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「男嫌いのトランス男性」だったのかもしれない疑惑

 ここ数年は自分の性自認を男女どちらでもない「Xジェンダー」と位置付けてきたが、実は内面は男性に近いのに「男であること」から逃げていたのかもしれないと思い始めた。

 きっかけはX(Twitter)のスペースだった。

 タイトルの通りノンバイナリーのお二人がおしゃべりをするスペースなのだが、今回は「子供の頃、ジェンダー的に影響を受けたキャラクター」について話されていた。魅力的だったキャラ、共感していたキャラとして既存の男性/女性の枠に収まりきらない人物が挙げられる中、自身が好きだったキャラについて思い返して「おや?」と思った。

 自分を重ねていたのはだいたいシスジェンダー男性キャラに対してだったような……。

 「男性でありながら女性的属性を強制的に背負わされる」というモチーフに妙に執着があるな……。

 そういうキャラを主人公にした小説まで複数書いちゃってるな(しかも一人称視点で)……。

 そう考えていくと他にもちょこちょこ思い当たる節があり、もしかして自分のこと男だと思ってる?と疑念を抱くに至ったのだった。

 では性自認が男性に近いと仮定して、なぜ今まで「男性でも女性でもない」と思っていたのか?

 恐らく男性という存在に対して根深い嫌悪感を持ってしまっているせいである。

 人が生まれて最初に接する男性は父親である場合が多く、その場合は男性とはどのようなものかというイメージを子供が形作っていく上で父親は大きな影響を与えるだろう。

 我が家は父親が仕事で忙しくあまり家にいなかった。土日も接待ゴルフで出かけていたし、家にいる時はテレビゲームをしていた。正直なところ「週末になると家に来るよくわからないおじさん」くらいに思っていた。まともに話し合ったことなどないし、未だに彼の人柄があまりつかめていない。

 一人っ子なので家庭は(犬を除けば)母と二人きりの密室だった。母は父に対して不満を抱いていて、ご機嫌を損ねれば母は私を「父親に似て自己中」と罵り、嫌味を言い、ヒステリーを起こして泣き喚いた。

 私は母の味方でいなければならなかった。母を敵に回せばどこにも居場所はなくなり、幼い子供は生きていけなくなる。男になるということは母を裏切って父の側につくことである。「女の子が欲しかった」「男の子の母親になんかなりたくない」と言う母の手前、娘を演じるしかなかった。トランス男性の幼少期の話として、自分に男性器が付いていないのが不思議だったとか、そのうち生えてくると思っていたとか語られることが多いが、私は「ちんちんが生えてきたらどうしよう」と恐怖していた。

 そうして父親への嫌悪感と女でいなければならない義務感を刷り込まれた上で、中学生で何度か痴漢に遭うなどして男(の性欲)に対する恐怖と憎悪を持つに至る。

 私には男性にも女性にも属せない感覚があるが、その感覚には違いがある。女性に対しては「仲間に入れてもらって申し訳ない」と感じる。学校のグループワークで一人あぶれた時、あまり話したこともないグループに誘ってもらったような感じである。それに対して男性には「お前らと一緒にするな」と思ってしまっている節がある。

 決して個々の男性が嫌いなわけではない。子供の頃は男の子とばかり遊んでいたし、長じてからも男友達と話すほうが気楽で楽しいと思うこともあった。しかし男性全体としての傾向、つまり男らしさというもの、あるいは男性であることの社会的特権のようなものに対してはどうにも嫌悪感が抑えられない。

 この嫌悪感の背景には社会構造的な課題もあると感じるものの、やっぱり私個人の課題でもあると思う。

 今まで時間をかけて母に対するわだかまりと向き合い、自分の中の女性性や女性的身体とそれなりに和解してきた。今度は父に対する気持ちを整理し、自分の男性性を受け入れていく段階が訪れたということなのだろう。

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