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【連載③】織田信長に学ぶ「勝つ」ための組織作り~組織づくりのための理論を考えるシリーズ~

前回は、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトのメリット・デメリットを比較考察した(noteは以下からご覧ください!)。

友愛・血縁に基づいた結びつきであるゲマインシャフトは、「勝つ」という目的を追い求めれば追い求める程、役割・機能に基づくゲゼルシャフトへと変化していく。

日本の歴史上で、この変貌を最もうまく遂げた組織を作り上げた一人が、織田信長である。


戦国時代に彗星のごとく登場した奇才・信長の成功要因は、前例の無い組織作りにあるといっても過言ではない。早速、信長の軌跡を振り返ることにしよう。

戦国時代の常識

戦国時代、各大名が指揮するのは農民を主体とする軍隊的組織だった。基本的には、農業と兵隊の兼業であるため、普段は畑を耕したり、作物を収穫するのが本業。戦さの時だけは、「副業」として戦場に行くのが一般的だった。しかも、組織をマネジメントするのは、地域の有力者(豪族)であったことから、血筋などにより明確に身分が分かれており、合議制で意思決定が遅いといった問題があった。

言い換えると、戦国時代の組織は、軍隊専業の集団ではなかった。このような血筋や地域性に根付く組織では、合議制による意思決定の弊害が随所にみられ、声の大きい人や古株の意見ばかりが通ってしまう閉鎖的なコミュニティというのが実態だったそうだ(どの時代も同じなんですね)。

信長の斬新さ

一方で、織田信長は、従来の慣習を打破して、兵農分離を徹底した。「銭で雇う兵」という前例のない人材募集を開始。全国の「流れ者」をかき集め、1年を通して戦いが出来る組織を作った。現代風にいえば、「武士のサラリーマン化」という感じだろうか。一年中、馬や弓・槍や剣術の稽古をする専門兵士集団をつくりあげた。

さらに、信長は、役割分担も明確にした機能別組織を作り上げた。たとえば、黒鍬者と呼ばれる工兵隊(土木の専門家)や荷駄者という輜重兵(兵粮や弾薬を運ぶ専門部隊)も整え、近代軍隊と同じような組織を築き上げたのだ。このように最前線で戦う人達と後方支援部隊を整備したことが、「天下布武」のベースとなっていたことは間違いない。

信長組織はゲゼルシャフト

ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの違いを理解されている方ならば、従来の戦国時代の組織と織田軍の違いは一目瞭然だろう。前者は、明らかにゲマインシャフト的である一方で、織田軍は完全にゲゼルシャフトと言える。

戦場で戦うということをイメージしてみたい。刀槍などの武器の他、薪柴代採用のナタやオノ、陣地構築用の金助鍬などを持たねばならず、さらに一人ひとりの食料も欠かせない。2泊3日くらいの気軽な旅行ではないので、長ければ数か月もの間「外出先」で戦いながら生き延びるための装備を整える必要がある。もし、敵地において兵糧調達ができなければ、それは死を意味する。

 信長の凄い所は、完全に戦うこと&勝つことにフォーカスして(これがゲゼルシャフト的)、専門の工兵と輜重兵を設けることで、戦闘部隊の長期滞陣を可能にした点にある。

組織戦略で勝った信長のすごさ

実は、信長軍が群を抜いて強かったわけではなく、相手の隙をついて戦を連続的に仕掛けることで、勝利を収めてきたという歴史的考察があるそうだ。その”隙”とは、田植えや稲刈りのタイミングである。

「副業」軍にとって、生きる上で必須となる農業の繁忙期に戦いを挑まれてはたまったものではない。当然のことながら、そのタイミングで戦いを推し進めれば、”組織内不和”を助長してしまう。信長は、この”隙”を巧みにつくことで、相手陣営がジリ貧になることを見越して侵略を繰り返した。

ここに、経営戦略(相手のスキをつく)と組織戦略(斬新な雇用形態と徹底した役割分担)が一致するという、経営の教科書に出てきそうなモデルケースが成立したのだった。

いかがでしたでしょうか??歴史を組織論の観点から振り返ることで、史実とは少し異なる視点を得ることができたはず。

信長の成功要因の1つに組織戦略があったということは、現代のわれわれにも示唆を与えてくれる。目的達成のために、最適な組織構造・設計・戦略になっているか、いま一度見直してみるのも良さそうだ。

次回は、【組織が病む原因ベスト3】を紹介したいと思いますので、ご期待ください!(^^)!

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