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【小説】望郷の形(7)
眠れない闇が重くて、夜明け前に抜け出した。
人工の灯りを持たない島では、沈みかけの満月が色の無い世界を司っている。夜に生きる島民たちは蒼い陰影を纏って佇み、月に追われて走る私を物珍しそうに眺める。
正体の見えない焦燥に突き動かされていた。
ここのところ無縁だった感覚だ。
数年前までは日々の通奏低音だった。
ナイフを背中に押し付けられながら走っているような。
立ち止まったら終わりだと。
振り向いてしまえば喰われると。
影に追われていたのだ。
浴びた視線が凝って私から滴り落ちた影に。
その影は魂を殺す。魂の凹凸を削り落として均質なのっぺらぼうにしてしまう。
だから人を避け、視線を避けて、死んだ神木の魂に潜り、影を薄くしてきたのに。
こんなところまで来てまた捕まるなんて。
海に出た。
黒い、うねうねとした、水の塊。極度に不安定で、だからこそ安定している。変化を前提とした恒常性。目まぐるしい誕生と闘争と死。おぞましく美しい営み。
だから水は嫌だというのに。
「かたち」
声が、どこからともなく生まれてくる水のさざめきに混じった。私の立っている岩場のすぐ先、小さな波頭の合間に人の形が浮いている。
「しってた。きみ」
水面に映る月影のように白い身体が、呼吸に合わせてかすかに浮き沈みを繰り返している。海に溶けようとしつつ海からはじき出されているワタさんは、限りなく水に似ているのに怖くない。彼はただそこに存在している。他者の視線を無効化する、ただそこに存在するということの厳かさを身をもって示している。
「ぼくの」
ワタさんは伝えようとしていた。私に必要な何かを。その何かを上手く受け取れないことがもどかしかった。
「すぎの」
杉。あの神木のことだろうか。王国の誰かが私の個展を見て招待状を送ってきたことはほぼ確実だ。ワタさんもあの形を見てくれたのだろうか。一体何を感じたのだろうか。
「私は……知っていたわけでは……」
あの神木から彫り出された魂は、どれも鳥のような形をしていた。不定形の羽のような突起をゆらめかせ、開き、縮み、捩れ、緩む、その一瞬一瞬が一連の彫刻となった。私が彫ったのは、流氷の下のクリオネにも似た、どこか遠い星の一個の生命体の躍動を映した映画のコマのようなものだった。被写体は木材の内にあった。私はそれを映しただけ。被写体がどんな表情をしているのかは、映してみるまでわからなかった。ノミを入れる瞬間まで。
ワタさんは唇を閉ざして霞み始めた星空を見上げている。水平線がオレンジ色に輝いている。
「ありがとう」
私は踵を返し、大地の形を確かめるように宿へ向かって歩き出した。やるべきことはもう思い出していた。
部屋の机に向かい、一番小さな骨の欠片に彫刻刀を当てた。彫り出すべき形は相変わらず見えてこない。親指に力を籠める。ごりりと硬い感触とともに、微量の白い削り屑が天板に落ちる。
削り過ぎた感覚は無い。なのに削り屑も無駄な部分とは感じられない。机に落ちた粉と、傷の付いた塊が、同じ密度の生命を持って存在している。こんなことは初めてだ。どう彫っていけばいいのか見当も付かない。それでも手を動かす。刃が私を導いてくれる。
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