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『そうだ、ミニマリストになろう。Day-35: ミニマリズムは初めから予定されていた段階だったとしたら?』

ミニマリズムには、捨てることへの罪悪感、それから消費活動から遠ざかることへの批判が付きまといがち。

捨てずに寄付する・転売サイトで売るという手法が取れればモノが循環するので良いですが、引き取ってもらえなかったり、手続きが面倒くさくて挫折したり、売れなかったりすると、捨てざるを得なくなりますね。また、多くの人がモノを買わなくなったら経済が成長せずに停滞やがては破綻するという指摘もあります。

これ、社会的に見てどうなんだろう?と悩む人いるんじゃないかしら。

でも、でも、子供が大人になるように、経済はすでに成熟してしまってこれ以上成長しない段階にたどり着いていたとしたらどうだろう?

ミニマリズムは、資本主義に反旗を翻す行為ではなくて、もともと資本主義で予定されていたコースをたどっているだけじゃない?

そんなことを考えたのは、山口周著「ビジネスの未来ーエコノミーにヒューマニティを取り戻す」を読んだから。

目からうろこがはらりと落ちた第一章には、「ビジネスはその歴史的使命をすでに終えている」つまり「経済とテクノロジーの力によって物質的貧困を社会からなくす」目標はすでに達成できた。だから経済成長(GDP)は止まって当然。そもそもそうなるように仕組まれていたのだ(予定通り)ということが書かれています。

人類の歴史において・・・というと話が壮大になっちゃうので戦後の話をしますが、日本は敗戦後のモノがない時期から必死に働き、物質的な豊かさを追求してきました。テレビ・洗濯機・冷蔵庫を手に入れんと頑張り、それが終われば次は・・・なんでしょう。たくさんありすぎて思いつきませんが、とにかくいろんなモノを頑張って製造し、みんなで購入してきたわけですね。

結果、もうこれ以上欲しいモノはあんまりないなぁというぐらいモノは日本の家庭に行きわたったわけです。

実際、Japan as number oneと言われ経済繁栄を謳歌していた80年代よりも今の方が物質的に豊かとなり「総じて幸福である」と感じる人たちが増えたというデータが引用されてました。

(この本にはあまり触れられていませんが、格差や相対的貧困はもちろんあるものの、生きていくためのツールとしてのモノが家にないというわけではないように思います。)

つまり、

物質的豊かさという双六では私たちは「上がり」

なわけです。「わーい、目標達成!」と祝えばいいのに、それをせずやってきて当然の経済の成熟期=停滞期を嘆いている矛盾した状態が今である、というのが山口氏のご意見。成人するのを目標に頑張ってきて、いざ成人式を迎えたのに祝えず嘆いちゃってる状態。

なるほどねぇ~と思います。納得がいく。正直、心底これが欲しい!と思えるモノが私にはほとんどないのです。あったとしても、それは今あるモノのアップグレード版ぐらい。つまり、

生きていく上で必要なものはすべて家にある。

ほんと全部あるんです。改めて考えてみるとコレすごい。みなさんはどうですか?結局、

物質的幸福はもう達成しちゃってるんです。
経済成長を目指して頑張るのは、もはやアナタの幸福を増やしませんよ。

ってことですね。

年末にいろんな業種に従事している複数の方々とオンライン忘年会でお話したのですが、「コロナにより今年は仕事量を減らした(OR離職した)。だから収入も減ったけど、逆に幸福度が増した」と、みなさんが口をそろえていたのが、すごく印象的でした。

あーそうか、と思ったんですよね。

ミニマリズムって資本主義の理屈からいっても、実は「正しい」行為だったんじゃないか、発展の過程として「起きて当然」のことだったんだな、と思えました。

経済がもう成熟してしまった今、モノから遠ざかり、次の「モノではない別の何か(自由時間とか移動の身軽さ)」を狙うのは、予定されていた経済的段階でで、実にまっとうな行為だったのか!と。

また、今年は家にこもったクリスマス休暇でしたので、オンライン飲み会などに参加してたのですが、その満足度がかなり高かったことにも驚きました。

ZOOMなどのプラットフォームは無料で、でもお金をかけずにこれだけ楽しめるってすごい。しかも日米にいる友人と海を越えて瞬時につながる。移動費も移動時間もかからない。かかるのは自分でいれたお茶代だけ(下戸なんで・・・苦笑)。実はこういうの、たくさんあるんじゃないかな。

社会変化の大きいこのご時世、「今の会社を首になったらどうなるんだろう?」「収入レベルががくんと落ちたら?」「貧困になったりするのかな?」という不安が心の底のどこかに常にあって、それを解決したくて副業なども考えたけど、これがやりたいと思う仕事が他にない。そもそも休日にまでお金を稼ぐことを考えたくない。

ずっとそこに悩みがあったんですが、もしかして、それあんまり心配しなくていいのかもと思えました。年収アップに向かって頑張らず、低収入で生きていくのをよしとするのは、「逃げ」とか「それを不幸と認められなくて現実逃避してる」とか「問題解決になってない」と思わされてたけど、違うかも。

つまりは、お金や物質的豊かさのためにはたいして働かず、逆にふらふらして楽しそうに生きてる人のほうが、今後は正しい生き方になってくかもってことですね。

(もちろん仕事に命かけてる人も素敵だと思っています。仕事にそれだけ熱中できると言うのは正直羨ましい、というか熱中できるものが仕事であると言う人は幸運な人だと、オバハンになった今、私は心底思います。)

そして手放す際にモノを循環するやり方をなるべく求めるものの、ミニマリズムは経済的必然と考えて、罪悪感を持つことをやめます。私たちは長年の悲願だった成熟した経済的段階にやっとたどり着いたのだから。(祝え!)

Day-36: Lunch boxes and a can (4)

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