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誰かを傷つけないために、自分を傷つける歪んだ発散方法

そういえば、高校生の頃、流行病のようにリストカットをする友達が数人いて、私も自分の腕を切っていた。

友達はみんな心療内科にかかっていて、私は厳格な親に「病院へ行きたい」とは言えなかった。

生理も半年に一度しか来なかった。

「若いうちは安定しないから」と思っていたが、今思えばストレスから来るものだった。

「心も風邪をひくんだから、心療内科に行った方が良いよ」と、リスカ仲間に言われたけども、どうしても親に打ち明けるのが無理で。

兄弟で何か起こると、私が責められる。
何か親にとって不都合なことが起こると、私の自由がなくなる。
そんな中で心療内科に行きたいとは、到底言えなかった。

ある日、私は母親に執拗なほど精神的に追い詰められ、たまたま持っていた肥後守のようなナイフで自分の腕をぶぶぶっと深く切った。

腕を押さえ、嗚咽を上げながら洗面所へ駆け込み、水で流し続けた。

それまでも薄く浅く腕に傷を付けていたが、深く切ったのはそれが初めてだった。

涙も血も止まらなかった。

2LDKの狭い家の中なのに、誰も私が自傷した事に気づいていない。

話なんて聞いてくれるわけないから、気づかれてはならない。

深く切ったとは言え、致命傷には至らなかった。

死にたいというよりも、追い詰められた衝動を発散したい気持ちが優勢だった。

衝動の行き場を自身の身体に選ぶしかなかったのだ。

肥後守のようなナイフは切れ味が悪く、今も痕が残っている。

高校生のあの時点で心療内科に通っていたら、また何か変わっていたのだろうか。

追い詰められた私は、進路選択も大きく失敗することとなるのだった。

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