見出し画像

中と外との日本文化史 ~風をどう通すか?~

日本史には、海外の影響が強い時代があります。

「中国王朝」からの影響…。
「西欧諸国」からの影響…。
「アメリカ」からの影響…。

「そう言えば歴史の授業でありましたねえ…。
遣隋使とか、文明開化とか、
ギブミーチョコレートとか…」

日本列島ならではの固有・独特な文化も
たくさんあります。
しかし時には海外からの影響を受けつつ
柔軟に「アレンジ」してきた歴史が
日本にはある…。

本記事ではその概要を
ざっくり書いてみよう、と思います。

まずは「稲作」から行きましょう。

水田や黄金色の稲は、日本の原風景…。
そう思われがちですが、
「田が無い」時代も長かった。
縄文時代では狩猟と採集がメイン。
いつ、どこから稲作が伝わったのかは
色々と説がありますけれど、
「弥生時代」にどんどん広がります。
「外」から伝わった亜熱帯産の米を、
「中」の列島内でつくるようになっていく。

米は、保存が効きます。

余剰作物ができれば、ムラが生まれる。
クニも生まれていく。
「統治」のための方法も必要になります。
当時には無かった技術が「外」から伝わる。
考え方、生き方、文字、法律、商売…。

◆仏教、儒教、漢字
◆律令制度、産業、都市建築


聖徳太子(厩戸皇子)は仏教を広めました。
聖武天皇は大仏をつくった。
平城京や平安京が、当時の大帝国の首都、
「唐の長安」をモデルにしてつくられます。
国のしくみ、律令制度も採り入れる…。

そう、古代の日本は「外」から、
「中国王朝」からの影響が強いのです。
そのため「遣隋使」「遣唐使」を派遣して、
時々の最新の技術や思想を学ぼうとした。

…ただ、盛者必衰、とも言います。

強かった唐王朝も907年に滅亡。
その前あたりで「ハクシに戻そう遣唐使」
894年に菅原道真の建議で
遣唐使も白紙にされ、廃止になる。

どうなったか?

そう、国風文化が栄えていくんです。
漢字をアレンジした「かな文字」で
源氏物語など、優れた作品が書かれた。
中国の影響が少なくなったために、
独特の文化が「国産」されていく…。
公地公民制は崩れ、私有地「荘園」が増える。
律令にない「令外官」が設けられる。

しかし、その貴族たちに代わって
武士たちが実権を握るようになると?
彼らの一部は、中の論理から外れ、
海外から積極的に文物を得ようとします。

◆平清盛:日宋貿易
◆足利義満:日明貿易(勘合貿易)
◆倭寇、東南アジアに日本人町

強い武士のリーダーたちは、
「外」の力を活用しながら
「中」の既存の権威に対抗していく…。


その最たる「対抗者」は、
南蛮貿易で鉄砲とキリスト教を
うまく取り込んだ織田信長
そして「太閤」こと豊臣秀吉
秀吉は海外にまで攻め込む。
その後に天下を取った徳川家康も、
「朱印船貿易」で通商を試みています。

…ただ、ここで遣唐使廃止と同じような
外とのシャットダウンが生じるんですね。
キリスト教の厳禁。いわゆる『鎖国』。

当然、江戸時代では
いにしえの「国風文化」に通ずる
独特の文化が醸成されていきます。
『国学』という日本独特の文化を
研究する人たちもあらわれた。
ぬか床の中で漬け物が漬かるように、
和風の江戸風味が全国に染みこんでいく…。

もちろん、海外の文化が
ゼロになったわけではありません。

長崎の出島では「オランダ」との貿易が
行われていました。
このオランダの学問『蘭学』は、
「解体新書」に代表されるように
医学など実用的なものから広がっていく…。

その蘭学という「外」の土台があってこそ、
いざ幕末、ペリーが来て「開国」した時に、
欧米列強の文物を取り入れる素地ができていた。

『尊王攘夷』で「中」にこだわって
海外からの影響を「断固NO!」と唱える
排他的な人たちもいました。
しかし、天下を取った明治新政府は
攘夷を捨てて『尊王開国』路線を取ります。

福沢諭吉は「学問のすすめ」を書いた。
「外」のことを学び取り入れることを説く。
西周(にしあまね)は数々の訳語を作り、
漢字によって西欧の考えを訳します。
夏目漱石は「小説」という表現を使い、
人間の苦悩を「人外」の猫視点で書く…。

そう、文明開化、ですね!

鹿鳴館では洋服でダンス。
日本全土に鉄道が作られる。
ベースボールは野球と訳す。

多くの人が欧米に留学、洋行し、
洋風文化を日本へと持ち帰ってきます。
目的はずばり『富国強兵』
その結果、日清戦争、日露戦争、
「外」の勝利につながっていく。

…しかしここから、反動が来ます。

欧州スタイル、洋風を取り入れて
いざ強国になったものの、
欧米列強は世界各地に植民地を広げて
我が物顔に振る舞っている。

…我々には、我々の文化があるのでは?
…日本スタイルをこそ広めるべきでは?

一次戦後に国連の常任理事国になった日本は、
「日本流」「和風」「尊王攘夷」をひっさげ
「外」へと拡大していきました。
…結果は、ご存知の通り。
二次戦後、日本列島だけに国土が縮小した。

戦後日本に流入してきたのは?

◆アメリカスタイル

GHQの占領時代もありました。
欧州とはまた違った感じの文化です。

日本国憲法。地方自治。民主主義。
マクドナルドにスーパーマーケット。
日本経済絶頂のバブルの頃には
「ニューヨークに行きたいか~!」と
米国横断を試みる人も多かった。
大量の生産と消費。コンビニ。コストコ。
ネットにゲームにSNS…。
いずれもアメリカ合衆国などで発達し、
「外」から伝わってきたもの
です。

そうして今、私たちは、ここにいます。

…いささかはしょって
書いてきましたけれども、
まとめるなら以下のような感じでしょうか?

◆閉める:独特の文化(縄文時代)
◇ひらく:古代:中国王朝の影響
◆閉める:独特の文化(国風文化)
◇ひらく:中世:中国、大航海時代の影響
◆閉める:独特の文化(鎖国からの江戸の文化)
◇ひらく:明治:開国、欧米諸国の影響
◆閉める:独特の文化(日本スタイルの拡大と縮小)
◇ひらく:戦後:アメリカスタイルの影響 …

開かれれば、閉めようとする。中にこもる。
閉められれば、開こうとする。外に出る。

ここ最近、昭和後期~平成は、
日本スタイルとアメリカスタイルの
「折衷文化」が主流のように思われます。

…さて、令和の日本では、
どんなスタイルが主流になるのでしょう?

最後にまとめます。

本記事では「中」と「外」に着目しつつ、
日本文化史を概観しました。

「中」と「外」どちらか「だけ」に
圧倒的に偏り過ぎると、尖っていきます。
井の中の蛙。内弁慶。外弁慶。
偏り過ぎた時、人は「暴れ者」になり、
他者に理解されにくくなる。

中と外とを意識的に反復横跳びしつつ、
「自分(たち)なり」に換気し、
謙虚に発信と受信を行う。

外からの刺激、内からの反省を受けつつ、
アレンジ、ローカルチェンジしていく…。

これこそが重要では?と思うのです。

読者の皆様は「換気」をしていますか?
発信と受信はどうでしょう?
…中と外をいかに「旅」していますか?

※『旅人と住人の反復横跳び ~中と外と旅と~』↓

※なお、茨城県では「内弁慶」になりがちで
外に「魅力」が伝わっていないことを打破すべく
『茨城県の名物 ~シン・いばらきメシ総選挙~』
実施されました↓

※シン、つまり新たなグルメ、妖怪もあらわれる…↓
『妖怪「茶ちゃんぼー」~シン・いばらきメシ総選挙2024~』

※『からあげのレモン煮』という
ダイナミックなご当地グルメにも出会えました↓
『酸味の混じった爽やかさとサクッと感との競演』

合わせてぜひどうぞ!

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!