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海外の方に「日本の歴史はどんなもの?」
と聞かれて、ざっくり答えられるでしょうか?

サムライ、ニンジャ、ゲームとアニメ、
簡単な日本のイメージだけしか
持っていない方に、ざっくりと
説明するのは難しい。

ただこれは、お互い様、です。

例えば「エジプトの歴史」
「ベネズエラの歴史」
について
私たちはそこまで詳しくない。
一つの国の歴史を簡単に説明するのは、
簡単な話では、ない。

(エジプトやベネズエラの歴史はこちら↓)

というわけで、本記事では
「日本史をざっくり三つ」
ケーキにように切り分けて、
説明する方法を、考えてみました。

◆まずはざっくり三つに

「2000年」くらいまでを
三つに、ざっくり分けます。

①西暦600年頃(593年頃)

≪約六百年間≫

②西暦1200年頃(1192年頃)

≪約四百年間≫

③西暦1600年頃(1603年頃)

≪約四百年間≫

この「三つの線」を引いて分ける。そして
「時代を切り拓いた三人の人物」を挙げます。

①聖徳太子(しょうとくたいし)
②源頼朝(みなもとのよりとも)
③徳川家康(とくがわいえやす)

この三人を仮に挙げて、説明します。

①聖徳太子と「天皇中心の政治」

593年、聖徳太子は
天皇を助ける摂政の位につきます。

(注:本来は厩戸皇子(うまやどのおうじ)
などですが、ここでは聖徳太子の表記)

彼は仏教を本格的に政治に取り入れ、
「日本」という国のかたちを
固めていこうとしました。

対外的には中国に「遣隋使」を派遣。
隋の皇帝に
「こちらは『日いずる国の天子』だ!」
と宣言する。
外との違いを出してこそ、中がはっきりする。

この頃、天皇家は国のトップですが
蘇我氏などの豪族も力をつけてきていました。
気を抜くと、天皇家に
取って代わろうとする者も出てくる…。

聖徳太子は「十七条の憲法」
「役人の心構え」を示し
天皇中心の国をつくる!と宣言した。
仏教は、大事なツールのひとつ。

ここから「天皇中心の政治(仏教風味)」
目指す政策が進んでいきます。

もちろん、すぐにはできない。
大化の改新、壬申の乱、
平城京や大仏や平安京、摂関政治に院政、
まあ、色々とありますが、

基本「天皇がエライ」、そんな国になる。
中心地は関西、特に「京都」の平安京です。

②源頼朝と「将軍と武士の政治」

その流れを「間接的に」
断ち切ったのが源頼朝です。

彼は鎌倉に「幕府」を構えて
ここで「征夷大将軍」という位を元に
政治を行っていきます。

西に対する東。距離があります。

当然、西の平安京の天皇・朝廷は
反感を募らせ、つぶそうとしますが、

逆に、朝廷側が負けました。
これが1221年の「承久の乱」
2022年の大河ドラマ、
『鎌倉殿の13人』で描かれるところ。

これまでは「天皇がエライ」ひいては
「貴族がエライ」が基本でしたが、

ここから形式はともかく、実質上は、
「将軍がエライ」「幕府がエライ」
「武士が強い」
という国になる。

…ただ、ここで一つ、疑問が。

この武士たちは、天皇や朝廷を
全滅させよう!とまでは、しない。
征夷大将軍も、あくまで
天皇から「いただく」一つの位。
「足利義満」などの例外を除き
天皇にとってかわろうとする武士は、
あまり、いなかったんです。

考えてみれば、奇妙だと思いませんか?

世界史から言えば、
「平安京は旧勢力、燃やされて灰に」
「天皇・朝廷の勢力は、皆殺しになった」

そういう展開のほうが、多いのですから…。

そうは、ならなかったんですよ。
あくまで形式上は天皇がトップ。その上で、
実権は「将軍」や「幕府」が担う。

ただ、武士は力を持ってナンボ、
強い者が勝つ、という存在です。
ここからの約四百年、誠に血なまぐさい。
殺し合いのバトルロワイヤルです。

鎌倉から室町(京都)。朝廷分裂(南北朝)。
京都が焼かれて、戦国時代(応仁の乱)…。

はっきり言って「混乱の時代」
これが四百年ほども続いていく。
力ある者が強い武士の世の中だから…。

③徳川家康と「江戸・東京の政治」

そんな混乱の時代に区切りをつけたのが、
徳川家康。2023年の大河ドラマの主人公。

彼は戦国時代を終わらせ、
1603年には征夷大将軍に就任。
江戸(えど)にて
「江戸幕府」という政権を始める。
…この場所が今日の
「東京」まで続いています。

江戸幕府・将軍は、
1867年の「大政奉還」で政権を返却し、
新政府が政治を行うようになりますが、

江戸はそのまま「東京」と名を変えて、
天皇も西から東に移動し
改めて日本の首都となったのです。

東の京、ひがしのみやこ、ですよ。
西にも京がある、と暗示している。
(西の京都側から言えば、
「いつ帰って来るの?」と思っている)

話を戻して、

家康と江戸幕府は、力の政治を否定しました。
下剋上、力があれば上にのぼれる。
これを否定した。
なぜなら、そこから、争いが生まれるから。

将軍は、エライんだ。殿様は、エライ!
どんなに力を持っていたとしても、
出自不明の人は将軍や殿様にはなれない!
そう、決めた。

江戸幕府は、絶対的な兵力と財力を持ち、
身分制度などの支配体制を確立しました。
逆らうものは、つぶす。
そういう態度で臨みます。
逆に言えば、幕府(政府)が
そこまでの圧倒的な存在にならなければ、
また戦国に逆戻りですから…。

以降、現在までの約四百年間、
江戸・東京が、ずっと国の政治の中心です。
その構図は「東京一極集中」と言われる
現代でも、全く変わっていない。

もちろん、江戸幕府は1867年に、
戦前の政府は1945年に、実権を失いました。
戦後には、一時、外国(GHQ)に
占領されたこともある。しかし、

「圧倒的な大都市、江戸・東京の政権」

という大枠の形は、この日本で、
今でも変わらず続いている、のです。

(ちなみに、どんなに力を持っていても
「〇世議員」でないと、なかなか
総理大臣にまではなれませんよね。
なっても、すぐ引きずり降ろされる。
この国では「血のつながり」が
政治にとって、重要な要素
です)

最後に、まとめます。

①聖徳太子:古代
②源頼朝 :中世
③徳川家康:近世~近現代

この三人が、象徴的に
日本という国のかたちをつくった。
以上、私が主観と取捨選択で
ばっさり書いた「略史」
でした。

…ただ、この家康がつくりあげた
江戸(東京)の圧倒的な政権も
そろそろ崩れつつあります。
「SNS」と「コロナ感染症」によって。

「SNS」は情報を拡散させます。
国や組織だけでなく
個人に情報という武器を持たせました。

一方で「コロナ感染症」
既存のつながりを破壊しました。
リモートワークなどを促進し
個人単位に、生きるための判断を迫ります。

「地方移住」もさかんです。
「つながり」も、血のつながりだけでない
新しいつながりが生まれつつある…。

これからの四百年、
日本はどんなかたちになるのか?
そのヒントはここまでの歴史に
隠されているように思います。


読者の皆様なら、どう分けますか?

◇こっちの記事のほうでは、
徳川家康ではなく「西郷隆盛」を挙げています。
本記事では、江戸~東京連続という視点から
徳川家康のほうを採用しました。
視点によって、色々と変えて記述できるのが
歴史解釈の面白いところです)↓
『フォーティーツーから三人チョイス』

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