2023年 夏の放浪 その1
2023年の7月末から8月頭にかけての10日間ほど、長崎あたりを放浪していました。記憶が鮮明なうちに、その記録を書き残しておこうと思う。事情や出来事が入り組んでいるために、話の軸ごとに書き分けます。インデックスは、
0. 旅程
1. 人との交流、出来事
2. 歴史について
3. 感じたこと、気づいたこと
4. 「ガイドブック」と小説について
5. 「宿題」について
0.旅程
長崎空港に着いたら、そのまままっすぐ諫早(いさはや)にむかい、その日のうちに島原へ移動する。島原にしばらく滞在したのち、島原半島をぐるっと南下して、船で天草を訪れる。数日滞在し、再び船で、今度は長崎半島へ移動する。長崎半島の南端、野母崎(のもざき)に滞在してから、長崎市中心部にも立ち寄って帰路につく。
泊まるところや移動経路について、ほとんど決めずに出発した。「いけばなんとかなる」と思っていた。いや、まあ、結果的にはなんとかなったのだけれど、これはもうラッキーとしか言いようがない。
旅の狙いは目次通りで、
1・再会したい人や場所、出会いたい人や場所があり、
2・当地の歴史についての理解を深めたく、
3・放浪によって自分の心になにかを感じさせたい。それに、
4・「ガイドブック」をおおいに参照しながら小説の制作を練られればうれしいし、なにより自分には、
5・いわば「宿題」が課せられていたので、提出しにいく必要があった。
前年の2022年に初めて長崎を訪れた。だから今回は一部、再訪でもある。
1.
人との交流、出来事
「昼に外にいた」を死因にトカゲが自動的にミイラになる酷暑である。長崎空港に着いたのは昼ごろ、そこからまっすぐ諫早にむかう。バス代の支払い方法は二通りあって、事前に券売機でチケットを買うか、バス降車時に現金(紙幣は千円札のみ)で支払うか。ICカードは使えない。事前にチケットを買わずにバスに乗り込んだあとで財布に一万円札しか入っていないことに気がつき、運転手さんに断って、車内に荷物を置いたまま券売機に走った。かなりずさんな計画の旅のはじめのはじめに、極小規模とはいえ、さっそくのトラブルにぶつかるからちょっと心配になる。車窓を眺めて、うとうとして、目が覚めて、そしたらもう着いている。
長崎県は三つの半島に分岐しているが、諫早は、その中央に位置している。だから県内の交通のヘソ、要所である。この立地と知名度を思うと、諫早駅周辺はそれなりに栄えているものと思っていたのだが違った。建物や店屋自体が少ない。車社会であることと酷暑もあわせて、生きて動いている人がいない。広い空、快晴の夏、道幅は歩道も車道も広く、駅前通りに閉まった店屋、閉鎖されたバスセンター、ときおりトラックが国道を駆け抜け、あわせて地面が揺れる。人影のない駅周辺をとぼとぼ散歩すると、たまに中学生の集団に出くわす。生きた本物の中学生である。数人の中学生たちだけが生き残っているのか。それとも、無人の町へ実験的に連れてこられているのだろうか。(夏休みだから外で遊びたいけど、交通手段が限られている、というカラクリなんじゃないかと推測します。)
お祭りのポスターが目についた。なんと今夜おこなわれるとある。なんていう偶然だろう。島原に行くのは、お祭りを見物してからにしよう。
諫早にある「リサイクルセンターACB(アシベ)」というリサイクルショップに、たまにへんなものが置いてあるよ、という事前情報に従って、田んぼと川とを縫うように北上する。道中、友人と、絵についてのメールをやりとりしながら、汗みずくになって辿り着くとACBは定休日だった。ACBにどうしても行きたいわけじゃなく散歩の口実にしている面はありますから、そんなに残念ではない。しかしあまりにも暑い。なにも食べてない。すでにもう、夜よく眠れる自信がある。
諫早駅周辺まで戻って、昼食をとれそうなところを探して歩くが、ない。とにかく屋内で涼みたい一心でうろついていて、ようやく見つけた店屋がなんのお店なのか、よく確認しなかった。迎え入れてくれた店員さんは、にこやかに案内してくれる。ワンちゃんコーナーは右手奥です。いまニャンちゃんグッズの特集をしていて。
「いや、ペットはなにも飼ってなくて。すみませんね、暑くてついね、ふらっと入っちゃって、えへへ」とへらつく。へらつきついでに、
「なんかおすすめの場所とかありますかね」尋ねると、
「うーん。橋がありますね。や、ただ橋があるだけですけど。まあ今日はお祭りがあるんで、大きなお祭りだし3年ぶりだから、それは賑やかだと思います」とのこと。礼をいって店をでて、さらに歩く。
本諫早駅という隣の駅のエリアに近づくにつれ、ここで初めて商店街がみえてきた。しかし、夜のお祭りにそなえてだろう、どの飲食店も、奥に立ち働く人の姿を覗かせておきながら店の営業はしていない。腹は減ったがしかし、動く、まだ生きている人間の姿をたくさん目にできたのはうれしかった。
やっとやっとやっと一軒の蕎麦屋に行き当たる。ウィンドウの食品サンプルの蕎麦はまったく見たことのない盛られ方。丸くて底の浅い皿に平らかに盛られた蕎麦の中央に、大根おろしが富士山型にどでんと鎮座し、頂上にはワサビの緑が映えている。この大根おろし富士を中心にしてサヤインゲンあるいはエビ天が放射状に3つ4つ。ハンドスピナーやテトラポットのかたちにもみえる。もしくは家紋。
本店は静岡にあるのか、店内にこんなファンレターが飾ってあった。「静岡から引っ越すことが決まって、もうあの蕎麦が食べられないと思えば悲しかったけど、諫早店があってほんとうによかった。大好き。」
汗をかきまくった体はなにより塩分を欲していたのでダシの味なんてわからない。じんわりしびれるふくらはぎを休ませながら、冷たい蕎麦茶を胃袋に落とす。食べ終えても、日記を書くなどしてしばらく過ごした。するとその間に、祭りにむけ商店街の状況が変わっていたようで、店を出ると人がたくさんいる。『千と千尋の神隠し』で、千尋家族が迷い込んだ町に夕暮れが迫ってきたシーンみたいだった。しかし祭りまではまだ時間がある。空もまだまだ明るい。文房具屋で消しゴムと鉛筆削りを買ってから市立図書館、次いで、諫早歴史美術館に寄った。企画展ブースでは過去の大水害についてのパネル展があり、今夜の祭りは、その水害にむけて捧げられたものなのだった。夕方が近づいてくる。町にはより一層の活気があふれ、川沿いには屋台が並べられはじめる。中学生以外の年齢の人間もたくさん登場している。子供を抱いた若いお父さんに、「落としましたよ」と、気づかぬうちに落としていた財布を拾ってもらった。ありがとうございます。
島原へむかう鉄道に乗ったのはもう夜中だった。
到着した駅舎は路面電車よりもなお素朴で、駅舎もその周囲もとにかく真っ暗である。電車を降り、暗闇を手探りで移動する。肌にぶつかる風のまろやかさが違う。「海の匂い」とか「潮風」というほどではないが、潮の気配が鼻をくすぐる。いま思うと、視覚がそんなに幅を利かせない状態で島原の環境とはじめて接したことは、ものすごい幸運だったのかもしれない。
ビジネスホテルの受付のおばちゃんはフレンドリーだった。
「あらあ、いま着いたんですか? こんな真っ暗ななかを、どうもね」
「いや、けど、潮っぽい感じのにおいがしたりとか、いい感じですね」
「はぁ。そうですかねえ。においします? 私はそれはわかんないなあ」
くたびれてくたびれて、まだ一日しか経っていない。
長崎県内に散在する「リサイクルセンターACB」の存在を知らせてくれたのは、長崎市中心部に店を構える本屋の店主で、彼からはそのほか、「島原に行くならぜひ」と教えてもらっている店があった。「古着とか雑貨とか、本とかレコードとか、コーヒーとか、なんでもあって、居心地のいいカルチャースポットがあるんですよ」調べると、昨夜のお祭りに続き、なんとたまたま明日イベントが予定されていた。夜の十時からという遅い時間にはじまるのは「みんなで屋上で流星群をみる会」。参加するほかに手はない。
寝て起きて朝になって、島原の景色を目で眺められるようになった。三階にある部屋の窓から、まずは遠くにそびえる雲仙をあおぎ、そのあと、もっと近くへと視線を落とす。ビジネスホテルの前の道をはさんだ向かいの一軒家の庭に目をやると、なにかが動いている。庭、というか、玄関横のかなり広い範囲がまるごと柵で囲われているのだが、そのエリアで白いものがちろちろ跳ねている。1と2と、あ、まだいる、3、とあっ、4、4、か。4羽のウサギが元気よく遊んでいる。穴掘りに夢中なのが1羽、追いかけっこに興じるのが2羽、ひとりでただ走りまわっているのが1羽。元気のいいウサギをしばらく見てから部屋を出てエレベーターに乗る。フレンドリーな、フロントの人に話しかけた。
「今夜、遅い時間に外出する予定なんで、帰ってくるのも深夜になるんですが、フロントいつまであいてますか?」
「あらあ、なにがあるんですか?」
「今夜は流れ星が降る予定らしくて、それを眺めるイベントがあるらしいんですよ」
「はぁ。そうなんですか。流れ星かあ。今夜? 私それははじめてきいたなあ」
朝の散歩の、気持ちよさったらない。これもこのブロックの軸には関係がないのでここでは書かない。店内飲食も可能だがシステムがわからない総菜屋でおにぎり弁当を食べた。おいしかった。
観光センターでいろいろと案内を乞うてから、今村刑場跡という、キリシタン弾圧の現場(でもあるし、キリシタン関係なく刑場であった)を訪れ、それから港に行った。と、書くと簡単なのだけど、あの暑さのなか歩くのが信じられない距離であったことを書き添えておく。道中、ホームセンターを見つけて、マスキングテープと接着剤を買う。
島原港そばにも「リサイクルセンターACB」があり、今度は営業中だった。アクリルフレームというのか、自立する額というか、十センチ角の緑色のスタンドを購入する。
数時間歩き続けてすでにTシャツは塩を吹いていたがまだ昼過ぎである。これからどうするか悩んで、一時間後のバスで雲仙岳まで行くと決めた。ばあちゃんのやっているラーメン屋でちゃんぽんを食べて駅の待合に戻ると、たまたまそこで出会ったんだろう二人が立ち話をしている。ひとりはおばあちゃんで、おばあちゃんのマシンガントークをにこやかに受けているのは大学生くらいの年頃にみえる女の人だ。この人の応答は聞き取れるけれど、おばあちゃんの言葉は訛りが強くていっさい聞き取れない。すさまじい早口である。
バスに乗れば、この半日、へとへとに歩いてきた道もすいすい進む。車ってすごい。車窓の景色と島原の地図を頭のなかで重ね合わせながら雲仙地獄へ。ここもキリシタン弾圧の場であるが、大雨の被害の傷跡もなまなましい。
バスを降りたあたりのベンチで六十~七十歳代の男女が談笑していた。女性の声が耳に届く。
「それでさ、お前が先に死んだら俺もいくっていうもんだから、「勝手にしろ」って言ってやったのよ、がっはっは」思わずきちんと注意をむけると、男性のひとりが相槌を返す。
「一緒にいくなんて言っても、そんな都合よくはいかんわなあ」
「先にいっても、相手がいくまで辛抱するのはマナーだろ」と別の男性。笑い声があがったので「もしかして……?」と思ったが案の定、おそらくさっきの話の主導権を持っていただろう女性が
「なんでその話題になるね がっはっは 昼からセックスの話しちゃってさ、がっはっは」と大笑い。
ストレートな下ネタへと急カーブした話がそもそも結局どんな関係性についてのエピソードトークだったのか調べられないままに、ひとしきり笑った女性が「じゃあね」と戻っていくのは、バス停のそばの飲食店。彼女はそこのおかみさんであるらしい。
炎天下の雲仙で昼から老年のフルボディな雑談を目の当たりにしたのち、雲仙地獄をめぐる。最後、ビジターセンターでひと休みをしつつ日記を書いて、それからバス停に戻ってくると、自分のバイクの荷台にのせた柴犬に対して大声をあげながらお菓子を投げ、たまいれの要領でうまく食べられたら褒めてやる、ということをやっているおじいさんがいる。そのおじいさんの声量の過剰さや服装の奇抜さ、柴犬の乗る荷台にはへんなサイズのパラソルが刺さっているし、極めつけには、誰かが通りがかるタイミングを狙ったようにその芸をやりはじめるところなど、どう見たって、「ちょっと変わったおもしろおじさん」として周囲に自己顕示するためにやってるのが明らかで、おれはそういったおじさんに厳しいので、無視をしました。
雲仙から戻って一度ビジネスホテルへ戻る。フロントに「すみません、もう一泊お願いできませんか?」と頼む。当初は次の宿を探しながらちょっとずつ移動していくつもりでいたのだが、南島原や天草に、そもそも宿自体がなくて、それくらいのことなら事前に調べておけばいいのにやってなかったものだから、内心たいへんあわてています。ちょっと寝る。
「屋上で流星群を眺める」イベントの開始時間に間に合うようにホテルを出て、夜の商店街を抜けきってお店へ。星は見えない空模様ではある。
常連さんの集まりに飛び入りするかたちになるのも気が引けたので、事前に「行ってもいい?」と軽くお伺いをたてていた。そのため、はじめてやってきた「知らない顔」に対して、「もしかして、メッセージくれた人ですか?」とお店の人から声をかけてくれた。
もともと動物病院だった建物の一階をリノベーションしているそうで、どうりで間取りが独特だ。お店に置かれたお手製の「島原半島MAP」には、店主の独断で選ばれたおすすめスポットや、おもしろい人の情報が並んでいるのだけど、この日の集まりには、そのMAPに紹介のある「チャイさん」も「兄さん」も「SUGAさん」もやってきているから、なにもない状態で初対面をやるよりも話題があるし覚えやすい。
もうすでに仕上がっている「輪」のはずれの、いかにも見学席っぽい位置で全体の雰囲気を眺める。すぐ近くに座っている、諫早出身・在住だという二十歳の青年がにこやかに相手をしてくれて、少し場があたたまったところで屋上へ移動した。
屋上のぼろぼろの看板は、そう思ってよく見てみると「動物病院」と書かれていた跡を見つけ出せる。さまざまな椅子をならべて座って、「チャイさん」がずっとニャンちゅうのモノマネをしている。空には雷。音はなくて、雨もなくて、ただときおり空が真っ白く光る。「いまの大きかったね」「あっちのほうが根元だよ」など雷をウォッチしながらのんびりと過ごす。人はみんなはにかみ屋のように見えた。特別警戒されたり、嫌がられたり、退屈がられたりはしていない印象を受けた。まあ、そりゃちょっとはあるかもしれないけれど、表情にはむしろ、困っているような照れているようなにやつきが忍んでいて、こっちも安心してぼけっとしていられる。歳を取って、無意味な気負いをせずに過ごせるようになってきた自分がいるというだけなのかもしれないけれど。
屋上からおり店のスペースに戻って、結局日付が変わるまでその場で過ごしていた。激しく会話をして盛り上がるんじゃない。居心地がよくてずっといてしまう。部屋の隅では「チャイさん」がずっとギターをひいていて、店主は静かにうとうとしている。帰り道は「兄さん」と少し歩いた。空にはずっと音のない雷。
翌日、午前中は部屋で制作。長崎に原爆が落ちたとき、島原ではどんなふうだったんだろう、なんてぼんやり思う。すると昼過ぎに外へ出て、海の方へ歩いたらちょうど「霊丘公園」というのがあって、原爆の慰霊碑があった。いかにも漁港らしい通りを抜け、「兄さん」のやっている洋食喫茶でカレーを食べる。お店はほんとうに海のすぐそばで、船の部材を作ったり、修理したりするような場所を改装してつくられているからそれもそう。カレーのうえにこんもり盛られている島原産の野菜はどれもとてもおいしい。味付けには「塩と出汁しか使ってない」とのこと。
「兄さん」にこれからの予定を聞かれるが、特に決めていないとこたえたら、「チャリ使っていいっすよ」とありがたい申し出をいただき、甘えて、自転車を借りる。徒歩やバスとは違う動きを味わいながら、島原じゅうを自転車で移動した。MAPを手掛かりにして、普段は雑貨屋をしているらしい場所に辿り着く。店内中央のテーブルに、ごたごたっと画板や筆が置かれていて、店主らしい女性が、紙に印刷されたちゃんぽんのイラストをトレースしているところだった。「いま、お邪魔してもいいですか?」話しかけ、促されて店内へ。ああ涼しい。
夏休みの子供たちを集めた造形ワークショップの準備中だったそうで、自分も絵を描いているし、子ども造形教室で働いてもおります、と、そういった自己紹介をしたら話が盛り上がった。子どもの絵の「あるある」がぶつけられる。
「私ね、子供たちみんな、「虹の闇」を抱えてると思ってて。どこの大人が植えつけたのか知らないけど、子どもたちに絵描かすとほんと、どの子もどの空にもとりあえず虹、とりあえず虹かいとけばいい、みたいな。虹が悪いってんじゃないんだけど、そればっかりだから、ちょっともうこわいぐらいで」
店主さんは大阪からの移住者で、そのために、島原出身の人にはかえって通じなかった話もできた。島原の空気の質感、景観や環境の独特さについては、そこで生まれ育った人よりも、外からきた者同士のほうが盛り上がる。
話していると、近所の人が赤ちゃんを連れてやってきた。近頃この店に顔を出していなかったのは出産をしていたからで、ご無沙汰しちゃってすみませんけど、実はこういうわけだったのとのあいさつに、生後二か月のお子を連れてやってきた。ちっちゃいちっちゃい。二か月とは思えないほど髪の毛が黒々ふさふさしていて、うらやましい。
母子を見送ってもまだ私はその場にとどまってお話をしていた。次第にワークショップに参加しに子供たちがやってくる。「誰こいつ」という戸惑いを浮かべたあと、しかし知らない大人の登場に興味を隠せない子供たちに手を振って退店。教えてもらったパン屋で翌朝のごはんを買って、自転車を返しに行く。貸してもらったときには、「てきとうにしまっといてもらったらいいですから」といわれていた。
道中のスーパーでポカリスエット粉末の箱を買って、一度ホテルに戻る。ポカリは自転車のお礼に、と思って買ったんです。フロントの人に「いま裏の駐車場に自転車停めてます」と一言伝えて部屋に戻り、ポストカード大の画用紙に自転車のお礼をかく。文字だけではさみしいから、カレーを食べる前、お店の前の、海へと続く階段に腰かけてスケッチした港の景色を添えて、さていよいよ返しにいこうとフロントに降りたら、
「雨降ってきたから、自転車、地下の駐車場に移動したほうがいいかもよ」と教えてもらう。「夕立だから大丈夫、三十分もすればやむと思いますよ」と励ましてもらう。
実際ものすごい雨になったから、フロントの人に止めてもらえなかったら、たいへんなことになっていた。雨がやむのを待つ間、さっき買ったパンを食べてしまう。
改めて自転車にまたがった。ちょうど店の閉め作業のタイミングに行き当たったので、「兄さん」に会うことができ、直接お礼を言えた。
「そうだ、今日、夜、食べる場所決まってないなら、すぐそこにある居酒屋、あそこおいしいですよ」
「ついでに、おすすめのメニューとかあったら教えてもらってもいいですか?」と図々しくも踏み入って、「焼き鳥、焼きナス、刺身」との情報をゲット。まっすぐ居酒屋を目指す。
お店のカウンターにひとり飲みのおっちゃんと一組のカップル、奥のテーブル席にもひとり飲みのおっちゃん。そのさらに奥の座敷席には赤ちゃんが寝かされていて、おかあさんとおばあちゃん(二人ともお店の人)が赤ちゃんの足や頬をふにふに触ってほほえんでいる。奥の席のおっちゃんも、振り返って赤子のふにふにされているさまを眺めながら、鷹揚な態度で焼酎を水で割っている。「暑かねー」そのおっちゃんの、誰に言うでもない声が非常におおきい。
刺身と焼きナスとビールを頼んでテーブルに座ると、奥のおっちゃんに話しかけられた。
「そげなひとりでおるとさみしかねー」
何往復かやりとりをして、東京からひとりでやってきた旅行者だということを伝えると、お店の人もカウンターのカップルも、みんなこっちを振り返って「ええっ!」と驚いて、旅行者の持ちがちな主人公意識がなぐさめられる。
カウンターにいるほうのおっちゃん(二年間東京、しかも中央区で暮らしていたことがあるらしい)と、おとといみた諫早のお祭りの話をぽつぽつする。
昨日の屋上もそうだが、話しかけたり話しかけられたりにハードルを感じないゆるやかさがある一方、話をしないでいることについても、なんの気詰まりや緊張のうまれない、「猫の集会」みたいなほったらかし感が心地よい。
お店に4、5人まとめてやってきた。引き連れているのは杖をついた、精悍な顔つきの老人で、すでに店内にいたみんなからセンセイと呼ばれている。センセイはテーブルへとうながされ、ほかの人たちは座席にあがって、私は胸の内で「ひとグループじゃないんかい!」とツッコんだ。
「暑かねー」のおっちゃんとセンセイが話をしはじめる。二人とも声がおおきい。ぼくはたまに、カウンターのおっちゃんと話す。ところが急に、「暑かねー」のおっちゃんにロック・オンされてしまい、センセイまじえて話すことになった。距離があって話しにくいのでセンセイの席に移動した。
センセイの喋り方だが、ちょっと聞くと支離滅裂なようだが、ちゃんと聞くとそうではない。学者タイプの頭のよさがいきすぎると陥る、脚注がものすごく多い喋り方なのだ。なんとか食らいついているうちに、
「あんた、話ができるねえ」と褒められ、そして実力を試験される。「あんた、この人知ってる?」固有名詞が連発されて、知識の程度を試されるのだ。都はるみ、吉本隆明、井上荒野、池波正太郎、龍造寺氏、エトセトラ、エトセトラ。この試験は非常に簡単で、すべての設問に「知っている」とさえ答えればパスできる。だって深堀りされないから。ぼくは全問正解を叩き出した。センセイは叫ぶ。店内に響き渡る大声を張り上げ、テーブルを叩く。
「一人で島原まできて、そんでこんな狭いこの店にくるなんて、あんたは偉い! みんな、この人は偉いよ!」僕のことをベタ褒めしてから、僕のビール瓶をやおら持ち上げて「ね、これはあなたのおごりね、ヒヒヒ」と自分のグラスになみなみ注ぐ。
中上健次と相撲をとったことがあるというセンセイに、自分の論考の乗っている雑誌の宣伝をされたのち、「暑かねー」のおっちゃんも交え、店じまいまで、島原の乱についての話をした。明日は南島原へと移動する予定だ。
(つづきは以下)
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