ナセル・サダト・ムバラク
エジプトと言えば? やはり「ピラミッド」!
では、エジプトの大統領と言えば? 「…」
私はどうしても「ツタンカーメン」とか
「ファラオ」とか「クレオパトラ」などの
古代エジプトのイメージが強く、
近現代のエジプトの人物については
ぱっとは出てきませんでした。
強いて挙げれば、大相撲で一時期活躍した
「大砂嵐」くらいでしょうか…
(荒々しい相撲スタイルでしたよね)。
しかし、調べてみると実は、
砂嵐のような風雲を巻き起こした
荒々しい大統領たちがいたんですよ。
本記事では、エジプトの大統領の中から、
ギザの「三大ピラミッド」にかこつけて、
「代表的な三人」を取り上げ、書いてみます。
①ナセル
エジプトは「近代エジプトの父」とも呼ばれた
「ムハンマド・アリー」の子孫が王位につく
「王政」を取っていました。
ムハンマド・アリー朝です。
(ムハンマド・アリーについては
リンクの記事も、ぜひ)↓
しかし、イギリスやフランスなどに
スエズ運河の株を握られている、など、
完全に独立した国、とは言えませんでした。
列強の傀儡政権的な存在。
それをひっくり返したのが、ナセルです。
1952年に「エジプト革命」で王政を打倒。
1954年から、ナセルが大統領に就任します。
折りしも1955年、インドネシアのバンドンで
「アジア・アフリカ会議」が開催されました。
冷戦下で、ソ連の東側・アメリカの西側、
どちらにも属さない「第三勢力」が提唱され、
植民地から脱するよう呼びかけられます。
実際に革命を起こしたナセルは、
この会議で、注目を集めていました。
翌1956年、
彼は世界が仰天する宣言を発表します。
植民地脱却のための、強烈な宣言。
当然、運河の株主、持ち主であった
イギリスとフランスは、怒り狂いますよね。
何を勝手なことを言っているのだ!?と。
二次戦後に建国されたイスラエルを味方に加え、
エジプトに軍を差し向けます。
あっという間にスエズ運河一帯が占領され、
ナセルは自殺を考えたほど、追い込まれます。
…その時、彼に味方をする国が
次々と世界中に現れました。
そう、有言実行したナセルを
国際世論が味方したのです。
ソ連もアメリカも、ナセルを支持。
こうしてイギリス・フランス・イスラエルは、
軍事的には勝っていたにもかかわらず、
国際世論を恐れ、撤兵することになります。
人呼んで「スエズ動乱」。
またの名を「第二次中東戦争」。
軍事で負けたナセルは、外交で勝った↓
危機を脱した彼は
「汎アラブ主義」と「汎アフリカ主義」を掲げ
エジプトとシリアから成る
「アラブ連合共和国」を建国します。
…この国名は、
過去にムハンマド・アリーが目指した
「西欧列強に負けない国」
「アラブの団結」を具現化させようとしたもの。
ソ連の援助も受け、
新しい「アスワンハイダム」も建設開始。
完成した人口湖は「ナセル湖」と命名されます。
ナイル川の氾濫は防止され、灌漑も進む。
まさにナセルは得意の絶頂にありました。
…その一方で、焦ったのはイスラエル。
なぜなら、エジプトとシリアの間にあるから。
挟み撃ちです。このままでは滅亡あるのみ…!
1967年、イスラエルは、
奇襲攻撃をしかけました。
アラブ各国の空軍基地を空襲で壊滅させ、
一気呵成に電撃的な作戦を敢行したのです。
エジプトのシナイ半島や、
シリアのゴラン高原などを占領します。
人呼んで「第三次中東戦争」(六日戦争)。
第二次中東戦争で、勝ったナセル。
第三次中東戦争で、負けたナセル。
彼の権威は失墜し、1970年、
無念のうちに心臓発作で急死しました。
②サダト
ナセルの後を継いだのは、
彼の盟友であった、サダトです。
彼は、政策を大胆に転換します。
「革命の矯正」とも言われました。
社会主義的政策を改めイスラーム運動を解禁。
アラブ連合共和国を解体し
「エジプト・アラブ共和国」に国号を改める。
親ソから反ソ、アメリカ合衆国と協調する。
その一方で、イスラエルに復讐します。
1973年、シリアとともに
「第四次中東戦争」を仕掛けたのです。
奇襲には奇襲、目には目を、歯には歯を。
イスラエルからシナイ半島などを奪還しました。
ただ、彼は戦争の終わらせ方も模索しています。
何と「キャンプ・デービッド」という
アメリカ大統領の山荘に
イスラエルの首相と一緒に行き、
和平交渉を進めて、平和条約を結んだのです。
時のアメリカ大統領は、
「人権外交」で名高いカーターでした。
1978年、ノーベル平和賞を受賞。
ただ、アラブの敵であるイスラエルと
講和したことにより、
アラブ各国やイスラーム勢力から
怒りを買ってしまいます。
1981年、彼は過激派の銃撃を受け、
暗殺されてしまうのでした…。
③ムバラク
サダトの後を継いだのは、
第四次中東戦争で活躍したムバラクです。
彼は第三次中東戦争で壊滅した
エジプト空軍を建て直し、
空軍司令官として国民的英雄になっていました。
ナセル、サダト、と激しく動きを見せる
大統領が続きましたが、
次のムバラクは、まるでピラミッドの如く
どっしり国内を固め、調整的な外交を展開。
何と、三十年近くにも及ぶ安定政権!
人呼んで「現代のファラオ」です。
…しかし、あまりにも政権が長いと、
政権の緩みが生まれてしまいますよね。
不満も、少しずつ鬱積するもの。
2011年に、エジプト革命が勃発します。
ムバラクは退陣を表明し、
彼の長期政権は終わりました。
最後にまとめましょう。
第二次世界大戦後のエジプトは、
波乱万丈の歴史を歩んできました。
1952年、2011年、二回も革命が起きている。
このような、日本とは全く異なる
歴史と地理を持つ国を知ることで、
逆に、日本の独特の歴史と地理が
理解しやすくなるのではないでしょうか?
ちなみに現在(2022年記事執筆時)の
エジプトの大統領は「シシ」という人です。
彼は、2011年の革命後の混乱に乗じて、
2013年にクーデターを起こし
政権を獲得しております。
ロシアのプーチン、中国の習近平、
トルコのエルドアン、インドのモディ、
日本の安倍晋三など、各国首脳と並び、
2014年にはフィナンシャル・タイムズ紙上で
「世界の剛腕政治家」の一人、と称されました。
このような大統領たちの歴史を踏まえ、
シシ大統領は「獅子奮迅」の働きが
できるのかどうか?
エジプトは、ピラミッドだけじゃない。
その国旗は三色です。
赤は「革命で流された血」
白は「明るい未来」
黒は「革命前の暗い過去」
をあらわしている、と言われています。
かの国の歴史と地理に(少しだけでも)
注目してみてはいかがでしょう?
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