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親への気持ちの区切り(暫定)

 親に対する気持ちに一旦の決着が付いた気がするので書き留めておく。

 母親への今の気持ちを一言で言えば、「普通に人として嫌いだな」というところだ。恨んでいるとか、許すとか許さないとか、そういうのはもうあまり重要ではなくて、ただただ性格が合わない。

 少し前まではやっぱり親への期待を捨てきれず、親への怒りを抱えていた。けれど最近になって、親は私の求めているものを悪意で与えてくれないのではなく、そもそも与える能力がないのだろうと思うようになった。

 そうして諦めがついて、過去のことで責める気持ちは薄れて、じゃあ仲良くできるかというとそうではなくて、純粋に付き合いきれねぇわという気持ちが残った。悪気がなければ何を言っても良いわけではないし、相手が悪くないのなら全てこちらが我慢しなければいけないというものでもない。

 親の何が嫌なのかというと、まず前提として、母は「あなたの意見は私のとは違うけど、そういう考え方もあるよね」という捉え方はできない。「私とあなたの意見が違うならあなたの意見が間違っている」というのが基本スタンスである(少なくとも家庭内では)。あと人の話を聞かずに途中で遮って自分の思うことを話し続けてしまう。

 そして彼女の意見というのが非常に差別的なのだ。詳細は省くが、性別役割分担とか、ルッキズムとか、学歴差別とか、収入による差別とか、セクシャルマイノリティの差別とか、かなり幅広い差別意識を網羅している。差別意識の見本市みたいなものなので、自分のように小説やら何やら書いている人間にとっては便利といえば便利なのかもしれない。おかしいとかクズとか気持ち悪いとか気軽に口にするのも無邪気なものである。軽蔑はするが変わってほしいとは思わない。なんかもうどうでもいい。

 そもそも母は精神が幼いのだと思う。呆れを通り越してちょっと面白くなってしまったエピソードを紹介しよう。

 ここ一年以内の話だが、母の職場で工作のような手芸のようなものをすることになり、キットを持ち帰ってきた。で、「下手だと恥ずかしいから代わりに作って」と甘えてきたのだ(私のほうが多少器用だがそんなに変わらないと思う)。夏休みの工作を親に作ってもらう小学生か? とは言わず、「嫌だけど?? 自分で作りなよ」と断っておいた。

 もう一つは私が小学生くらいの時の話。母の父(私の祖父)は会社経営者だったのだが、母が私に「あんたは庶民の子でかわいそー(笑)」とマウントを取ってきたことがある。子供ながらに「な~に言ってんだこいつ」と思った覚えがある。裕福イコール幸福というのは間違いとまでは言えなくても短絡的過ぎるし、父は会社員としてはかなり高給取りだったし、そもそもその「可哀想な庶民の子」とやらになったのはあなたがサラリーマンと結婚したせいなんだが?? ちなみに父母は離婚したし、会社は祖父の死後に倒産したし、その割にはお金に苦労せずに生きてこられて幸運に恵まれていたと思っている。

 こういうちょっとした話を聞いて一緒に笑い飛ばしてくれるような誰かがいたら、思春期の自分はそれほど悶々とせずに済んだのかもしれない。家庭内の出来事を話すと母が不機嫌になるので言えなかったが。一番嫌だったのはそういう密室性だったのかもしれない。

 今はこうして思っていることを吐き出す場所があるので、ときどき愚痴りつつしばらくは上手くやっていけそうな気がしている。

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