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色彩の饗宴 「今に続く栄光への架橋」 〜 色の意味合いについて Vol.3

色彩の饗宴

作家、杉本苑子さんが体験されたエピソードを。

1964年10月10日。
のちに体育の日となるこの日、開会式を迎えたのが東京オリンピック。

この開会式に参加した杉本さんは、その印象をこんな風に書き残しています。

「うつくしさは想像を越えていた。色彩の饗(きょう)宴(えん)である」
(杉本苑子さん著者より)

色彩の饗宴。

前日の突然の雨にスモッグが洗い流され、どこまでも果て無く広がっているかのような青い空が東京をつつみこんでいたそうです。

各国の選手はその青空のもと、色とりどりのお国柄の衣装をまとって行進を続ける。日本選手団は真っ赤なジャケット。日の丸の赤をモチーフにしたであろうそのジャケットの赤は、空の青とのコントラストが美しく、それはyoutubeなどでも確認できます。

このオリンピックから約20年前。1943年。同じ場所で何があったか。

杉本さんは20年前のその場所にもおられ、その時の状況をつぶさに記憶していたのだそうです。

それは出陣学徒壮行会。

色彩の喪失

戦況の悪化に伴い、未来を担うはずの学生までもが戦地に駆り出された日。

杉本苑子さんの文章を引用いたします。

「二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた」
「色彩はまったく無かった。グラウンドもカーキ色と黒の二色。暗鬱(あんうつ)な雨空がその上を覆い、足元は一面のぬかるみであった。私たちは泣きながら征(ゆ)く人々の行進に添って走った。髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった」

色彩のない世界。

天気は灰色の雨模様。ただ、この時の雨は自然現象ばかりではなかったに違いない。だれもが心の中で泣いていたのでしょう。

色彩に見る文化・慣習の儚さ

1943年と1964年。

20年で体制、文化、風習、すべてがガラッと変わった。

同じ場所で、全く別の風景を見た杉本さんの感覚として、今風の言葉でいうとタイムリープしたように感じていたのかもしれないですね。

20年という月日は、色彩を取り戻すには十分な時間なのでしょう。平和という意味の色彩を。

しかし、それは一方では、同じ時間で全く逆の方向に触れる可能性が秘められているということ。

色彩を再び失うにも十分な時間。

終わらない歌に変わらない色彩を乗せて

そして2021年、再び国立競技場の地にオリンピックが戻ってきた。戦後、日本が積極的に戦争をしたということは無く、それにはさまざまなおもわくもあるだろうが、1964年のオリンピックの精神が枯れずに残っていると信じたい。

終わらない歌に、途切れることのない精神性を乗せて。永遠に響け。


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