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恋する人がマイノリティの世界

 もしも100人のうち99人が恋を知らない世界だったら。

 恋を知るただ1人は確実に「病気」だっただろう。

 動機や火照りなどの身体症状。不眠。異常な執着と集中力の低下。正常な判断力の喪失。当事者ですら「恋の病」と表現する現象が、非当事者の目に病気と映らないわけがないのだ。

 きっと精神科病院に連れて行かれ、時代が時代なら入院させられて、「治療」と称して無意味に心を踏みにじられたことだろう。不治の病と絶望しただろう。

 そういう世界線よりは現実のほうがマシと言えるかもしれない。恋のない人が理解されているとは言えないが、苛烈な排除と迫害を受ける可能性は低いから。

 恋をする人が少数派の世界線が現実であった可能性が全くないとは思わない。

 繁殖期の獣の狂ったような情熱が恋の起源であったなら、それは若い獣同士の出会いと生殖を促したはずだ。逆に言えば、恋を経ずに繁殖できるシステムが進化的に確立されていたなら、恋という本能が自然消滅していてもおかしくない。少数派の中に細々と生き延びた恋は、動物的な劣った性質として差別されていたかもしれない。

 恋を繁殖と結び付けると「子孫を残せる男女の恋愛こそが正しい」と解釈する人もいそうなので持論を述べておくと、そもそも正しいとか正しくないとかいう発想がナンセンスである。

 進化の歴史のどこかの時点でたまたま他の個体に夢中になって我を忘れるような個体が生まれ、それがたまたま繁殖に有利に働いた。媚薬的な効果を持つ植物に恋をたとえるなら、その植物が人間に効果を発揮する成分を含んでいるのは単に偶然で、別に人間のためにそうデザインされたわけではない。何なら勝手にもてはやされ消費されて迷惑かもしれない。

 それでもやっぱり実効性のある男女の恋愛が正常だと考えるなら、人がなぜ有性生殖をするのか思い出そう。「正常な」個体だけを増やしたいなら、「正常な」個体の遺伝子をそのままコピーすればいい。わざわざ遺伝子を混ぜ合わせ、今までどこにも存在していなかった「異常な」個体を生み出すことで人類は生き延びてきた。各種のバリエーションを用意しておいて、環境が変わってもどれか1つは生き残れるように。

 「普通」に固執し均質化を目指すほうが、むしろ人間の生き物としての在り方に反している。

 適者生存。その法則は確かにあるだろう。

 だが誰が「適者」か決めるのは断じて人間ではない。自然界である。

 自然が選ぶ生存者は、人間たちの理想とは遠くかけ離れた姿をしているかもしれない。

 勝手に標準を決めて、そこから外れたものを自ら排除するのは、単純に自滅である。

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