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『そうだ、ミニマリストになろう。Day-40: ミニマリズムとマインドフルネスの関係』

おしゃれが楽しくてしょうがない若いころはともかくも、大人になって十年、二十年と年数を重ねていくと、服装が適当になっていく。あるあるじゃないでしょうか。その一番の理由は「忙しすぎる」からじゃなかろーか、と思います。

家族ができて家事や育児に時間を取られたり、あるいは仕事の責任が増えて面倒を見なければならない事態や部下が増えたり。すると、だんだん自分の中の「自分優先度」がじりじり下がっていっちゃうんですよね。

服を買いに行く時間がなくなったり、運動不足で太ってしまったり。するとおしゃれへのモチベーションも下がってしまう。自分自身の扱いが雑になる。

その一方で中年でもおしゃれな方がいる。私はこういう人たちを見ると「自分のことが好きなんだろうな」とうらやましく思います。ナルシズムという意味ではなくて、欠点含めて自分自身を受け入れ、許している。自分を受け入れているから、自分を大切にできるし、だから服装はじめ身の回りのことをないがしろにしないのだろう、と。

逆を言えば、服がよれよれな人からは「服同様、私は注意を払う価値のない人間なのです」と言うメッセージが出されている気がする。

実は私も子供を産んで以降、かなり長い間そんな状態でした。「自分自身?それどころじゃないんだよー(汗)」と思って、毎日必死に育児と仕事をしていました。すごくすごく頑張っていたにも関わらず、よれよれ・ぼさぼさで生きている自分のことが嫌でした。

だんだん子供の手が離れていき、自分の時間を持てるようになって、すこしずつ気持ちの余裕も出ては来ましたが、おしゃれにはまだまだ程遠い。ブランク期間も長すぎでしたし。

だから「おしゃれしたい」と思っても何から手を付ければいいのかわからず、途方に暮れました。が、ただミニマリストになることで身の回りのものを整えることが楽になるんだな、とそこに思いもかけず希望を見出しました。

それほど好きじゃない服、汚れたり破れたりした服、体形にあっていない服を手放すことで、「丁寧に着られる服」だけが残っていく。数が少なくなれば、コーディネートに迷うことも少なくなり、「これがベストの組み合わせ」となるものがはっきりする。ミニマリストになることで、おしゃれに気を配りやすくなっていくわけですね。

「丁寧に着る」ことはすなわち「マインドフルネス」になること。

対象物が少なくなればなるほど、厳選すればするほど、気(マインド)を配りやすくなる。丁寧な衣、丁寧な食、丁寧な住となっていくわけです。

「丁寧に装っている人」からは「自分を丁寧に扱っています」オーラがでてくる。丁寧に生きている人は「自分を丁寧に扱うだけの価値が私にはあるのです」という雰囲気が漂う。食も住ももちろん大切ですが、衣が一番わかりやすい。

ミニマリズムとはマインドフルネスの実践だと言われますが、実際こうやってモノを厳選することで、やがては、私も自分自身を受け入れ、許し、少しずつ「自分は丁寧に扱うだけの価値がある人間なのだ」と心底思えるようになればいいなぁと願っています。

自分を素のまま受け入れることが難しかった結果、服装に無頓着となった人も、その流れを逆にして、まずはモノを減らして無理やりモノに気を配るように持っていき、結果服装にも気を配るようになり、やがては自分を受け入れられるようになることは、おもいっきり可能ですしね!(というか、何の努力もなしに今日から突然「私は自分が大好きだ」となるほうがよっぽど難しい。)

ありのままの自分を受け入れることなく幸福にはなれない。だからモノを減らすことがそこへの第一歩になれればな、と願っています。


Day-40: kids' clothes, yoga belt, yoga book, linen

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