4月21日。多田富雄「君と一緒にこれから経験する世界は、二人にとって好奇心に満ちた冒険の世界なのだ」

多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家。

千葉大教授、東大教授として、免疫学に貢献。野口英世記念医学賞、朝日賞を受賞。文化功労者。

1993年の『免疫の意味論』で大佛次郎賞、『独酌余滴』で日本エッセイストクラブ賞を受賞するなどして世に知られた。また「能」の作者としても優れた作品を残している。その縁で白洲正子とも親しかった。「『西国巡礼』(白洲正子)を読む喜びは、白洲さんとともに己を発見する「道行」を重ねることだと思う」。白洲正子の「西国巡礼」で同行した多田富雄が、巡礼とは自己発見の旅であると喝破しており、私は目からウロコの思いをしたことがある。

2007年9月に多田富雄『寡黙なる巨人』を読んだ。その時のブログにはこう書いている。「世界的な免疫学者による平成版「病状六尺」。脳梗塞による半身不随と失語症との戦いの中で、自らの再起ではなく、自らの中で生まれつつある巨人の再生を感じる著者。以前にまさる活発な著作活動と介護制度改悪に抗議する社会運動を行いながら生き続ける意欲と姿に感動する。父が右半身不随と失語症に長い間悩まされたので、多田先生の記述によって父の感覚や絶望やリハビリの効果、生きる意欲などを垣間見ているような気になって読み進んだ」。

さて、このたび再度小林秀雄賞を受賞したこの名著を読んだ。2001年5月2日に67歳で倒れ、それから6年間の生活をつづった作品である。謡の「飢えては鉄丸をのみ、渇しては銅汁を飲むとかや」という文句を思い出して嗚咽する。「はじめに」では半身不随で沈黙の世界にいる多田富雄は「昔より生きていることに実感を持って、確かな手ごたえをもって生きている」、「その中で私は生きる理由を見出そうとしている。もっとよく生きることを考えている」と心境を述べている。

脳梗塞になって生まれ変わったと確信した多田富雄は、リハビリによって歩ける日が来ることと、初めてのパソコン操作による文章を書いて社会に参加できるという「希望」を持った。その苦難の道行きは、新たな冒険と探検の世界だった。冒険を試み、未知の世界を感じ、調べ、報告する。再生した多田富雄は探検者として、その後数年を生き切り、健常者にも病者にも、大いなる勇気と優れた啓示を与えたのである。



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