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育児休業日記締め

二児父の育休日記①(産前から出産&入院)
二児父の育休日記②(退院後1週間)
二児父の育休日記③(生後2週目)
二児父の育休日記④(生後3週目)
二児父の育休日記⑤(生後4週目)


9月に二人目の子供が生まれ、ありがたいことに職場から約2カ月間の育児休暇をいただいた。終わってみればたったの2カ月。僕ができる家事育児は何でもこなしたつもりだが、育児はここからスタートと言って差し支えない。一人目の子供は2歳を過ぎてイヤイヤ期に突入し、毎日ストレスは溜まっていくばかり。その中で学んできたことも沢山あり、これまでに綴ってきた上記のnoteにも残してきた。改めて職場復帰してみて今思うことを育休日記の最後に綴っておきたい。

まず、育児休暇を取得するまでの経緯として、我が家にとっては二人目の子供であり、生まれたての赤ん坊の世話をしながら、保育園に預けているとはいえイヤイヤ期に突入した上の子の世話も妻一人に任せることに危機感を覚えた。これは妻の体調に対しての危機感であり、凄く前向きな性格の妻でも一人目の産後は精神的にも身体的にもかなり参っていたようで、なるべく産後はそばにいて、できることは僕がやりたいと思ったことがキッカケだった。

職場には、妻が安定期に入った頃に育児休暇を打診。こればかりはすんなり受け入れてくれた職場への感謝に尽きる。職場から見れば、勝手に子供作って仕事休むなんて我儘も良いところなのだが、時代が「男は仕事一本という仕事が人生の軸になる生き方」から「夫婦はお互いに力を合わせてどのような人生にしたいかが生きる軸」に変わってきたように思うし、仕事は転職すればいいが、子供ができてしまえば家族はそう簡単に変えられない。僕は家族に時間を割きたいと思ったので育休を選択した。という考え方がもっと受け入れられても良いとも思う。でも、そこで職場への感謝を忘れてはいけないし、育休を取れることが当たり前であるべきだが、仕事を抜けることを許してくれる職場や、給付金がもらえる制度への感謝の念は忘れてはいけないと思う。また、育児休業給付金制度は、職場に手続きしてもらった。詳しくは調べるか、各勤務先の人事や総務に相談していただきたい。

▼育休を通して経験したこと▼

◇僕は妻の痛みを理解できないが、想像はできる◇
出産を経験できるのは女性だけであり、男性はその実際の痛みを感じることはできない。だから、妻が大変そうな時に「わかるよ」とは到底言えなかった。でも、つわりの時は何がツラいのか、陣痛はどんな痛みなのか、出産後の体調の変化など、妻から話を聞いて、自分なりに想像することはできる。男なら誰しも経験することがあるだろうが、小中学校時代に冗談で股間を蹴られたり、不意に局部に衝撃を受けてしまった時の痛みのツラさは女性には理解しがたいと思われる。「あの痛みが断続的に続くとそら動けんやろうな... だったら、今日の家事は俺がするか」と、勝手に想像を働かせている。自分がツラい時に家事育児やってくれたら楽だろうなと、思うと力が出てくるのは僕だけだろうか?妻がツラい状態の時に自分ができる家事育児を率先してやることは男にでもできるのではないかと思う。

人の痛みは、聞くことはできても、100%理解することはできない。だから、痛みを想像して、自分が代わりにできることをやることが大事なんだと思った。

◇感情のコントロールができない◇
家事育児が育休前よりも増えたので、環境の変化に自分のメンタルがついてこなくなった。上の子がワガママを言うことで親からの愛情を確認しにくるし、下の子は泣くことでしかコミュニケーションできない。上の子はとにかくこちらの意図通りには動かない。「皿洗い終わったら絵本読んであげるね」が通用しない。「今この瞬間」に絵本を読んでほしいのだ。公園から帰ってきて「手を洗ってからおやつやで!」が通用しない。手を洗うなんて数十秒でできることだが、そもそも先に手を洗うということの意味をまだ理解できていない。手洗い場まで来たと思ったら、「自分で蛇口をひねりたい」「石鹸は自分でつけたい」「手をふくタオルはパパと同じがいい」といった具合だ。こっちは早く終わらせたいのに、それが叶うことはほとんどない。本来は、「子供がやることは常に時間がかかることだ」と自分に言い聞かせて、本人が自分でやりたいといったことは、どんなに時間がかかってもやらせてあげるべきだし、なぜ手を洗わなければいけないのかを理解できるまで毎日毎日やさしく説明してあげるべきなのだと思う。しかし、社会人になってから子供ができる前までは、仕事もプライベートもほとんど大人としか関わってこなかったので、子供とのコミュニケーションの難しさとそこから来るストレスの対処に苦労しているといった印象である。

上の子はコミュニケーションが取れるようになってきたので、1回でやさしく言えば、言う通りにしてくれるものだと思ってしまう自分がいる。しかし、それとはかけ離れた状態で、食べ方も汚くなるし、行儀も悪い、物を散らかして片付けないし、言うことを聞かない。

実は日記の③と④あたりの時期は、家事全般と上の子の面倒を大方見ていた。毎日ストレスが溜まりすぎて、上の子に対して「鬱陶しいねんほんま!」とか「黙って言うこと聞けや!」なんていう虐待じみた発言まで出てくるもんだから、妻からも「最近言葉がひどいよ...」と言われる始末だった。ひどい時は、自分で自分のものを落としただけで、「あ"あ"っ!!くそっっ!!」と怒鳴って、ちょっとしたことでも癇癪を起してしまうくらい精神的に参っていた。自分のことを温厚な性格だと思っていたが、そんな自分でさえ、たったものを落としてしまっただけで取り乱してしまう。我に返って、そんな自分を振り返ると心底情けなくなった。しかし、冷静になると「そうだ、、しゃべれるようになったけど、まだこの子2歳なんだった。」ということを思い出す。それが分からなくなるくらい精神的に追い込まれていたことに後から気づいた。

それでも、気持ちが落ち着いている時は、上の子にも優しく接しているためか、上の子が「パパ大好き」と言ってくれるのだ。それを思い出すと自分のしてきたことがあまりに罪深く、情けなく、家族に申し訳なく感じ、涙が溢れてくる。

感情が右往左往して、自分のことが分からなくなる日々が続いていた。そこで前回の⑤で書いた妻からの一言「100%全部しようとしてくれてるからなんじゃない?55くらいやってくれたらいいんだよ」が本当に楽にしてくれた。全部やらないといけないと思ってた。育休取ったのに家でダラダラしてる夫の記事とか読んだもんだから、「俺は絶対そんな夫にはならない!妻に楽をしてもらいたい!」と思い過ぎていたようだ。

妻の体調が回復してきた今は、半々でうまい具合に家事育児の分担できていると思う。それでも上の子に対するストレスは変わらないが、「まだ若干2歳の子供」ということを常に頭に置いて接することができれば、これほど愛らしい存在はいないことに気がつく。最近は夜寝る前に、上の子を抱っこしてベランダに出て夜空を見上げる。「お月さま!」「ひこうき!」と言ってニコニコと夜空を指さす娘を抱えて思う。

「家族は何にも代えがたい愛すべき存在だと」

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ここまで育休日記を読んでいただき心から感謝いたします。ありがとうございます。この記事は「僕はこれだけ家事育児頑張ってる夫・父なんだ」ということを見せびらかしたいというヤラしい理由で書き始めましたが、日記にまとめることで頭の整理もできるし、振り返ると家族や周りに感謝の気持ちが出てきました。一人の人間として、また少しだけ成長を実感できました。

それから、この記事を書いている日に、職場には来年での退職希望の旨を伝えました。これまで長らく世話になり、今回は育休もいただきましたが、そもそも在宅勤務無しの長時間の通勤や土曜隔週、日曜も出勤がある仕事なので、今自分が力を入れたいと思っている子育てや、配信にも影響が出ていることはどうしても看過できない状態でした。仕事を辞めることは完全なる自己都合ですが、今の職場でやりたいことがないし、管理職をやりたいとも思っていません。だから、自分と家族のために自由自在に自分のキャリアを変えていく生き方で今後は歩んでいきたいと思います。

ひさしマル

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