4月25日。尾崎豊「僕はお金のためにロックンロールをやっているんじゃない。僕は僕の歌を聴いてくれて希望を持ってもらえるために歌うんです。僕は傷ついた人たちのために歌いたい」

尾崎 豊(おざき ゆたか、1965年11月29日- 1992年4月25日)は、日本の歌手、作詞家、作曲家、編曲家、詩人、実業家。

10代の三部作『17歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』はティーンエイジャーから絶賛された。デビューアルバム『17歳の地図』の中の「15の夜」には「覚えたての煙草をふかし星空を見つめながら自由を求め続けた15の夜」という歌詞。最後の曲は「僕が僕であるために」だ。『回帰線』の中の 「卒業」では、「あと何度自分自身卒業すれば、本当の自分にたどりつけるだろう 仕組まれた自由に誰も気づかずにあがいた日々も終る この支配からの卒業 闘いからの卒業」という歌詞が印象的だ。この歌は、当時の全国の中高生の間を稲妻のように駆け巡った。私も妻が尾崎を好きでアルバムを聞かされ続け、尾崎豊の歌の歌詞と熱情に打たれてしまった。

13歳年上の音楽プロデューサー須藤晃は『尾崎豊 覚え書き』(小学館文庫)の中で、今まで世の中に出ていた音楽、歌とは明らかに違った言葉の表現、リズム、メロディーが存在していて、すごい才能だ、不世出のアーチストだ記している。

わずか26年間の人生を疾走した尾崎豊の死因は覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒) による肺水腫である。雨の中の護国寺での告別式には4万人以上のファンが集まった。その規模は、戦後唯一の国葬の吉田茂、歌謡界の女王・美空ひばりの葬儀に匹敵する人数だった。

尾崎の死後、アルバムが急激に売れる現象が起こり、1992年5月25日付けのオリコンアルバムチャートでは、TOP10中6作を尾崎が占める現象が起こった(1位『放熱への証』、4位『回帰線』、5位『十七歳の地図』、6位『LAST TEENAGE APPEARANCE』、7位『壊れた扉から』、9位『誕生』。

1992年の死後、カリスマ的人気のある尾崎の思想や活動のため、中学・高校などの教育現場で長らくタブー視されて来たが評価も変わり、高校教科書に顔写真や「15の夜」の歌詞が掲載される(『高等学校 新倫理 - 人間とは何か 思索の糧に - 』 清水書院、2002年)ようになっている。

・ロックンロールは人間と人間のきずなの意味を模索する一つの表現方法なんだ。

・自分の好きな言葉を、好きな詩を、好きな表現を時間をかけて創るためには、自分でやるしかないんだ。

・自分の中のアマチュアリズムが許せないんだ。もっともっとプロフェッショナルになていかなければならない。

・体験させること、体験してもらうことが、ティーンエイジャーの成長にとって必要不可欠だと思うんです。

「どんな困難にも負けないで いつまでも夢を捨てないで 君たちへ僕からの精一杯の愛情をこめていつまでも歌い続けることを約束します」という尾崎豊の歌は、傷つきやすい若者へ向けての「夢と希望」を捨てるなという応援メッセージだった。「自由っていったいなんだい 自由になりたくないかい みんなは思う様にいきてるかい」、、、。この人の歌は時代を越えて若者たちに共感の小波を起こし、その心に深く響き続けるだろう。

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