『そうだ、ミニマリストになろう。Day-38: シンプリストからミニマリストへの変身に必要なもの』

Day-37から38になるのに、時間が空いてしまいました。ま、正直なところ、断捨離する気持ちが盛り下がってました。なぜか?

シンプリストからミニマリストになるための大きな壁にぶつかった

ってところです。

シンプリストになるのは、大半の人にとってメリットが明確。収集家だったり、モノへの執着が異常に強いなどの特殊なケースを除き、「家がすっきりして片付いている状態が嫌っ!」という人はあんまりいないでしょうね。

捨てることへの罪悪感はあるにせよ、すっきりした家に暮らしたいと考える人は多い。だから、断捨離のテクニックややり方を覚えれば、シンプリストにたどり着ける人は結構いるんじゃないでしょーか。

が。

そこからミニマリストとなると、急にメリットが不明確になるんですよね。

つまり、家がある程度すっきりし、スペースにそこそこ余裕ができ、探し物にも悩まされなくなる。シンプリストになるメリットは大。

でも、そこからさらにミニマリストになって「本当に必要なモノだけにまで絞る」理由って、あんまりない人がほとんどじゃないでしょうか。むしろ、不便や非合理に感じられることが増える。

クローゼットにある服が全部で20着。
そういう人生、楽しいの?

ここで、理由が見つかる人と見つからない人にわかれちゃうわけです。

ミニマリストにはかつて汚部屋住人だった方が多いですね。その時の大変さやつらさが身に染みてるからこそ、ミニマリストになれる理由があったのでしょう。「もう二度とあんな生活には戻りたくない」という強い感情、ひょっとしたら散らかった状態に恐怖感や嫌悪感があるのかもしれません。

あるいはADHDなど、片付けることがもともと苦手な人は、何があっても散らからない状態に持っていくことがものすごく合理的なのかも。

または単純にスナフキンのように旅をして暮らしたいとか、4畳半一間で暮らしていて収納場所がほとんどないとか。

いずれにせよ、そのような強い感情や動機がないと、シンプリストからミニマリストになるのは難しい。

じゃあ、私はなんでミニマリストになりたいのかな?

上記のどれにも当てはまらない私は捨てる理由が見つけ難くなり、断捨離が停滞した状態の中で、自問自答していました。

こういう時にいつも思う動画があります。

禅寺である曹洞宗永平寺の雲水(修行増)の一日の動画です。朝起きて、顔を洗うところから始まる動画なのですが、丁寧に丁寧に顔を洗ってる。それを見て、「ぅおおおお~~~(感動)」と思ってしまうのです。

お坊さんの洗顔に萌えるオバハンってどうよ?どんなフェチよ?と思うでしょ?(ええ、ワタクシも思います。)

でもね。

石鹸もない。あるのは桶一杯の水だけ。それしかないから、とにかく丁寧に洗う。持てるモノ、得られるモノがほとんどないから、持ってるモノをとことん大切にする。これ、どんな気持ちで毎朝顔を洗ってるんだろ、って思うわけです。

自分自身すら「数少ない持ち物の一つ」「だから大切に」という感覚になってるんじゃないだろうか、という気がする。

結局、私はこういう状態になりたいんだろうな、と思うのです。モノがないから、あるモノをありがたがり、いつくしむしかない。そのほうがそこそこモノがあるよりも、ずーっと幸せを感じられるんじゃないだろうか。

まあ、まだ道半ばなので、それがどんな境地なのかまったく見えていないのですけれど。

というわけで、時々この動画をみながら、ほそぼそと頑張っていきます~。そんな変態でもないのよ~。おほほ。

Day-38: CDs, CD cases, mail rack

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主に語学学習用のCDです。語学学習の教材はネットでいくらでも見つかるし、そもそもCDプレーヤーも手放したので、処分することにしました。



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