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2023年 夏の放浪 その2

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 島原から南島原へのバスは、のぼりもくだりも一時間に一本あれば多いほうで、そのうち、港のバス停で、のぼりとくだりのバスの出発時間のラグが十分程度になるタイミングは一日にたった一度だった。まず南島原の港へ行き、そこにあるコインロッカーに荷物をいれたら、十分後に出る反対方向のバスに乗って、行きたい場所を目指す予定に緊張している。バスは時刻通りの運行をしないし、それが出発地の島原駅からうんと離れた停留所ともなれば、よっぽどズレるはずだので、うまくいくかわからない。港の規模感もコインロッカーの位置も、ロッカーに空きがあるかも、すべて不明である。どきどきしながらバスに乗った。


カラーチョコ焼きドーナッツ


 ところが幸運なことにすべて予定どおりに進んで、旅行記として語るにはかえって面白みのない結果となる。無事に港に荷物を預け、無事に反対方向のバスに乗り、まずは有馬キリシタン記念館に行く。最寄りのバス停から十分ほど、猛烈な登り坂である。記念館では電動自転車の無料レンタルをしていて、まずここに向かったのはそのためである。
 訪れたのは開館直後、「ここから原城とか日野江城(ひのえじょう)って自転車でどれくらいですか?」と聞く。「え、自転車でまわるんですか?」と、どうしてレンタルサイクルをしている施設の側の人がちょっと引くのか。
「原城はまあいいとして、日野江城はそこまで近くないので、」と教えてくれる道順は、曲がる場所折れる道だけでなく、スーパーやコンビニなど、「補水スポット」がどこにあるのかまで丁寧に紹介がある。
 
 とうの有馬キリシタン記念館だが、たいへん興味深く、そう大きな施設ではないものの、それなりに時間をかけて見学をした。予備知識をチャージできたのは、あとの行程を思うとまったくもって大正解だった。というのは、このあと訪れるのは、キリシタン一揆の直後に徹底的に破壊され埋められた城というか城跡である。知らずに訪れてもなんのこっちゃわからない。原城はまだ発掘中の遺跡が見られるけれども、日野江城跡はむしろ、発掘された遺構が保護のために埋めなおされている。立地を実感し、思いを馳せ、トポスに酔う。それしかできることはない。
 さてしかし、自転車を借りてひとまずは、海沿いの高級旅館に立ち寄った。お食事のみの利用も可能な小料理屋が併設されている。ほかに店がないというのも理由だが、「割烹」の提灯のさがる、いかにも風雅な店である。暑さと静けさもあわさって、すべての空間になみなみならぬ量感と密度がみなぎる。よく磨かれた板床をわたって、掘りごたつの個室に、電動自転車おりたての汗だく、タイ語でなにやらラフに書いてあるくたくたの色あせたTシャツをまとい、汗のせいなのかまだらに汚く変色している帽子をかぶった、いかつくもないし若々しくもない、ただ弱そうな中肉中背の私ひとりが通されるバランスは我ながらおかしい。逆に、めちゃくちゃな金持ちが酔狂をやってるみたいでもある。といっても頼んだのは五百円の島原そうめんを、単品で、以上で、はい、お願いします。座ってから、ズボンのチャックが全開だと気づく。これでチャリ乗ってたのか。
 麺はともかく、つけ汁が甘く、みじん切りの具材がごろごろ入っており、それはおいしかったしおもしろかったが、これはおそらく店独自の工夫だろう。だから「本場の島原そうめんを食べました」という感想でいいのか不安である。
 

もちろんおいしかった


 歩いている人はおろか、自転車の人さえいない国道を電動自転車で爆走し日野江城跡、次いで原城跡を訪れた。見物人はほかになかった。原城は、発掘の作業員だろう人たちが遠くに小さく見えはした。原城の立地は灯台に似て、海に面した小高い崖から談合島や天草諸島が露骨に臨める。海の風と波の音と、むきだしな感じ。あっけらかんとあらわで、隠し立てがなく、どういうわけか哀感さえ漂う。

 有馬キリシタン記念館へ自転車を返しに行く。二度目の記念館見学でバスまでの時間を潰し、体を冷ます。数十分後のバスで港へむかう。港の近くに、行かねばならないお寺があったのと、船の時間も迫っていたのもあって、「屋上で流星群を見る会」でもらったMAPに紹介のあった「美魔女の集う美容院(喫茶店)」は遠目に眺めるほかなかった。店構えも看板も完全に美容院だが、なかで談笑している女性は、あれはたしかに赤ワインを飲んでいた。
 
 フェリーのターミナルでは南島原の観光VTRが繰り返し流れている。画面左半分ではそうめんならそうめん、魚なら魚の写真がぷるぷると揺れていて、右半分では男装された「天草四郎」がキレのあるダンスを黙々と踊り続ける。無音である。名物の画像は無音でぷるぷる揺れ続け、ハイカラ袴を身に着けた女性が物音をたてずにしっかりダンスを続け、声であれ文字であれ、言葉による情報は決して主張されない。あれはいったいなんだったんだろう。妙な中毒性があり、口をあんぐり開けて無心に眺めた。待合スペースにあるもう一台のモニターではTVが、これは音つきで流されていて、明石海峡での船の事故のニュースが繰り返されていた。

待合スペースのTVでは、明石海峡での船の事故のニュースが繰り返されていた

 船内に差し込む海の眩しさをやわらげるために色をつけられた窓ガラスが、さらに経年劣化で茶ばんでいるので、船室内はまるごと薄く紅茶色に沈み、カセットテープの音の質感である。おなじ船室に、このフェリーの切符を買ったときに対応してくれた窓口のおばちゃんもいて、この人は天草から南島原まで、フェリーで通勤しているんだろうな。今日はもう退勤時刻なんだろう。
 南島原の口之津(くちのつ)港から天草の下島、鬼池(おにいけ)港へ。降りると鬼池港には、原城の方角を見つめる天草四郎の像がある。ここいらの人にとっては、歴史に興味があるとかないとか関係なくなじみ深い存在なんだろうな、と思う。ぼくにとってはまったくそうでない。天草四郎とか、二宮金次郎とか、ビリケンとか、ぼくは自分の子供時代にまったく触れていないので、まったくなじみがない。外国のTVスターみたいなものだ。
 港の一部は工事中だった。イルカたちにひっぱられて海をわたるサンタクロースのオブジェが、工事敷地のはずれに移動させられている。スケッチをしながらバスを待つ。おじちゃん同士と、それぞれの甥か孫か、小学生だろう男の子二人がゆるゆると時間をつぶしている。お迎えらしい車がきて、おっちゃんと子のペアが分かれ分かれになる。残されたペアにも、じきにお迎えがくる。

「あれ」が「イルカにひかれてるサンタさん」です

 天草の本渡(ほんど)という場所に移動する。バスは、ホームセンターや百貨店や病院が独自で運行しているシャトルバスみたいで、路線バスのそれと座席の向きが違う。ちんまりしている。頭がぼうっとする。

 天草での宿泊地は、前日にあわててネット予約したものだが、あわてたために泊数を誤ってしまった。すぐに電話をかけて、泊数を間違えた旨を伝える。
「そうなってくるとお部屋があるかどうか。トラブル用の特別室というのがあるので、そちらに、そちら狭いんですけど、最悪そちらになるかなあ、どうかなあ空いてたかなあ。けど、うちで予約とれなかったら、だって、ほか、ねえ? ですよねえ、ないですもんねえ」迷惑客として電話をかけているが、非常に親身に検討してくれて、「ああ、お部屋大丈夫そうです。たぶん、うんとりあえず、ええ、大丈夫です」ものすごく困らせたうえでの予約確定だった。
 チェックイン時にも、いろいろと丁寧に説明をいただく。

 部屋に落ち着いて、一度散歩に出る。雰囲気のある映画館を見つけ、映画のことをしている友人に思わず写真を送るとすぐに「!」と返信。というのもその映画館は、彼がはじめて制作にかかわった映画のロケ地であったから。そうやって完成した映画のポスターが、もう公開はずいぶん前だというのにその映画館には、まだでかでかと貼ってある。

RRRさすがのロングラン


 
  
 スーパーで売っていた中華惣菜がおいしそうで、それを買って宿で食べたあと、また外出し、夜の商店街を歩きました。すると道に猫がおり、甘えたげにしている。観光地の猫なんかによくある、人にやさしくされ続けているので要求が高い、高飛車な猫。人間は全員が私を撫でたくてたまらないものだと思っている顔の猫。不思議な話だけれど、その猫にかまって、追いかけるように移動したら、扉の前に辿り着いた。扉は開いていて、二階へと続く階段がみえる。明かりも消えた深夜の商店街に、ほかに開いている扉はない。誰もいないし、なんの気配もない。真夜中の満月は月ではなく漆黒の夜空にあいた小さな穴から向こう側の世界が覗いているだけなんだという妄想がぴったり連想できる扉には、ポストカードのおおきさにプリントされた、朝の浜辺から海原を撮った写真が貼ってある。写真にかぶるように「宝島」の二文字があしらわれている。この写真の下に別の紙があり、ここに手書きで「寝るまであけてます ご自由にどうぞ」の文字。階段をのぼると本屋さんで、なかに子猫がおり、明らかにさっきの猫の子である。子なので、じゃれかたが下手なのか、生えてくる歯がむずむず気になるのか、怒ってる感じではないけど隙あらば噛もうとしてくる。横抱きにして棚を眺める。軽い猫アレルギーなので、腕では抱くけれど、警戒する鼻が顔を自然と緊張させる。八木重吉の詩集を買う。

 次の日は、予約してあったバスツアーの日だ。ガイド付きのバスツアーは、予約が一名以上あれば敢行してくれるもので、天草にのこるキリシタン関連遺産をめぐってくれる。朝の十時から夕方五時まで、天草じゅうを巡ってくれる。この日の参加者は私含めて三人、大阪から熊本を経由してきたというおばちゃんと、名古屋からやってきたおばちゃん。ガイドさんは天草生まれ、天草育ちだそうで、バスから眺める景色に対し、自分の幼少時代の思い出も、島原の乱の情報も、どちらもいれこみながら話していくからすさまじい。小学生の時はこのあたりでよくこんなことをして、という話をしたかと思えばすぐ、あ、あの橋のあたり、天草一揆のとき、死体が積み重なりすぎて、川の流れがせき止められたそうです。などと解説される。目の前の情景をどのようにタグ付けすればいいものやら混乱する。ガイドツアーに参加してよかった。
「道の駅」で昼食をとる。「かかしの里」というブランディング(?)を行っており、よくいえば活き活きしたかかし、というか等身大の人形が大量に設置されたその場所はまったくもっておそろしく、「牧歌的であたたかいもの」として扱われているのがなによりこわい。とかいっときながら、かかしでつくられた人間のなかには明らかに水木しげるキャラが紛れ込んでおり、夏の企画っつって「お化け屋敷」が開催されてもいた。こわいので入らなかった。


ヒッ


  天草にある三つのキリシタン記念館すべてを巡る。史家でもある職員さんが解説をしてくれる。ほかの参加者ともほどほどに交流しつつ、これまで本で確認していたものの実物を前にして「こんなにでかいんだ」とか「こんなに迫力があるんだ」とか、改めて驚いておもしろい。事前知識があるとないとでは、やはり差はおおきい。
 村まるごと世界遺産登録されている崎津集落では、さすが世界遺産だけあって観光客が多く、外を歩く人をこんなにたくさん見たのはすごく久しぶりだったし、その人出の背景がただただのんびりした港町なので、違和感の強い光景でもあった。崎津の資料館でも職員さんが解説をしてくれたけれど、同じタイミングで資料館にいたほかのお客さんに気をとられてもいた。信じられないくらい顔がかっこいい人がいた。
 一日まるごと受け身で過ごしていただけだが、なにかをしたような気分でいる。だからこの日は贅沢をする。せっかくの港町でもありますし。地のものを出す居酒屋で時価の刺盛りを注文する。ひらめ、はがつお、おうめ、いしだい、もちうお、しまあじ、しめさば、たこ、はも。温度ややわらかさが絶妙で、歯が刺身を噛んでいくのは浴槽のなかでお湯を握る感触。自分の体が他の体を取り込んでいるなどといった自他の明確な対立を前提とした発想が、非常に単純化されたいわば幼稚なとらえかたに思えます。鯛の歯ごたえと味の濃さは嘘みたいで、なんていうか、ほんもののブドウよりもブドウ味のガムのほうがブドウ味がすると思っているんですけど、そんな感じ。鯛味のガムみたいな。(おいしそうじゃないな……)シメサバにも驚いた。これまで食べてきたシメサバなんて、魚の身に沁み込ませた酢を吸っていただけだった。これはあくまでサバであり、角のとれた風味の酢は、あくまでサバを際立たせるための控え目な薬味であった。なるほどあれは酢でシメるという調理をされた「サバ」である。あくまで主人公はサバである。

今が旬 ウツボのから揚げ


 ひとり前の刺盛りと瓶ビールで二千五百円。財布事情的に安くはないけれど、しかしさらに贅沢を、つまり二軒目へハシゴをした。次も地のものを推した個人店で、店主夫婦の娘だろう、小学校低学年の女の子も手伝いをやっている。すべての席が個室になっており、ために私も個室をあてがわれ、悠々自適にお絵描きなんかしながら、天草の焼酎をなめながら、今が旬というウツボのから揚げと、キビナゴの「ぶす焼き」というのをいただいた。ウツボの、歯が沈むやわらかさ、無視しようのない滋味、淡白さと風味の濃さと身の詰まり方もたまらないが、加えて味付けの甘酸っぱさはほとんど麻薬である。それからキビナゴの、隙なく詰まった弾力と、必ず遅れて膨らんでいく香りに舌鼓を打ちながら、この旅行で使った金額と自分の実際の台所事情について考えが及びそうになればすかさず酒を口に運ぶ。
 しかも、なんと諫早と同様、この日はたまたま天草のお祭りの日で、花火大会がある。二軒目の店を出、港へ向かう。諫早の祭りで感じたいろいろを反芻しながら、出歩く人の数が増した道を行く。
 来場者のほとんどが車でやってきているから、酒を飲んでいる人が全然いない。いま爆発した花火によって、さっき爆発した花火の煙が照らされるのがきれいだ。花火の光が消えると、道はかなり暗くなる。花火がはじける音よりも、その残響や反響がよく目立つ。花火が鳴っているのではなくて、花火によって空が鳴らされている。


いま爆発した花火によって、さっき爆発した花火の煙が照らされるのがきれい

 
 翌日は昼まで部屋にこもって制作をし、午後になってから外に出た。二日前、猫に連れていかれた本屋で紹介された、焼き物をしている場所を目指す。道々飲食店を探したが、ない。あったとしても閉業、定休、昼休み。いじわるなことに「いつもはしてるけど今日はやっぱランチやりません」みたいな張り紙もある。昨晩の贅沢のバチだろうか。天草で寄るべきだと事前に教えてもらっていた本屋も定休日で、かなしい。そして連日のことだがめちゃくちゃ暑い。人はいない。疲れた空腹の体を引きずって国道沿いを長時間歩き続けるつらさを描写するには小説が必要だが、これはそういった文章を一応は目指していないので、その「感じ」を人に憑依させるつもりのない、報告としての発言で済ませておく。が、正直なところ、もっと言葉をつくして、読者にもつらさを味わわせたい。巻き添えくわしたい。焼き物スポットに辿り着いてもフレッシュな魂ではいられずに、たいして滞在もせず場所を出た。工房を想定していたのが、ただのお皿屋さんだった。退店したとて長い距離をまた歩いて帰るしかすることはない。一日のうちでも最も暑い二、三時間をただ疲れるだけの歩行に費やして、げんなり顔で帰宿し、帰りに寄ったスーパーの弁当を食べてから制作し、少し涼しくなってから、必要な素材を買いに、道をはさんで向かいのTSUTAYAに行く。文房具の取り扱いも豊富でクレヨンが色ごとに一本単品で売っている。「天草についての本」コーナーで本も買う。

ごにょごにょ作業している部屋

 
 翌朝は早くのバスに乗って富岡港を目指す。船に乗るためだが、港のそばの富岡城にも寄りたかった。ここも、島原の乱にとって非常に重要なスポットである。
 城のふもとに立つ案内掲示板を眺めていたら「どこ行きたいのー?」と、すぐそばの家の人が話しかけてきた。長い髪を一本のみつあみに垂らしてさらにバンダナで頭を覆い、灰色のTシャツに黒ぶち眼鏡をかけた女性は、底の深いボウルを抱えて近づいてくる。ボウルの中身をくっちゃくっちゃ混ぜる彼女の背後に、たくさんの猫がついてきている。
「どうもこんにちは。富岡城に行きたいんですけど、近い道はどれですか」
 聞くと教えてくれる。教えてくれたとおりに城にのぼり、実際に行ってみると納得できることがあった。一揆を鎮圧しようという側は、富岡城にたてこもりながら、城の敷地におとりとして自ら火を放った。離れた場所で城からあがる炎を目撃した一揆勢は「味方側の別チームが攻め込んでる!」と勇んで城へと大挙した。まんまとおびき寄せられた一揆勢に対し、鎮圧軍は大砲をお見舞いする。この次第を踏まえて現地に行くと、なるほどこれは火をつけたら目立つだろうし、火をつけても本丸は守れるだろうし、と、確かな手ごたえで戦局を納得できた。上機嫌で城山を降りると、ふもとで当然、先ほどの女性に再会する。お互いに顔のはっきり見えない距離から、
「どうでしたぁー?」問われて、
「おかげさまで行って帰ってこれました」軽く会釈しながら近づいて立ち話。
「そう。どちらからなの」
「東京からきました。島原の乱とか、キリシタン関連のことに興味があって。」
「あれは売国奴。かわいそうなキリスト教徒っていうふうにみんな言うでしょ? 同情させようとしてくるでしょ。かわいそうなかわいそうなキリシタンたち、って。本当は違うの。あれは我が国を侵略しようとしてきたやつらに魂を売り渡したやつら。そいつらの政策で、本当はただの売国奴。歴史は全部うそなんだから」
 ……どう対応したものかと視線を泳がせると、福岡から移住してきたという彼女のTシャツの胸にはデカデカと「SHIMANEKEN」と書いてある。なぜ、わざわざ富岡城のふもとに住んでいるんだろう。
 彼女は変わらず、抱えるボウルをこねこねくちゃくちゃ、あたりには、混ぜられている餌の欲しい猫たちが群がっている。私は猫アレルギーです。軽いけど、匹数が多いとちょっとね。
「通詞島(つうじしま)ってのがあるでしょ、あれはね、人身売買の島。天草っていうのはね、奴隷で儲けてきた島なの、奴隷の商売をしている、売国奴の土地なの、ここは。そういうことを隠しているの。」
「すみません船の時間があるので」
 彼女の家の内装や、本棚のラインナップを想像しながら港へ。連絡船の運航はいい意味でファジーで、係員のおっちゃんもおばちゃんもふんわり気抜けている。気持ちいいのだけれど、しかしここにきて改めて、島原の気持ちよさが特別なものだった確信を得る。諫早よりも南島原よりも、島原の空気のぎらついたやわらかさは、官能的といっていい。


この船はフェリーではなく、もっと小さいもの


  船に乗って再び長崎県へわたる。長崎半島の東側の港町、茂木に着く。船着き場ターミナルの食堂でうどんを食べた。ああおいしい。アゴ出汁というのは、酸っぱいわけじゃないんだけど、酸味を感じる手前のなにかを刺激してくる気がする。ヨダレたちがいっせいに噴出する、その一歩手前の状態で足止めをくらってじれったくて、わくわくする。
 船にもう一人いた乗客は自転車乗りのおにいさんで、茂木に着いてから長崎駅までのバスを待つあいだも、ずっとそばにいた。同じ人がいるなあ、と思っている。たとえば週末のショッピングモールで、なんというわけでもないんだけど、いまモンベルにいる人、さっきniko and…にもいた人だな、とか、なんとなく気づいちゃう感じで、連帯感というほどのものが生じるわけでもない。会話もない。
 
 バスは長崎半島を横断するので山を抜ける。山あいの町の景観に驚くが、これはまた別のブロックでの話だ。長崎市中心部には、「宿題」のための素材を調達し、仕上げ作業を行うべく滞在する。
 チェックイン時刻前のホステルにひとまず荷物を置かせてもらい、身軽になった足で東急ハンズへ。めぼしいものはない。市中心部とは言っても車社会にかわりはないから、地図ではすぐ近くに思える距離でも、足で歩くとなかなかである。しかし都会なのでバスの多さと路面電車に助けられまくる。


思案橋商店街

 坂を上り下りしてガラス屋さんへ。店内を物色していると、「なんば探しよりますか」とおばあちゃんが話しかけてくれた。
「これくらいのサイズのガラスや鏡があればいいなと思って」と話すと、
「ああそげなもん、いくらでも切っとうよ」とおばあちゃん。

 ガラスや鏡を好きなサイズに切り出してくれるサービスの存在自体を知らなかったから驚く。そんなことしてくれるんですか? しかしおばあちゃんはこともなげに「ああ、ええよ」と店の奥の作業台へと寄っていく。「見てもいいですか」と近寄って、「それ、なんですか」などと聞いてまわる。

 寝間着みたいなゆるうい服を着たおばあちゃんが、素手で、けろっとした顔で、ガラスや鏡に物差しをあて、ローセキでちょちょっとしるしをつけ、さくさく切れ目をいれ、ペンチで折り、折ったものをじっくり見て「ちと汚れとるばい」などと言って作業台の下のボックスに投げ入れて割り、またやり直す。途中で店に電話がかかってきて、それをとると声がすばらしく高くなり、丁寧な口調となるのがおもしろかった。

「はぁい〇〇ガラス店ですが。はい。はい? あい? すみませんちょっとお声が遠いんですが。もしもし? もしもし?」

 首をひねって受話器をおろし、「わからんね」と言いながら作業場へ戻ってきたおばあちゃんが、今度はグラインダーを出して、ガラスと鏡のバリを簡単に面取りして、「絵を描きよるんですか?」と僕に問う。
「たくさん制作して、たくさん売って、それでまたこんお店にきてくれりゃいいですからね」
 たったの500円を払って店をあとにする。ガラスが割れるのは怖いから、も一度ホステルに荷物を置いてから、こんどは工具や金物を探すために歩きまわる。


 金物屋で留め金具を、百円ショップでトンカチやドライバー等買い物をする道中、レトログッズと呼んだほうがむしろ言い得ているような古い古い金物を、破格の安さ(十円など)で売っている金物屋を見つけて寄ると、これが魅力的なものだらけ、ほくほくでまたホステルに戻って、またまた町に繰り出して、ちょうどいい木の板を探し、発見し、購入し、これでようやく揃えたいものはひととおり揃ったと安心し、ごはんを食べることにした。去年はじめて長崎を訪れた際に行って、おいしかったおにぎりやさん「かにや」へとむかった。
 きちんと話すと長くなるのだが、去年の長崎では、「わらしべ長者」とか「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいに、偶然に偶然が重なって、あっちからこっちへと渡り歩くことで人と知り合い、知り合った人に教えてもらった場所に行って、そこでさらにまた人と知り合い、と動いていて、そんなこんなで巡り合った一軒のバーで教えてもらったのがこの「かにや」だった。
 もちろん、去年「かにや」を教えてくれたバーにも顔を出さない法はない。


塩さば 岩のり 青高菜


 去年、これまたややこしい顛末ののちに来店したバーを、一年ぶりに訪れた。

 開店直後であったため、店にはまだ客がいない。店員さんは、開店作業を任されたのがはじめてとのことで、とにかくばたついている。私の相手をするよりも、店長に電話をかけ、ものの所在を聞く時間の方が長い。手早くつくってくれたハイボールを舐めながら、(おかしな場所だこと)と眺めていたら、お店の人が申し訳なさそうに、
「氷が… ないんですが… 一番近いコンビニってセブンであってますか…… 」と尋ねてくる。
「コンビニっていうか、酒屋さんはすぐそこにあるから、氷ならそこで売ってると思いますよ」と長崎二度目の人間なのに偉そうに道案内をすると、
「行ってくるんで、飲んでてください」と、お店のおにいさんは鍵をあけた金庫もむきだしの店内に私を残したまま外の看板をしまい、シャッターも閉めて買い物に出てしまう。
(おかしな場所だこと…)とひとり、暗い店内でカウンターに寄り掛かる。換気がないと空気が臭い。顔をしかめつつ、(この店、おもしろエピソードが生じる打率高すぎる…また絶対こよう)と決心するが、今夜は制作の仕上げをせねばならないから、お兄さんが戻ってきて、ハイボールを飲み切ったら退店し、この日何度目かの帰宿である。(つづく)


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