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【DX】そのデジタルトランスフォーメーションは変革につながらない

本稿ではデジタルを用いてのトランスフォーメーションとは何か、自身の考察を、一般的な捉え方との比較をしながら説明しています。

これまでのキャリアとデジタルとの関り

私はプロフェッショナルとしてのキャリアを進めるうえで、何度か転職をしています。基本的に嫌になって辞めた会社はなく、人生のライフステージによるものであったり、キャリア上の選択として別の会社に移るということをしてきました。

そのため、所属していた企業には愛着や感謝はありますが、後ろ足で砂をかけるようなことはしたくありませんし、してこなかったとも思います。

これは自分のポリシーでもありますが、その企業に残って活躍されている方への最低限の礼儀とも考えています。なので、過去の経験や見識を発信するときに、過去の所属企業が、少しでも受け手にとってネガティブに受け取られる可能性があることは話さないように注意を払っています。

一方で、自分が『デジタル』というテーマで話をするときに、やはりGEに在籍していた経験に触れないのは、自分という発信する個からみると、読み手に対してのミスリーディングにつながると考えます。

そしてここにジレンマがあります。GEはデジタルトランスフォーメーションに失敗した企業という烙印を捺されており、GEと『デジタル』を一緒に語ると先ほどの自分の考えに反する恐れがあるからです。

日本ではDXの実現に成功した例が、ほとんどありません。米ゼネラル・エレクトリック(GE)は昨年、デジタル戦略の見直しに迫られ、産業用クラウドソフト開発の子会社を売却、その他のデジタル事業も分社化しました。これはGEの「DX失敗」と受け止められていますが、日本企業の場合はまだ失敗すらしていません。GEは巨額の投資でDXを推進しようとして大きく転びましたが、日本ではDX推進と言いながら小銭しか投資していない企業が多く、失敗のしようがない状況なのです。
(DIAMOND online「デジタルトランスフォーメーション」は組織を思考停止させる呪いの言葉(2019)からの抜粋)

GEは少し前までアメリカでは、マッキンゼーと並んで経営者人材を輩出する企業と目されていました。私が入社した当時はインダストリアルインターネットなど、産業のデジタル革命をGEがリードしようとしていた時期で、我々も社内で、ライバルはシーメンスやPhilippsなどではなく、GoogleやAppleだと言っていました。

全員が全員ではないかもしれませんが、社内のデジタル系人材は、「GEが産業界のGAFAMのような存在になるんだ」という高揚感があったことは事実です。

依然としてGEが偉大な企業であることに代わりはありませんが、結果としては産業界のGAFAMになっていないのは事実であり、その一面を捉えればGEのデジタルトランスフォーメーションは失敗だったと断ずることも致し方ないかもしれません。

しかし、それは偉大な失敗です。なぜなら、GEがやろうとしたことこそがデジタルトランスフォーメーションの本質で、最近広い意味で使われすぎている『なんちゃってデジタル』とは違うからです。

デジタルの定義に対する考察

自分自身は、GEのデジタルトランスフォーメーションに対しては、末端の歯車の一つであったにすぎず、失敗を総括するような立場ではありません。事業部門でデジタル部の部長職をしていましたが、それもトランスフォーメーションではなく、デジタイゼーション/デジタライゼーションの枠を踏み出すものではありません。

そのような立場ではありましたが、Bill Ruhという当時のGE DigitalのCEOが来日して、社員とタウンホールミーティングをした際の話が、自分にとってデジタルとは何かを整理して考えていくきっかけになりました。

彼はいくつか例を出して「これはデジタルだ」「これはデジタルではない」という話をしていましたが、そういった話から、テクノロジーが現実世界と融合していくデジタルワールドについて、実感を深めていったことを覚えています。

そこから発展させて、テクノロジーが現実世界に染み出すのだから「テクノロジーがユーザ・エクスペリエンスに直接的に影響を与える(例: コールセンターのオムニチャンネル)」ことや、「テクノロジーが生産性に直接的に影響を与える(例: 機械設備にセンサーを取り付け予防保守)」ということもデジタルの枠組みだと考えるようになりました。

さらにビジネスの立場では、「テクノロジーによってトップライン、ボトムラインに直接的に影響を与える」ということも、デジタルの特徴の一つと考えるようになりました。

DXという言葉の使われ方への違和感

自分の中でデジタルについて考えを巡らせていた際に、世の中に出てきたのが、ここ数年のIT業界でキーワードになっている経産省のレポート「2025年の崖」です。

これはレポートの本体を見て頂いたらわかるのですが、レガシーを脱却しなければDX(デジタルトランスフォーメーション)ができず、DXができないと日本は沈むというストーリーで書かれたレポートです。

しかし少しミスリードを誘った部分があります。それは『レガシー脱却』そのものを、デジタルトランスフォーメーションとして捉える向きが出始めたことです。

「2025年の崖」では経産省はデジタルトランスフォーメーションについて、IDC社の定義を引用しています。

企業が外部エコシステム(顧客、市場)の破壊的な変化に対応しつつ、内部エコシステム(組織、文化、従業員)の変革を牽引しながら、第3のプラットフォーム(クラウド、モビリティ、ビッグデータ/アナリティクス、ソーシャル技術)を利用して、新しい製品やサービス、新しいビジネス・モデルを通して、ネットとリアルの両面での顧客エクスペリエンスの変革を図ることで価値を創出し、競争上の優位性を確立すること

企業が生き残るための鍵は、DX を実装する第 3 のプラットフォーム上のデジタルイノベーションプラットフォームの構築において、開発者とイノベーターのコミュニティを創生し、分散化や特化が進むクラウド 2.0、あらゆるエンタープライズアプリケーションで AI が使用されるパーベイシブ AI、マイクロサービスやイベント駆動型のクラウドファンクションズを使ったハイパーアジャイルアプリケーション、大規模で分散した信頼性基盤としてのブロックチェーン、音声や AR/VR など多様なヒューマンデジタルインターフェースといった IT を強力に生かせるかにかかっています。

(経産省が引用したIDC社のDX定義)

経産省のレポートでは、こういったDXの推進を阻む課題として、レガシーシステムがあることを述べています。また、個人的には、その見解には概ね同意しています。

一方、ある企業の方が「うちの会社も2025年の崖に取り組むために、DX推進室を立ち上げて、SAPの2025年サポート切れ問題(後に2027年まで延長)に対応しています」と仰られているのを聞いたことがありました。

しかしレガシーの脱却は、デジタルトランスフォーメーションを行うための前提条件になりうるというだけで、デジタルトランスフォーメーションでもなんでもありません。

まだレガシーの脱却であればDXの前段として分からなくもないのですが、DXの例として「RPAでxxxx時間/月の業務が節約できた」等の話を講演で仰る方などもでてくるようになりました。そして、個別のIT化、デジタル化の事例がDXの成功事例として各所で取り上げられはじめ、広義のDX、狭義のDXなる言葉が生まれました。

そんな、広い意味で使われすぎるようになり、デジタルトランスフォーメーションという言葉を使うこと自体に躊躇いが生まれてきました。その言葉を発した時に、自分が考えている言葉の定義と、相手の受け取りに差が生まれるため、その次の話に繋がらないからです。

ゾーンマネジメントで腹落ち

自分なりに腹落ちして理解しているデジタルトランスフォーメーションの解釈について、ここから少し書いていこうと思います。

私自身がデジタルトランスフォーメーションの解釈に対して考えをまとめることができたのは、キャズム理論で有名な経営コンサルタントのジェフェリー・ムーア氏による『ゾーンマネジメント』のフレームワークを知ってからです。

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以下の図は著書の中で紹介されている、企業活動を分けて経営資源を管理するための「4つのゾーン」です。

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この4象限のうち、既存のエコシステムで、既存の顧客を相手に、既存のビジネスを展開するのが、右側の持続的イノベーションに分類される「パフォーマンスゾーン」と「プロダクティビティゾーン」です。

その中心が既存事業で収益を生み出す「パフォーマンスゾーン」で、これももちろん企業にとって非常に重要です。企業にとっては既存事業に磨きをかける「知の深化」と、イノベーションを生むための「知の探索」の両方を両手のように使うという『両利きの経営』でいえば、「知の深化」にあたる部分です。

一方で外部環境の急激な変化に対抗するには、左側の破壊的イノベーションに分類されている、新規事業を生む「インキュベーションゾーン」と、新規事業を拡大する「トランスフォーメーションゾーン」が重要です。これは前述の『両利きの経営』で「知の探索」に該当するところになります。

このゾーンマネジメントとデジタルトランスフォーメーションを結び付け、デジタルトランスフォーメーションは、トランスフォーメーションゾーンにおいて、デジタルで事業構造の変革を実現することを指すと、個人的には捉えるようになりました。

デジタルトランスフォーメーションはすべての企業に有効なわけではない

さて、私が捉えているイメージのなかでのデジタルトランスフォーメーションは、すべての企業が必要なものとは考えていません。また置かれている状況においても、必要性の多寡は変わっていくものと思います。

どういうことかというと、破壊的イノベーションにさらされる企業と、それがそこまでの脅威にならない企業によって、トランスフォーメーションの必要性は変わるからということです。

前者の代表格は自動車業界に属する企業でしょう。テクノロジーとしてはEVの台頭、自動運転技術などがあり、さらにコロナ禍の影響や仮想現実の拡張により、人が移動しない世界を迎えつつあります。

トヨタですら、10年後も同じ形で生き残っているかは分かりません。さらに言えば、ガソリン車はエンジンを中心に約3万点の部品で成り立っている一方で、EV車になればコモディティ化が一気に進む可能性があります。その際に完成車メーカーの系列、関連会社、下請け、孫請け・・と、この破壊的イノベーションの波によって影響を受ける企業群は膨大な数に上ります。

もちろんトヨタ本体は財務基盤が強固ですし、向こう10年程度のスパンでつぶれることはないでしょう。しかし、デジタルトランスフォーメーションに失敗すれば一気に地位を失うでしょうし、紐づく企業群は存続の危機にされされるようになるはずです。

一方で、例えば日用品、消費財メーカーで、花王やP&Gのような企業は、大きなリスクを冒してまでデジタルトランスフォーメーションに挑む必要はないかもしれません。むしろ、パフォーマンスゾーンへのデジタル投資で、生産性、収益性向上を目指す方が経営効率が高いのではないかと推察します。

デジタルトランスフォーメーションは難しい

GEの失敗が偉大な失敗だったと評価する理由ですが、それがトランスフォーメーションゾーンで、思い切って舵を切り、その投資を行ったためです。この経営判断と、その実行は、とても大変なことです。

企業が短期的な株主価値に目を向けた場合に、次の四半期の収益目標が一番大事になるため、そこでの投資はパフォーマンスゾーンへの投資に偏重しがちになります。ただ、それをそのまま続けると、いずれ企業の存続はおぼつかなくなります。

一方でGEは百数十年続いてきた企業であるだけあり、短期的な存続よりは、その次の100年を目指した変革を行おうとしました。これが出来る企業文化を持ち続ける限り、また世界を代表するエクセレントカンパニーに名を連ねる可能性は十分あると思います。

また、デジタルによる例はまだそれほど多くはありませんが、日本でもトランスフォーメーションに成功している企業はあります。端的な例は、最近、古森会長が退任すると発表があった富士フイルムです。

イーストマン・コダックがカラーフィルム需要の急減という環境変化に対応できずに2012年に倒産したのと対照的に、富士フィルムは事業構造の変革に成功し、古森氏の社長就任直後(2001年)と比べて売上高は5割増えています。

デジタルトランスフォーメーションはどう進めるべきか

デジタルトランスフォーメーションの端緒には、まず自社が属する産業と自社の状況を把握し、中長期で今のコアビジネスをどこまで安定的に進めることができるか見極めが必要です。

そこで変革の必要性を認めたときに、次にどういう変革が必要かを理解し、ビジョンとして示すことが求められます。そうです、デジタルトランスフォーメーションは、間違いなく経営者マターです。

そして、ゾーンマネジメントでいうインキュベーションゾーン、トランスフォーメーションゾーンで成果を出すために十分な投資と期間をどう確保するのか、コアビジネスとのバランスを見ながら見極めます。

そこから一度やると経営判断を下したら、リーダーが腹を決めて、ブレずに成功するまでやり続けることです。失敗はすなわち会社の存亡に繋がるリスクになります。

デジタイゼーション、デジタライゼーション及び広義のDXで括る生産性の向上で、企業経営者が「やってるつもり」「やった気」になっているのが一番危険です。

水先案内人としてのプロフェッショナルサービスの我々としても、クライアント企業の状況を見極めたうえで、適切な判断が出来るようなインサイトを与える必要があると考えています。

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