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【小説】望郷の形(6)

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 宿に滞在していたのは私だけではなかった。隣の部屋にいたのは蓑虫状の衣服を身に付けたナチャだ。

「電波無いんすよここ。もちろんWi-Fiも。そもそも電気もネット回線も島に引かれてなくて、薪と自家発電で生活してるんだとか。信じられます?」

 夜になるとナチャは私の部屋に入り浸り、私が寝ると言うまで取り留めもなく喋っていた。初日の夜に訪ねてきた彼をほとんど気に留めもせず部屋に上げて好きにさせていたら、翌日からも当然のように来るようになったのだ。それは夏の夕立のようなもので、勝手にやって来ては雨音を響かせて通り過ぎていくのだった。

「ここの連中のこと、どう思ってます? 変わってるでしょ」

 お喋りの中でたまに挟まる質問に私は白い欠片を撫でていた手を止める。

「君のほうが変わってる。この島では」

 乾いた枝がぶつかり合って虚ろに震えた。

「そう……っすかね。ここに来て日が浅いからかな。でも、だったら、ヒサキさんも同じでしょう。俺と同じ、変わり者仲間だ」

 そうではない。そういうことではない。でもどういうことか上手く説明できないので黙っている。

「この島はそうやってできてる。どこにも属せないおかしな奴らが、どこにも属せない者同士で集まって。一人ひとりがそれぞれ一国の主だっていうのは、まさにそういうことなんすよ。お互いに違い過ぎる。でも寂しいから寄り集まってる。わかり合えっこないのに」

「周りに人間しかいない中に一人だけ紛れ込むよりはマシだろうけど」

 みんな一緒であることを良しとする人間たち。共感で確かめ合う同質性。同じ容姿、同じ感性、同じ信念。違うと知れれば見えない壁が築かれる。透明な壁に四方を囲まれ身動きできなくなる。

「誰だってそうじゃないっすか。人間同士が完全にわかり合うなんてあり得ない。それでもわかったような顔して、同じこと考えてる振りして、横目で隣の人を盗み見ながらみんなの真似して歩いてくんだ。みんなそうやって生きてるじゃないすか。歩調を合わせる努力を放棄するのは、ただの我がままだ」

 彼はそうして耐えてきたのだろう。耐え続けている人もこの島の外に大勢いるのだろう。

「合わせられないこともある」

 その違いが自分の根本であるのなら。自分を自分でなくしてまでも同じ振りをするのなら、その生き様は家畜以下だ。空気に魂を売り渡した産業機械だ。彫刻に出会う前の私はそうだった。

「合わせてみようともしない臆病者がこんな僻地に引き篭もってるんでしょ。城下町の連中はまだマシだ。曲がりなりに外の人間と話ができる。でも城の奴らは——いや、俺も見たことは無いっすけど。ヒサキさんみたいな来賓はもちろん、外部の人間は身内すら会わせてもらえないらしいっす」

「人間には受け入れられないような生き方をしていると?」

「たぶん」

 前髪のようにぶら下がる幾本もの枯れ枝に隠された表情を窺い知ることはできない。きっとこの島に相応しくない顔をしている。まるで人間のような。

「そろそろ」

 寝るにはまだ早かった。耐えられなかっただけだ。私は。

「そうっすね。……おやすみなさい」

 ナチャは素直に立ち上がった。木々の欠片の群舞で蓑虫の衣装が騒ぐ。

 廊下を遠ざかる枝のざわめきは、耳の底でどこまでも遠くなりながら消えることは無い。甘えるなと鳴っている。聖域なんて陳腐な幻想だと鳴っている。人間に戻れと鳴っている。魂を殺す音が。

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