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迷子たちの街

 読み始めてすぐ、レイモンド・チャンドラーの「ザ・ロング・グッドバイ」を読んだ時の感覚を想起した。
(実際、翻訳された平中先生も、初読時には、そのような翻訳を思い描いたと、あとがきで書かれている)
 しかし、やがて、読み物としては、私が好きな「ザ・ロング・グッドバイ」とは対極に位置することに気づく。
 正直、この文学を理解するのは困難を極める。あとがきで、翻訳者も書かれているが、最低2回読まないと著者の視野は理解できないと。少なくとも私には2回では足りないし、挑戦する気力が生まれるかは懐疑的だ。(あくまでも私には、ということです。本作の文学的な素晴らしさは疑う余地もないです。誤解なきように)
 難解な文章は、時に深みがあると読者に思わせる。モディアノ中毒という言葉が生まれたのも肯ける。いかにもノーベル文学賞らしい文章と感じた。
 本作の中で、「ミステリー」と「文学」は完全に別のものであり、ミステリーを軽んじているような会話のシーンがあるので紹介したい。
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「正直申しますとね、私にはよく判らんのですよ。(読者が)あなたの本(ミステリー)への熱狂が」
「私がやっているのは、ずいぶん粗暴な文学だとお考えでしょうね」
「文学とは関係ないですよ。またべつのものです」
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 ミステリーファンを敵にまわすような記述。ストイックな文学者、モディアノ先生の持論か?とも思えますが……
 「ある種の文学作品は理詰めで理解しようとしてはいけない、感覚を研ぎ澄まし、感じるのです」以前、小川洋子先生がラジオでおっしゃられた言葉を思い出した。
 平中先生は実に苦労されて和訳されている。邦題「迷子たちの街」は平中先生の完全なるオリジナル。私なら、原文どおり「失われた街」としていた。そんなことを言っておきながら、「迷子たちの街」というタイトルだから、私は読もうと思った。だから、平中先生の功績はセールス的には成功だったと思う。

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