抜けない私を捨てて新しい私になれるなら安いものだ。

 以前の私のことを思い出すと、みぞおちで巨大なミミズがぬるりと動くような不快感があった。コンビニで買った、不安感や苛立ちを軽減するというビタミン剤のようなタブレットを、口に放り込んで噛み砕いた。

 大丈夫。私は可愛い女になるのだ。

 その夜は全身脱毛した体にもファンデを塗って寝た。



 仕事はそれなりに覚えたが、女性社員からは何となく距離を置かれていた。

 嫉妬されているのかもしれない。私が若くて、可愛くて、男性社員に大切にされているから。

 それでも私は誰にでも分け隔てなく笑顔で接していた。というより、微笑のまま顔が固定されていた。陶器肌ファンデのせいか、肌が本物の陶器のように硬くなりつつあるようだった。でも頑張って笑顔を作らなくて済むからむしろ有り難かった。

 ファンデは全身に塗っていたので、体も少し動きづらくなり、たまに転んだり物を落としたりするようになった。男性社員は優しく手助けしてくれた。女は少し不出来で馬鹿なほうが可愛がられるのだ。

 女性社員からの冷ややかな視線を浴びて、お腹のミミズが動く。注意書きも見ずにタブレットを飲み下す。

 私はちゃんと女をやろうとしているだけ。男の期待に応えたいだけ。何も間違っていない。



 飲み会は断らない。ずっと笑顔で、話を聞いて、褒めてあげる。私は人間ではなく花として呼ばれている。だから花としての役割を全うする。

 質問には模範回答を返す。若くて可愛い女に期待される答えを。何が好きか。何がしたいか。今、楽しんでいるか。

 さり気ない風を装って隣に座った男の先輩が身体を寄せてきて、耳元に囁いた。

「この後さ、二人で……、どう?」

 空気を通して伝わる体温。分解されたアルコールを含んだ口臭。肌の毛穴と脂。スカートの上を這う指。

 私は求められている。評価されている。私はきっと嬉しいのだ。嬉しいはずだ。女としての私に男が高い価値を付けたのだから。

 腹の中のミミズはもう動かない。



 近場のホテルで事を済ませた先輩は、陶器のような私の裸体を眺めて薄笑いを浮かべた。

「君って面白くない女だよね。お人形みたいに可愛くて従順で、それだけ。こうも簡単に征服できちゃ、落とす楽しみってもんがないよ」

 私は耕される大地に徹していてはいけなかったらしい。嫌がってみせたほうが男が喜ぶのなら、次はそうしよう。そうしてもっと完璧な可愛い女になれたなら。今度こそ、きっと、愛してもらえる。

 ベッドから起き上がろうとして、少しバランスを崩した。

 胸の中で干からびた心臓がカランと音を立てた。

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