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久恒啓一の「名言との対話」

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日本近現代の偉人たちのの生涯と絞り出した名言から学ぶマガジンです。 誕生日や命日を切り口に、2016年1月1日から毎朝書き続けています。 2500日を超えてきました。「日本の精神…
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2018年4月の記事一覧

4月29日。牧伸二「漫談芸は格闘技である」

牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 - 2013年4月29日…

久恒 啓一
6年前
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4月28日。粟津潔「与えられたテーマに自分なりの『見い出し方』を持ち込むことができ…

粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は日本のグラフィックデザイナー。 …

久恒 啓一
6年前
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4月27日。 大社義規「ツキが落ちても悲観するな」

大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、日本の実業家。日本ハム創…

久恒 啓一
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4月26日。大山倍達「この地上において、自分より強い人間が存在することを絶対に許さ…

大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年7月27日(大正12年6月4日) - 1994年(平成6年)4月26日…

久恒 啓一
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4月25日。尾崎豊「僕はお金のためにロックンロールをやっているんじゃない。僕は僕の…

尾崎 豊(おざき ゆたか、1965年11月29日- 1992年4月25日)は、日本の歌手、作詞家、作曲家、…

久恒 啓一
6年前

4月24日。小島勝平「鼻は低く、志は高く」

小島 勝平(こじま かつへい。1936年1月28日−−2007年4月24日。栃木県生まれ、1954年栃木県…

久恒 啓一
6年前
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4月23日。木村庄之助「行司も力士も親方衆も、昔からの相撲の型、行司の型を後世に伝えるよう努力し、協会はそれができるような体制をつくるようがん張ってもらいたいものだ」

第22代木村 庄之助(きむら しょうのすけ、1890年3月1日 - 1994年4月23日 )は、大相撲の立行司。 1898年秋、尋常小学校を二年で中退して大坂相撲の竹縄部屋に入門し、1899年6月に木村金八の名で初土俵。1907年6月に木村信之助で幕下格、1909年5月十両格、木村錦太夫の名で1912年1月に幕内格となった。1922年5月に、大坂相撲に愛想をつかし1923年5月場所限りで廃業。その後、両國の出羽ノ海の誘いで1924年1月に東京大角力協会に移籍し出羽ノ海部屋に

4月22日。斎藤英四郎「明るさを求めて暗さを見ず。今日失敗しても明日に明るさを求め…

斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 - 2002年4月22日)は、日本の実業家。新日…

久恒 啓一
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4月21日。多田富雄「君と一緒にこれから経験する世界は、二人にとって好奇心に満ちた…

多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家。 千…

久恒 啓一
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4月20日。 竹内均「前進あるのみ」

竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004年4月20日)は、日本の地球物理学者。 竹内均…

久恒 啓一
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4月18日。来栖継「重訳が必ずしも直接訳に劣らない」

栗栖 継(くりす けい、男性、1910年7月18日 - 2009年4月18日)は、翻訳家、チェコ文学者、共…

久恒 啓一
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4月17日。山田智彦「先に何かがあるという思いは、単調な生活のはげみになる」

山田 智彦(やまだ ともひこ、1936年3月23日 - 2001年4月17日)は、日本の小説家。 神奈川県…

久恒 啓一
6年前
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4月16日。村田昭治「経営力の差は、経営能力というよりも経営姿勢から生まれる」

村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 - 2015年4月16日)は、日本のマーケティング論の…

久恒 啓一
6年前
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4月15日。三重野康「五十歩と百歩は違う」

三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17日 - 2012年(平成24年)4月15日)は、第26代日本銀行総裁。 中学の最初の方は大分中学で学んでいる。同期に後の平松大分県知事がいた。一高の寮委員長を経験している。当時の校長は有名な安部能成であった。卒業後は、志が決まっていなかったのでたまたま受けた日本銀行に入行する。 仕事は面白くなかった。しかし三重野は思い直した。「どんなつまらない仕事でも、それをマスターしなければ、より良い仕事は回ってこない。、、、