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ただの日記(20240519)

 傷ついたときに傷ついていないふりをしなくていいし、怒っているときに怒っていないふりをしなくていいという、人によっては考えるまでもないこと。

 今からでも身につけていきたいと思う。

 傷ついたとき、あからさまに傷ついた顔をしたら、それは相手を責めているのと変わらない。相手が僕を傷つけたという事実を当人に知らしめ、罪悪感を抱かせる。相手を罪人に仕立て上げることになる。

 だから僕は傷ついたことを相手になるべく気取られないようにしていた。そうして相手を罪から守っていた。幼いながらに母親を守るため一人で抱え込んだ。母親が僕のために一生懸命やってくれたことで傷つく僕が悪いのだから。

 僕は大人のふりをし過ぎていたのかもしれない。母親の庇護者になって彼女を許し、見守り、喜びにも悲しみにも共感を示し、慰め導き、彼女が心地良く過ごせるように心を砕いた。

 対等な人と人であれば、相手を傷つけた責任は負うべきだと思う。僕が一方的に責任を取り上げて甘やかすのはどこか歪んでいる。

 人間関係は相互作用だから、傷つきも怒りも双方に原因がある。僕が僕だけに原因を負わせるのは違う。相手は何も気づかず居心地が良いかもしれないが、僕自身は疲弊していく。

 僕は僕を傷つけた人に責任を返す。そのために、傷ついたのだと知ってもらっていい。もう隠さなくていい。感情を周りに知られることに、何の問題もないのだ。

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