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ドイツの都市、ハイデルベルク!
人口約十六万人。程よい大きさ、落ち着いた街。

ドイツの首都は旧東ドイツの「ベルリン」です。
これは北東のあたりの都市ですが、
ハイデルベルクはその逆、南西の都市です。
ドイツの中でも
フランスやスイスに近いほうにあります。

「古都」としても知られています。
世界的にも有名な観光都市。
まさに「中世ヨーロッパ」のイメージ!

『石畳のストリート、絵本のような町並み。
古城から見渡す風景は、まさに絶景!
ドイツのいいところをギュギュッと
全て詰め込んだ街!』

そのように観光情報では書かれがちです。
ここに行っておけば、間違いはない。
鉄板、ドイツ満喫、そう言われる街です。

…ただしそれはあくまで、この街の一面。

本記事では、ハイデルベルクの多層的な魅力を
歴史と地理を交えて紹介していきます。
(注:ハイデルベルク観光課の回し者ではなく、
あくまでネット情報を元にして書いています)

日本の都市に例えつつ、書いていきましょう。
ずばり「姫路+奈良+京都+神保町」

これらをミキサーに入れてシェイクして
全部石造りにして、人口十六万人にして
凝縮したような感じ、でしょうか。

◆姫路

姫路と言えば「お城」です。姫路城!
ハイデルベルクにも、立派なお城があります。
ドイツ語で「ベルク」は『山』。
山を登れば、城に着きます。

…ドイツには『三大名城』
呼ばれるお城がありましてね。

◎ノイシュヴァンシュタイン城
◎ホーエンツォレルン城
◎ハイデルベルク城

ノイシュヴァンシュタイン城は、
19世紀、比較的新しく建てられたお城です。
「バイエルンの狂王」こと
ルートヴィヒ2世が建てたお城。
ディズニーのお城のモデルでもあります。

一方、ホーエンツォレルン城は、
ものすごい山の中にたたずむ幽玄なお城。
たびたび雲海の中に浮かぶことから、
「天空の城」とも呼ばれます(ラピュタ?)。
11世紀あたりに建てられた。
ただし山奥のため、ちょっと行くのが難しい…。

ハイデルベルク城は、この二つとは違うんです。

そこまで、新しくはない。
そこまで、山奥でもない。


中世ヨーロッパを存分に味わうことができ、
しかもアクセスもいい!
「姫路城み」を持つ、観光の模範のようなお城。
眼下には旧市街が広がって、
「城下町」「お城と街が一緒になって発展した」
という歴史を感じることができるそうです。

◆奈良

お城がある、ということは
偉い人がいた、ということでもありますよね。
ハイデルベルクは「古都」です。古い都。

いつの時代かと言えば、
「神聖ローマ帝国」の時代にさかのぼります。

もっとも、古代からハイデルベルクには
人が住んでいました。
近郊のマウエル村からは
「ホモ・ハイデルベルゲンシス」
(ハイデルベルクの人)
と呼ばれる
原人の骨も発見されています。

ただ、この街が徐々に栄え出したのは、
日本で言えば鎌倉時代~室町時代のあたり。
神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ1世
異母弟のコンラート・デア・シュタウファーを
この地方の伯爵に任命したことから始まります。

フリードリヒ1世は、
イタリア語で「バルバロッサ」(赤ひげ)
とも言われた、神聖ローマ帝国の英雄。
その弟が統治を任されたこともあって、
帝国の中でも有力な地域になっていく…。
1356年「イイサゴムでも金印勅書」の年に、
この伯爵家は「選帝侯」の一人になりました。
選帝侯とは、皇帝を選ぶ権限のある有力貴族。

「プファルツ(ファルツ)選帝侯」の誕生!

このプファルツ選帝侯の一族が、
後に、ハイデルベルクを首都に定めた。
大学もつくる。これがハイデルベルク大学
1386年、プラハ大学、ウィーン大学に次ぐ
神聖ローマ帝国内では三番目に古い大学でした。
(今のドイツ国内では一番古い伝統があります)

…しかし、この街を悲劇が襲う。

17世紀。戦争が相次ぐ。
1618年~1648年の「三十年戦争」
1688年~1697年の「プファルツ継承戦争」

ハイデルベルク城は、フランスに攻め込まれた。
「太陽王」ことルイ14世の侵略を受けて、
徹底的に破壊されてしまうのです…。

プファルツ選帝侯の宮廷は、
少し離れたマンハイムの街に移されました。
「古都」とは、この歴史から来ています。
遷都の後の平城京、奈良、のようなイメージ。

◆京都

都の座を失ったハイデルベルクでしたが、
その悲劇的な歴史もあり
文化人たちにとても愛されます。
お城の廃墟が、感興を呼び起こすのでしょうか?

代表的な人がゲーテ。1749~1832年。
『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』
などを書いた、ドイツを代表する文豪!
この人、ハイデルベルクがかなり好きで、
よく訪れては街を歩き、
思索にふけった、と言われています。

彼のように、詩人や哲学者たちが
次々に訪れては、歩きながら考える…。
有名なヘーゲルやヤスパースなども訪れた。
その道はいつしか「哲学の道」と呼ばれます。

…って、確か京都にも
「哲学の道」がありますよね?!
(もっともこちらは20世紀の哲学者、
西田幾多郎が歩いたことから命名)

そう、ハイデルベルクは「文化の都」として、
たくさんの人を惹きつける街へと
変わっていった
んです。現在では、
世界中から観光客や学生たちを引き寄せている。
まさに「京都み」のある街…。

ドイツは、第二次世界大戦で
甚大な被害を受けてしまいました。
しかしハイデルベルクは、戦火を逃れる。
このあたりも、比較的空襲の被害が少なかった
京都に似ているのかもしれません。

◆神保町

学生の多い街に古書店街あり、と言います。

日本の神保町は、明治時代に大学が集まり、
学生たちが古い本を安く欲しがったために
古書店街や古本屋が発展したそうです。

14世紀から大学のあるハイデルベルクも、
もちろん「本の街」でもあります。
(印刷機メーカーの『ハイデルベルグ』も
世界的に有名ですよね)

ドイツ有数の蔵書コレクションの
「パラティナ文庫」も、
ハイデルベルク大学の図書館にある。
別名、プファルツ文庫!
中世の貴重な文献がギャラリーに展示され、
常時、市民に無料で開放されている…。

人口の五分の一を学生が占める街。
観光客を引き寄せる賑やかさの一方で、
古き良き「学究の空気」も保っている…。

それがハイデルベルクという街、なのです。

最後にまとめましょう。

本記事では、ドイツの都市、
ハイデルベルクについて書いてみました。

ドイツ演劇の有名な作品、
『アルト・ハイデルベルク』では、
この街が、主人公の皇太子ハインリッヒの中に
「青春の記憶」として残っていく様が描かれます。
ブロードウェイのオペレッタ、映画化もされた
『学生王子』の原作にもなっています。

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