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2023年 秋の香川 その3

(前回はこちら)


 
“歌って踊れる似顔絵男女ユニット”の“このよのはる”の長崎リサは大学のころの同級生で、卒業後もたまに遭遇するのでいまだにゆるくつながっている。
 彼女は“このよのはる“以前から、渋谷の路上にブルーシートを敷き、ギターを弾き、足を止めた人の似顔絵を描いて生きていた。公園の木の上から雑居ビルの屋上まで、いろいろなところをねぐらにして、雨の日には居酒屋を巡って「流し」をやる。(眠れる木や、ちょうどいい木のある公園の情報や、安定して眠る眠り方などを教えてくれるおじさんがいるらしい。そのおじさんは、外で夜を過ごす人たちとの弱い関係を維持しながら、代々木公園を中心にいまもきっと彼の日常をやっている。)(長崎リサが雑居ビルの屋上に住んでいたころ、一度だけその「家」に遊びにいった。ビルから見下ろす渋谷は相変わらずの賑やかさだが、地上から離れた屋上は暗く静かで、ビルの排熱で寒くはないけれど涼やかではあり、眼下にひろがる渋谷の現在と、自分のいる現在が別の質のものとして分別されるさみしさは懐かしく、美しいものだった)

 彼女らはエライもんでもう10年ほどそうやって暮らしている。全国を放浪しながら投げ銭ライブを行い続ける二人はこの放浪を「全国ツアー」と銘打っており、この「全国ツアー」の開催地が急に高松になった。昨夜SNSを開いたら、「あした高松に行ってライブをすることになりました」というお知らせが目に入ったのだ。慌てて電話すると詳細を案内してくれて、その会場が「なタ書」だと教えてもらった。


 植物に覆われているから、そいつらを足でかきわけないと店に入れない。階段をあがると本でできた洞窟が広がっていました。この奥に鎮座する店主のキキさんは中島らもを彷彿とさせる喋り方で、「今夜のライブは、トークを多めにした、ライブにしようと、思っています」と宣言する。山崎まさよしが「あまり歌いたくない。トークを多めにやりたい。」と宣言して、2時間半のライブで8曲しか演奏しなかったために炎上さわぎを起こしたという時事ネタに目配せをした発言だが、しかし冗談じゃない。マジでその通りになった。
 誰よりも遅れてやってきた“このよのはる”のふたりを前に、キキさんは常連客のひとりに千円札を渡して「酒を買ってきなさい。ビールを三缶」と乱暴に注文する。頼まれた側が「え、私のぶんは?」と聞き返すと、「私の酒を三本買ったら、自分の分を自分で一本買いなさい」と指示を改める。




 僕は僕で、自分の分と、それから“このよのはる”二人の分の飲み物を買いにローソンまで走り、ライブがはじまる。一曲が終わると、キキさんはステージサイドに椅子を持ってあがりこみ、客のひとりを指さして、その人をインタビューするように10~20分ほど話す。で、「今の話を受けて、なにか演奏なさい」と“このよのはる”にバトンタッチ。この流れで数時間、結局4,5曲ほどの演奏になったろうか。ふたりが(二人同時に!)似顔絵を描く芸当を眺めたり、やけに口のまわるお客さんのマシンガントークが尽きないのをみんなで制したり、「トーク多め」の空気感に付き合いきれずに別室に移動して雑談にふけるお客がいたり、だらしなくて自然なリラックスの時間が終わると、キキさんは「じゃあ、高松の町に出ましょう」と宣言する。“このよのはる”の活動の目玉でもある、「ゲリラライブ」の時間となる。

 まず一軒目はなタ書とも近いスナックで、わたしはスナックというものにはじめて入店しました。それから古着屋やらなんやら、いろいろな店にアポなし突撃し、あるいは商店街のアーケードで歌いながら歩き出すとか、好き勝手な練り歩きである。夜のアーケードに設えられたベンチで語らう高校生カップルに、「一緒に歩こうよ」と声をかけると、「これから塾なんで」と断られる。そんなわけあるかよ。

 もちろん誰もが好意的なわけはない。そもそもが「迷惑行為」です。なにせ自分から「ゲリラ」って言葉を使っている。相手の事情は斟酌せずに、強引に角付けをしている。なかでもひどいのが、路上でたまたまぶつかった知り合いをその場に座らせた瞬間に曲がはじまり、その道に面したホテルの職員が手で「しっ しっ」をやりに近づいてくるなか歌が終わる、と途端「投げ銭ライブとなっております」と投げ銭ボックスが突き出される。カツアゲである。沙漠でラクダから降りると渡されるコーラがサービスじゃないとか、信号待ちの間にストリートチルドレンが窓拭きをしてくるとか、それと同じ商売である。

 ポルノ映画館へ「絶対に無理だけど、行ってみましょう。百パーセント無理だと思います」と、筋の通っていないアタックをすることになるが、これを先導するキキさんは私にむかって、「君が説得をしにいきなさい」と命じるのだ。ちょっと粘ったけどやっぱり無理でした。

 あるいはライブ中のライブハウスに「ゲリラで一曲どうですか」と突入し、ステージの終わったばかりのミュージシャンに激怒される。血走った眼を見開いた、恰幅のいいミュージシャンにすごまれたキキさんは道に正座で「はい、はい、ごめんなさい」と平謝りだが、この言い方や声の調子がかわいくなくて、あとで「あの言い方、あおってるみたいでしたよ?」と指摘すると「ああいう図体の大きい人っていうのは、うち太ももが弱点なんですよ」としれっとしている。

 交番があると、「そこに交番があるから」という理由で入って行こうとするキキさんも、相手の事情を斟酌せず道々で歌って踊って事故的に人とぶつかりにいく“このよのはる”も迷惑な人である。非常識な人である。一部の人には確実に嫌われる。とはいえ頭のよろしい方々の「寛容さ」によって許された異物「風」のなにかではなく、れっきとしたストレンジャーとして「ただ、ある」が起こっている。高松の商店街は健康的だな、と思った。梅田でも高円寺でも博多でも芦屋でも白金でもなく、高松なのが具合がいい。

 カメラを回していた。撮ったものを編集したら、思いがけず、よいドキュメンタリーになった。みんなの美しさや迷惑さ、愛情や自己本位やずるさやしたたかさ、懸命さと茶目っ気ときらめきをとらえることができた気がしておりますよ。




…という夜を過ごしていたために、予定よりだいぶ深い時間に帰宿することとなりました。下見も設営もちっともできなかった展覧会は明日スタートなんです。ゲボでちゃう。朝の3時4時まで制作です。


やるぞ~


 3時間寝て、荷物をまとめて展覧会会場へむかう。高松駅で乗り換えて、宇多津駅で降りて、駅のベンチでノートPCを開き、必要な書類を仕上げたら、駅のwi-fiでセブンイレブンのネットプリントサービスに飛ばし、駅そばのセブンイレブンでプリントアウトし、それから会場へ。小池さんは先にいらしており、度重なるZOOM会議のため対面するのが久しぶりという気はしない。制作の締めをして設営をして、ギリギリで完了したので胸をなでおろす。ご飯を食べにいく時間を持つことに成功。マグロ丼屋さんに行きました。マグロ丼オンリーの店で、種類(キハダ、クロ、ビンチョウ)や部位や漬け込み度合を選ぶことができる。そして午後のオープンを迎えました。


 さて展覧会です。
 東京で描いた絵を持ってくる(①)だけじゃつまらないので、何日か前から瀬戸内海のそばで過ごし、その日々のなかでなにかをこしらえて(②)、さらに展覧会会場の空間自体に操作を加える(③)という、3つのことをやりました。
 上の文章を読むと、「え、じゃあ絵持ってくる必要ないんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、いえいえそんなことはない。
 絵があると、「展覧会をやってます」という姿勢をわかりやすく伝えられる。空間全体の自己紹介としての絵を、色やかたちが、建物のつくりや壁の日焼け跡と重なったり響きあうように配置したうえで、ピクチャーレールを何本かまとめて下げたり、もともと刺さってる押しピンにスポットをあてたり、「これは作品なのかな。というかどの程度作為なのかな。」「これはわざとこうしてるのかな、それともたまたまこういう場所なだけなのかな」などと目で探ってしまう地味な仕掛けをつくる。疑り深くなった目がいろいろなところに注意をむけるせいで、知らない場所に連れてこられたチビっ子のように空間をわくわく探索することになり、さらには、そういった探索の時間を過ごすことで、そうじゃなきゃ気づかなかったようなわずかな風の揺らぎ、においの動き、光のちらつきを観測できてしまう、という動きに、やってきた人を誘い込むための展覧会でした。


 近所の人、スペースの関係者、小池さんのお友達や“このよのはる”のふたり、あるいはどこかでお知らせに接し、わざわざ気にしてやってきてくれた人。ぽつぽつと人がきてくれる。
 もっとたくさんの人に見て欲しかったし、クリティックが欲しかったってのが正直なところです。これは、2023年年始に行った展覧会のときもそうだった。それまで自分が住んでいた家で、その土地の歴史に取材をした作品と、それからその家=展示会場自体をロケ地にして撮影した映像作品とを発表したのだが、せっかく「この場所でやってます」の意味の濃いヘンテコなことを、たのしんでもらおうと思ってやっているので…… けど、自分としてやってて楽しかったです。お金というか仕事というか、なんとかつなげていかないと……


年始にやっていた展覧会会場(住宅) 出窓の目張りにご注目を・・・

 初日は「海の本」についてのトークイベントが行われました。中心となる登壇者は五名、それぞれがイチオシの「海の本」を持ち寄って、紹介していき、質問をぶつけあい、最終的には、聞きに来てくれている方々も交えて海の話をする。

 夜は小池さんと、小池さんのご友人と三人で飲みにいった。車社会だからか、定食やラーメンも提供しているし、居酒屋としての側面もある、という業態の店がちらほらある。正直かなり疲れていたのもあり、なにを話していたのかよく覚えていないが、普段よくお世話になっている古本屋さんの人生をほかの人の人生と勘違いして、「そういえば昔これこれこうしてたって言ってましたよね?」と話しかけたときに「いや、それ俺じゃなくて麻原彰晃の若い頃の話だよ」って突っ込まれたって話をしたらちょっとウケたのは覚えています。

 展覧会会場裏の善根宿は通常、お遍路さんしか泊めないけれど、特別にここに泊まらせてもらった。古い民家の離れが宿泊場所で、部屋の隅にはノートがあって、泊まった人たちが自分の行程や思い、宿への感謝などを書き留めてある。奥にもう一室、ここにはひとりのお遍路さんが先に眠っていた。

 くったり眠って翌朝、小池さんが起きて出ていく音をなんとなく聞きながら、しばらくずるずる横になったまま。朝食にうどんを食べにいき、それから会場へ戻る。香川経済新聞の取材を受け、偉そうなことを喋る。昼が過ぎて閉場の時間がやってくる。あっというまの展覧会でした。
 場所を閉めて撤収し、箱に詰めてからクロネコヤマトに集荷依頼を出し、ヤマトの人がくるまで、私と小池さんと、互い違いに散歩に出た。


善根宿(遍路宿)


 穏やかな内海へ水を運ぶ幅の広い川は、川のかたちをしているけれど、水面はまったく海の波が覆っていて、もちろんにおいも海のそれである。その光景がとても印象的だった。高架の下でタヌキが死んでる。
 ヤマトの人を見送って、善根宿の方へあいさつをして、小池さんと電車に乗って、一駅で別れ、おととい間違えて乗ったのと同じ電車で瀬戸内海を渡った。ボックス席の窓際で、スピッツを聴きながら岡山駅へ。
 人混みに流されて改札をくぐり、事前におすすめされていた、新幹線「のぼりのホームのみ」にある駅構内のうどん屋でうどんを食べる。食べ終わって店を出るとき、店員さんは「ありがとうございました」じゃなくて、「いってらっしゃい!」と声をかけてくれる。東京行きの「のぞみ」に乗る。(おしまい)



翌日に食べた駅の立ち食いソバ こちとら江戸っ子でい!

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