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評価尺度という色眼鏡

目標準拠の評価尺度を通さないで、直接、丸ごと、子どもを見よう。
今、学校の先生は、学習指導要領の目標に準拠した評価尺度を作ることが求められ、評価尺度に照らして子どもを見ることが求められている。
そうすると、先生の目には、評価尺度という枠を通してしか、子どもを見ることができなくなって、子どもの丸ごとの姿が見えなくなる。丸ごとの姿に現れた心の声が聞こえなくなる。
評価尺度という枠を通してみる先生の目は、子どもの目にどう映っているだろうか?そこに、温かみが感じられるだろうか?
先生も人間、子どもも人間、共に命があり、感情があり、体温がある人間同士。教室は、互いに学び合う人間同士が集う場。なのに、今の学校は、学習指導要領準拠の全国共通の目標が持ち込まれ、目標準拠の評価尺度が持ち込まれて、人間同士の心の通い合いが生まれにくくなっているのではないだろうか?
教室が、心が通い合い、楽しく学び合って育ち合う場になるために、全員一律の評価尺度を捨てて、生きた人間としての先生が、生きた人間としての子どもを、直接、丸ごと、見ることが大切なのではないだろうか。

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