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【小説】コウレイシャカイ 第一話(創作大賞2023・イラストストーリー部門応募作品)

【あらすじ】

 人間の精神世界の研究が進み、死者の霊を生きている人間に降ろすことができるようになったことで、歴史上の人物が現代人の体を使い次々と蘇っていた。

 そんな折、研究都市・アカツキで活動するフレイヤ=バイフィールドが降ろした正体不明の霊は施設で暴動を起こし、他の霊と共に脱走してしまう。

 一方、想いを寄せていた幼なじみの少女を亡くした高校生・鹿嶋かしま陵平りょうへいは彼女にもう一度会えるのではないかと降霊研究にわずかな期待を寄せていた。

 霊が降りた人間に対する特効がある鹿嶋に目をつけたフレイヤは、幼なじみを降ろすことを条件に彼と協力し、霊の暴走を止めるべく動き出す。







 ガラスの向こうで座っている自分と同世代の少女が秦の始皇帝だと言われても、誰も信じないだろう。オープンキャンパスにやって来た他の高校生と同様に、鹿嶋かしま陵平りょうへいもまた黒いショートヘアをした線の細い少女に疑いの眼差しを向けていた。

「······今回はどんなつまらんやつと話さなければならんのだ?オレは中華を統一した始まりの皇帝。また徳川家康とかいう説教野郎の相手をさせられるなら、今すぐお前らを皆殺しにしてやるからな」

「まあまあ落ち着いてください。ここでは暴れてもいいことないですよ」

 ショートカットの自称始皇帝が少女の声で凄んでみせるが、同じガラスの向こうで彼女(あるいは彼だろうか)と机を挟んで座る眼鏡をかけた白衣の男は適当にあしらった。彼らにとっては何度も繰り返したやり取りなのだろうが、鹿嶋達にとっては容易に受け入れることができない状況だ。困惑する高校生の集団の中で肩をつつかれ目を横に向けると、深緑色を基調とした夏用学生服を身にまとい、ほんの少しだけそばかすのあるクラスメイトの磯棟いそむね実理みりが小声で、

「ねえ鹿嶋くん、ちょっとやばくない?」

「うん、俺もやばいと思う。何がやばいって、この施設の研究者の人達、みんな大マジなんだよ」

 応えながら鹿嶋は視線を前へ戻す。そこでは、空色のシャツの上から白衣を羽織り、スカートから伸びる長い脚をタイツで包んでブーツを履き、腰まで届く長い金髪が顔を覆わないようにカチューシャを着けた、澄んだ湖のような碧眼をもつ若い女性が高校生達に自分達が行っている研究について説明していた。

「『人間の精神は我々の肉体があるこの位相とは別の位相に存在している』ということは、長きに渡る研究により明らかになっているので皆さんも知っていると思います。私達の研究チームは、精神は死後もその位相に残っているということを明らかにしました」

「············ぶっ飛んでるね」

 ピンクのメッシュが入った黒髪を指でいじりながら磯棟が呟き、鹿嶋は彼女を肘で小突いた。聞こえているのかいないのか、確かフレイヤ=バイフィールドと名乗ったはずの案内役の女性は淡々と続ける。

「世界各地で死者の霊を降ろす能力をもったシャーマン的人々の存在が確認されていますが、これは二つの要因によるものです。まず私達が注目したのは物理的状況です。シャーマン達は動物の遺骸を燃やしたり、呪文を詠唱したり、皮膚に針を刺したり、あるいは薬草を口に含んだりして降霊を行うのですが、これはつまり特定の情報を五感に与えれば霊を受け入れるコンディションが整うということなんです」

 血縁上は明らかに日本人ではないだろうが、フレイヤはとても流暢に日本語を話している。彼女に限らず、鹿嶋達が暮らすアカツキ市に住んでいる外国人はほとんどが研究機関での活動のために来日しており、大半を日本人が占める同僚とコミュニケーションを取るために日本語を学ぶのだ。

「物理的状況は人工的な技術でいくらでも調整することができます。これは皆さんも想像しやすいと思いますが、二つ目の要因である精神的状況を整えるということは、ピンとこないのではないでしょうか?」

 問いかけた後で沈黙したフレイヤは高校生達を見回すが、反応は薄い。ふと眼が合った鹿嶋が曖昧にうなずくと、彼女は満足そうに口の端をもち上げてようやく続きを語り始める。

「強く思うことです」

 フレイヤはまず端的に告げた。強く思う。その言葉を鹿嶋は口の中で繰り返す。

「先ほども言ったように別位相にある精神と、この位相にある肉体は互いに影響し合っています。つまり、強い精神力があれば、この位相に望んだ現象を起こすことができるのです。これは一般的には『引き寄せの法則』として知られていますが、私達がやっているのはこの応用に過ぎません。音声やにおい、味、光や色彩、温度や湿度を調整して霊を降ろせる体に仕上げ、強く思うことで任意の霊を選択し降霊させるんです」

「そうなのか、初めて知ったぞ」

 人群れから外れたところでよく通る男性の声がして、高校生の注目を集めた。声の主は、フレイヤと同世代に見える黒いくせ毛の男性だ。彼の顔を見るなりフレイヤはため息をつき、

「家康さん、始皇帝がお待ちですから油を売ってないで早く行ってあげてください」

「おお、かの方はまたいらしているのか。それは早く参らねば」

 そう言って黒いくせ毛の男性は首にかけたIDカードをスキャナに読み込ませ、滑らかに開いた無機質な扉を通っていった。いったん見えなくなったがすぐにガラスの向こうに現れ、始皇帝が思い切り顔をしかめたのを受けても柔和に笑っている。

「ねえ鹿嶋くん、イエヤスさん······って、徳川家康だよね?」

「だと思う············よくわかんねえけど」

「だよねぇ······まあこの街はわりと何でもありみたいなとこあるし、研究者の人達だって専門外のことを全部把握してる訳じゃなさそうだから、あたし達は100%まで理解してなくてもいいよね」

 今から十年前、日本政府は技術者および研究者の海外流出による国力低下の深刻さにようやく気がつき、全国七ヶ所に『研究開発特区』を設けて彼らを保護し始めた。それだけでなく、海外から積極的に優秀な人材を迎え入れ、失われた国力を取り戻そうとした。このアカツキ市はその研究開発特区の一つで、人間の精神や認知能力、さらには脳波と連動した機械などの開発に数多くの科学者が力を入れているのだ。鹿嶋達が訪れているアカツキ大学以外にも施設はいくつも存在し、そこで行われる研究は細分化され、統合され、日々進歩している。

「現在この施設では始皇帝や徳川家康の他にもエディソン、サラディン、ジャンヌ=ダルク、スレイマン一世、ダヴィデ、ダレイオス一世といった人物の降霊研究を行っています」

「······どういう人選?」

 フレイヤの言葉に磯棟は首を傾げるが、鹿嶋は今度は何も言わなかった。わずかにうつむき、考えるだけで高鳴る胸を落ち着けようとする。

(オープンキャンパスで披露するぐらいだから当たり前だけど、ここまで真剣に説明してるってことは降霊は本当にできるものなんだ。じゃあ、もしかしたら······)

「何か質問があれば、遠慮なく言ってください」

 フレイヤが再び高校生達を見回す。鹿嶋は眼が合う前に手を挙げ、

「あの、すみません。降霊研究は引き寄せの法則の応用だというような話だったと思うんですけど、合ってますか?」

「ええ、その通りです」

「それじゃあ、条件さえ整えば、俺達にも降霊はできるんですか?降ろしたい人を強く想えば、俺にもできるんですか?」

「できます」

 即答だった。鹿嶋の表情が一気に輝く。

「ただし」

 直後、加速しかけた鹿嶋の鼓動は急ブレーキをかけられた。

「専門の知識が無ければ、被験者の精神を危険にさらす可能性があります。長時間降霊させていたり、降霊者の精神力があまりに強かったりした場合、被験者の肉体を乗っ取ってしまうかもしれません。そのため、降霊者を精神位相に退去させる状況を作る設備が整っていなければ、降霊を行う訳にはいきません。そんなことをしたら治安部隊ラボポリスのお世話になるでしょうね」

「············そう、ですよね。ありがとうございます」

 明らかに落胆する鹿嶋を磯棟が不思議そうに見つめ、フレイヤは既に他の質問者を見つけようとしていた。誰も手を挙げる者はいなかったが、鹿嶋が質問をしたことで満足したのか、

「では、これで降霊研究室の案内を終了します。私は学生ではなく研究者なのでここでお別れですが、この後はこの大学の学生達が皆さんに合格体験やキャンパスライフについて語ってくれるので、西棟三階に移動してください」

 そう言って渡り廊下の方へ手を向けた。フレイヤに従って高校生達は塊になってぞろぞろと歩き始める。鹿嶋はその場から離れ難かったが、

「どうしたの、鹿嶋くん?」

 先に動き始めた磯棟が振り向いて尋ねたのに引っ張られ、曖昧に笑って彼女の後を追う。

(············そうだよな、誰に降ろすんだよ)

 歩きながら、鹿嶋は考える。

(もし日咲ひさの霊を降ろしたら、きっと帰したくないって思っちまう。でもそうしたら、降ろされた側はどうなる?その人は一生自分の体を乗っ取られたままだ。俺個人で降霊しようなんて間違ってる)

 わかっていても、鹿嶋は認めたくなかった。

(降霊研究がしたければ、この大学に入ればいい。でも、日咲に会える手段があるのに、あと一年半も待たなきゃいけないのか?もしかしたら、今すぐ会えるかもしれないのに?)

 わかっているから、鹿嶋は認めたくなかった。

「なあ磯棟」

「何?」

「オープンキャンパスが終わったら、ちょっと待っててくれ」

「いいけど······何かあるの?」

「うん。ちょっと行かなきゃいけないんだ」








「······何か、緊張して言いたかったことの半分も伝えられなかった気がする」

 オープンキャンパスの案内を終えて先ほどのガラス張りの部屋の前から移動したフレイヤ=バイフィールドが研究室でうなだれると、先に移っていた黒髪ショートヘアの始皇帝が舌打ちした。

「お前の愚痴を聞く気はない。ただでさえそこの説教野郎に付き合わされた上に見世物にされて不愉快だというのに、これ以上煩わされてたまるか」

「それではいけない。寛容さがなければ人の上に立つことなどできませんぞ」

 くせ毛の徳川家康に諭され、始皇帝はさらに舌打ちする。

「フレイヤさん、充分仕事してたと思いますよ。あの部屋だとガラスの向こうは何も見えないんでよくわかりませんけど」

 眼鏡を掛けた同僚のきぬた克信かつのぶが言うが、一言余計なことに彼は気づいていない。

「『高校生との積極的なコミュニケーションを図りましょう』っていうお達しだったのに、こっちの問いかけに全然応じてくれないんですよ!ホントに困りましたもん!」

「わめくな。何人いたのか知らんが、一人ぐらいは反応しただろう」

 始皇帝の言葉を受けてフレイヤは先ほどの様子を思い出し、

「確かにいました、質問してくれた人が。自分にも降霊はできるのかって訊かれたので、専門知識が無いと危険だって言いましたけど」

「それでいいんじゃないですかね。ウチみたいに設備のあるところでも半年前みたいに事故は起こりますし、設備が無い所でやったら、降霊の皆さんが位相間現象アチーヴメントをもってきちゃうのも防げない訳ですし」

「······本当に申し訳ないです。あの事故は私の責任です」

 途端に真剣な面もちになったフレイヤに砧は間延びした声で、

「すみません、そんなつもりはなかったんです。ただ、音波で降霊の皆さんの能力が抑えられないとまずいことになってしまうのは事実なので、それは危ないってことですね」

 砧の発言に始皇帝は苛ついた口調で、

「はっ。何度聞いても腹立たしいよな、家康?オレ達はこいつらに特殊な力を阻害されているらしいぞ」

「良いことではないですかな?力をもつ者が限られている方が、世が平らかになる」

 家康が柔和な表情で言うと、始皇帝はますます顔をしかめてそっぽを向いてしまった。

(もう、機嫌悪いまま精神位相に帰しちゃったら次が面倒なのに······!)

 いまいち折り合いの悪い始皇帝と家康に、二人を協力させることを上層部から指示されているフレイヤがさらにうなだれたときだった。

 コン、コン、コン。ノックが三回。

「どうぞー」

 砧がのんびりと応じると、ドアノブが回り恐る恐るといった感じで扉が開いた。フレイヤは即座に姿勢を正し、入室者を迎える。

「あの······フレイヤ=バイフィールドさんいますか?」

 現れたのは、先ほど質問してきた黒い短髪の男子高校生だった。

「私がフレイヤですけど······さっきは質問ありがとう。それで、どうしたの?」

「俺、鹿嶋陵平っていいます。さっき質問できなかったことを訊きたくて来たんですけど······」

「みんなの前では訊きづらいこともあるよね。何でも訊いて」

 フレイヤがにこやかに言うと鹿嶋はいったん息を吸った後で、

「一回の降霊にかかる費用って、どれぐらいなんですか?」

「あれ、お金の話か。まあそこも確かに大事だよね。砧さん、予算の話って外部に教えていいんでしたっけ?」

「いや、それはアウトじゃなっかったですっけ?いや、どうだろう。後で確認してみますね」

 砧の声にフレイヤは困り顔で鹿嶋を見て、

「何かグレーっぽいから細かくは教えられないけど、一回につき高校生が一年間バイトしたのと同じぐらいの金額はかかってるよ。これ、答えになってる?」

「はい、ありがとうございます。それと······」

 鹿嶋の顔に一瞬だけ翳りが見えたが、すぐに真っすぐな眼でフレイヤを見据えて、

「もし俺が充分な金額を用意すれば、俺が会いたい人を降霊させることはできますか?」

「誰に会いたいの?」

 フレイヤも、少しも眼を逸らさずに尋ね返した。



「死んでしまった、俺の幼なじみです」

「だったら駄目」



 たった今、自分が一人の少年の希望を打ち砕いてしまったことを、フレイヤははっきりと認識した。鹿嶋がどんな期待を寄せてこの研究室にやってきたのかは、フレイヤにはわからない。だからこそ、彼の望みを絶った理由を示さなければいけなかった。

「鹿嶋くん、この研究の目的が何だかわかる?」

「歴史的な謎を解き明かすため、とか?」

「違う。大まかに言えば、この国を守るためなんだよ。そのための研究計画だし、そのための設備。だから、完全に君個人のためにここの設備を使って、もし設備が壊れるようなことがあったら、大きな損失になる。そんな責任を君に負わせたくない。だから、駄目」

 フレイヤの言葉は鹿嶋のためを思ってのものだが、それが確実に伝わっている自信は無い。フレイヤは時間が掛かってでも説き伏せるつもりでいた。

 だがフレイヤの予想に反し、鹿嶋はどこか澄んだ表情をしていた。

「わかりました。突然お邪魔してすみませんでした」

「············いや、とんでもない。私には何もできなくてごめんね」

「謝らないでください。俺の都合ですから」

 鹿嶋の潔さが、フレイヤには痛々しく感じられた。

「······いつか研究が進んで、降霊がもっと一般的なものになれば、君の幼なじみにもまた会えるよ」

「······ですよね。俺もそう信じてます」

「おい、いつまで続けるんだこれ?」

 始皇帝が棘のある声で尋ねると、鹿嶋は足早に立ち去ろうとする。だがそれを始皇帝は呼び止め、

「おいお前、オレ達はさっきの見世物小屋とは違うチャチな部屋にいる訳だが、どうやってここがわかったんだ?」

「赤色のポニーテールの女の子に教えてもらいました。研究員にしては若すぎましたから、ここの学生さんかと思ったんですが······」

「ほう、そうか」

 そう呟いて始皇帝は口の端を上向きに歪め、フレイヤと砧は顔を見合わせる。

「ウチに出入りしてる学生でそんな子いましたっけ?髪を赤に染めてるポニテの子なんて」

「さあ、僕はいないような気がしますけど······」

「············? 俺はこれで失礼します。ありがとうございました」

「うん、良かったら入学して、またウチに来なよ」

 出ていこうとする鹿嶋を見送りながら砧はおもむろに立ち上がり、

「じゃあ、始皇帝と家康さんもそろそろお帰りいただきましょうかね。他のグループ向けの降霊の皆さんも帰る頃でしょうし」

「はっ。帰るんじゃなくて帰されるんだけどな」

「仕方ありますまい。我らは今の世には相応しくないのですから」

 毒づいた始皇帝を家康がなだめた。だが始皇帝は一点を見つめて、

「なあ家康、本当にオレ達は今の世に相応しくないと思うか?」

「······それは一体、どういう意味で?」

「オレ達は一度国を治めた。そのときは、永遠に続く国を作り上げようとした。永遠に続けようという志は、今の世まで続いていると思わないか?」

「··················」

「始皇帝、何を考えて············」

 何かを感じたフレイヤが言いかけた瞬間、

 衝撃と轟音が突き抜け、一斉に照明が落ちた。

「これは、どうしたことか?」

「安心してください家康さん、予備電源があるのですぐに復旧するはずです」

 言いながらフレイヤの頭に、最悪の可能性がよぎる。

(さっきのは爆発音?もし退霊装置が壊れていたら、降霊者の能力に制限が無くなってることになる。しかも、早めに退霊させないと降霊者が被験者を乗っ取ってしまう!)

 暗い中で少し鉄っぽいにおいが漂ってくる。誰かがけがをしたのかもしれない。

(予備電源が起動するまで15秒。そろそろ明るくなるはず)

 最悪の事態に備え、フレイヤは懐に忍ばせた拳銃に手を伸ばす。緊急時のために、治安部隊ラボポリスから所持を許された銃。そして、半年前の事故で被験者を殺害し、強制的に暴走した降霊を退去させた銃だ。

 予備電源が作動したのか、視界が明るくなる。



 フレイヤの目の前では、始皇帝が握った刀で砧の胸を貫いていた。



(····································え?)

 始皇帝は砧よりも背が低いため、刀は下から突き上げられていた。血が刃を辿るが、根本まで達する前に始皇帝は刀を引き抜く。血の珠が弾け、砧はゴトリと倒れ込んで動かなくなった。

「お前も死ね」

 始皇帝はごく自然な動きで刀を振り上げ、フレイヤに振り下ろす。思考が追いつかず、足が動かない。

(······························死ぬ?そんなのまだ駄目!こんなところで死んだら生き残った意味が無い!)

 フレイヤはとっさに後方へ跳びのき、始皇帝の刀は空を切る。人を殺すのに何の迷いもない動き。刀ではないが、フレイヤは子どもの頃に当然のように殺気が込められた動きを何度も見た。今目の前にいるのは歯向かう敵を幾度も殺してきたあの始皇帝なのだと、今更ながら思い知らされる。

 フレイヤは即座に拳銃を取り出し、始皇帝へ構える。引き金に指をかけ、真っすぐ心臓を狙う。半年前と同じように。罪も落ち度もない被験者を殺したときのように。再び被験者を殺そうとしている。

「············それは、オレの時代には無かった武器だな」

 始皇帝は平然と構え、少しも怯んでいなかった。まるで、フレイヤには撃てないとわかっているように。あの事故については、他の降霊は知らないはずなのに。

「人を殺せないなら、お前が死ね」

 もう一度始皇帝が刀を振り上げる。

 フレイヤには、やはり撃てない。



 キィィィィンッッ!!



 互いの得物がぶつかり合う音がした。だがそれはフレイヤの拳銃ではない。

「世話になった者に刃を向けるとは、何を考えておる!」

 徳川家康が自身の刀で始皇帝の刀を受け止め、その腹を蹴りつけて後退させた。

(刀なんて二人とも持ってなかったのに!やっぱり退霊装置が壊されたんだ!だから精神位相から位相間現象アチーヴメントとしてもってこられた!きっと、他の降霊者達も······!)

 始皇帝がなぜ突然襲ってきたのかは、これまで接してきた中で何となくわかる。フレイヤ達に管理されることを良く思っていなかったのだろう。だが、停電になって退霊装置が壊れることを察知していたとしか思えない行動の速さだ。おそらく退霊装置を破壊した者がいて、その者から事前に知らされていたのだろう。

「砧のことはもう取り返しがつかない!だがまだ間に合う者もおる!フレイヤ、先ほどの鹿嶋というのを助けに行け!わしも突然刀が出せるようになって戸惑っておるのだ、他の者も試し斬りとばかりに無防備な者を狙うかもしれんぞ!」

「よそ見している場合か説教野郎!」

 始皇帝と剣術戦を展開し始めた家康の言葉にフレイヤはうなずき、研究室を飛び出る。

(アカツキ大学降霊研究所・フレイヤ=バイフィールドから治安部隊ラボポリスへ。退霊装置が破壊され、降霊が暴動を起こした!)

 フレイヤは走りながら脳波と連動したカチューシャを用いて、アカツキ市独自の戦力部隊である治安部隊ラボポリスへと連絡を取った。ひとまずは彼らが到着するまで、まだ施設内にいるはずの鹿嶋を保護しなければならない。

 大学本棟へ続く渡り廊下を見やると、既にシャターが降ろされていた。異変に気づいた他の研究員が、施設外の人々を守るために下ろしたのだろう。フレイヤは彼らの無事を祈るとともに、シャッターが下りたことで逃げ場が無くなってしまった鹿嶋を探す。

飛行型ワーカービー、ナンバー1から3までは私の元へ。4から9までは鹿嶋くんを捜索し、見つけたら出口へ誘導して)

 フレイヤはカチューシャを通して脳波連動型ドローンに命令を出した。それらは発砲装備を有しており、会敵したときに最低限の仕事はしてくれるだろう。

(鹿嶋くんも保護したいけど、退霊装置の修理をしなきゃ)

 フレイヤは退霊装置のある地下へと向かう。誰かいてほしいと願うが、どの部屋の前を通っても血のにおいが鼻を掠めるだけで、フレイヤの同僚はもういなかった。

 非常扉を開け放ち、三階分の階段を滑るように駆け下りる。地下へ直通の階段は建物の反対側だ。この建物の設計者を恨みながらフレイヤはさらに走るが、わずかに動く人影を視界の端に捉えて足を止める。

「君は······降霊という訳ではなさそうだね。前に見たことがある。ここの研究員だろう?」

(鹿嶋くんじゃない。確かこの人に降りている霊は······ダヴィデ!)

 古代イスラエルの王。愛された者。羊飼いから身を起こし、一国の主となった男。精悍な顔立ちをした青年ではなく少年と呼ぶべき若者に降りた霊は、先端が湾曲した杖を携え、血溜まりのほとりに佇んでいた。

「あなた······私の同僚に何をしたの?」

「殺したよ」

「どうして?」

「どうしてって······強いて言うなら自由のためかな。君だってわかってるんだろう?せっかく蘇った僕達を飼い殺しにするのは間違ってるって」

「··················それは」

「やっぱりね」

「でも殺すなんて間違ってる」

「君だって殺したんだろう?あの降霊者から聞いたよ。半年前に君は被験者を殺して、正体不明の降霊者を強制的に退去させたって」

「『あの降霊者』······?もしかして、停電を起こしたり暴動を起こすようそそのかしたりした人?あの事故を知ってるってまさか、あのときの降霊者が黒幕なの!?」

「知ったところでどうせ君はここで死ぬよ。君が降霊者ぼくたちを見逃さない限り」

「············現代そとの世界に出て、何がしたいの?」

「どうだろう、出てみないとわからないな。もしかしたら自由のためかもしれないし、あるいは永遠の命とか、そういうものかもしれない」

「そのためなら、誰かを傷つけるの?」

「そうするだろうね。少なくとも僕は、そうやって王になった」

「だったら」

 フレイヤはダヴィデに向き合う。真正面から、逸れることなく。

「私はあなたを止める」

「それでもいいよ。僕は君を倒すから」

 言い終わって、ダヴィデは一気に前進する。床を蹴って跳び上がり、落下の勢いを活かして引いた腕を突き出し、羊飼いの杖でフレイヤを強襲した。フレイヤは身を捻ってこれをかわし、ブーツの底をダヴィデの腹に押し込む。するとダヴィデは大きく宙を吹き飛び、廊下から部屋の奥の防弾ガラスに叩きつけられた。

「······この力、普通じゃないね。お得意の科学技術というやつかい?」

「まあ、そんなところ」

 フレイヤの靴底には脳波と連動している反重力装置が仕込まれており、彼女の任意のタイミングで発動できる。細身のフレイヤでもダヴィデを蹴り飛ばすことができたのは、反重力を彼の体に押しつけたからだ。

 立ち上がって再びフレイヤに詰め寄ろうとするダヴィデの武器はやはり杖だ。その様子にフレイヤは小さな違和感を覚える。

(確かにこれで撲殺することもできるだろうけど、拳銃持ちの相手にこれで勝ったとも思えない。何か裏がありそうなんだけど······間に合って!)

 フレイヤが願ったそのとき、ブワウゥゥゥゥンッ!と警戒心を駆り立てる音を立てながら彼女の元に三機のドローンが集結する。それぞれの下部に取りつけられた小さな銃口は、ダヴィデの脚や腕を正確に狙っていた。

(まだ降霊から三時間も経ってない。なら、殺さなくても肉体にダメージを与えれば、降霊状態を維持できなくなる!)

『標的に照準を合わせました。いつでも発射可能です』

『4号機から9号機が鹿嶋陵平氏を発見しました』

『鹿嶋陵平氏がフレイヤ=バイフィールド氏の現在地を質問したため、回答しました』

 飛行型ワーカービーの報告を受け、フレイヤはダヴィデに告げる。

「あなたのぶきじゃ私の科学ぶきに勝てない。あなたが私を殴る前に、私があなたを撃ち抜く。もう勝負はついてる。精神位相に戻る前に、黒幕の正体を教えて!」

 状況は圧倒的にフレイヤの有利であり、彼女の言うことは正しかった。それでもなおダヴィデは精悍な顔立ちを崩さない。

「君、勘違いしてるよ」

「············勘違い?」

「うん。その空飛ぶ機械は、もう君の武器じゃないから」

「何を言って············」

 フレイヤが言うのを待たず、飛行型ワーカービーひとりでに・・・・・動き出した。フレイヤの指示がなければ、動かないはずなのに。

飛行型ワーカービー、何をしているの!?こっちに戻って、ダヴィデから照準を逸らさないで!」

 フレイヤの脳波と連動しているのに勝手に動き始めた時点で、叫んでも無駄なことはわかっていた。飛行型ワーカービーはあっという間にダヴィデに侍り、少しのブレも無く銃口をフレイヤに向ける。

「『武器の乗っ取り』······あなたの位相間現象アチーヴメントはただの杖だけじゃなかった。杖で撲殺したんじゃなく、拳銃を奪ってみんなを殺したってことなの!?」

「そうさ。生前の功績をブラッシュアップした現象を精神位相からもってこられるんだろう?僕はゴリアテを殺すために、彼の剣を奪ってその首を切った。君を殺すためなら君の武器を奪えるんだよ」

 蜂の羽音に似た回転音が、恐怖心を掻き立てる。三つの銃口が、死に直面したフレイヤを無表情に見つめている。

(············まだ死ねない、死にたくない!なのにどうして!)

 フレイヤは歯噛みするが、戦況は変わらない。ダヴィデが一歩踏み出すごとにフレイヤは後ずさり、壁にぶつかって逃げ場を失った。

 そして、



「そうそう、『死にたくない』って思ってもらわないと困るんだよね〜。死ぬことに対して恐怖してもらわないと」



 若い女の、楽しそうな声が聞こえた。フレイヤが目だけを向けると、赤い髪をポニーテールにした女が妖しく笑っているのが見えた。

「誰······?」

 フレイヤが尋ねると女は目を煌めかせて、

「ワタシは黒幕だよ。こういうの初めてだから、言っちゃっていいのかよくわかんないけど」

「黒幕······!?」

 身構えるフレイヤを見て女はケラケラと笑い、

「フレイヤさん、ワタシのこともう忘れちゃたの?まあ半年ぶりだからしょうがないか」

「半年············まさかあなた、あの事故で降りてきた」

「そ、あなたが降ろしてくれた霊だよ。あのときは体が死んじゃったから帰らなきゃだったけど、そのときにこっちの位相に来る方法が大体わかったんだよね。全部あなたのおかげだよ。ワタシが降霊できたのも、あの被験者の子が死んだのも、ここのみんなが死への恐怖を感じたのも、あなたのおかげ。最期に『死にたくない』ってめちゃめちゃ強く思ってくれれば本当に最高なんだけど」

「そんな······そんなのって」

「じゃ、ワタシそろそろ行くから。治安部隊ラボポリスが来ると面倒だし。降霊者達ほかのみんなも外に出るから、ダヴィデさんもフレイヤさんを殺したら早く来てね〜」

 フレイヤが打ちひしがれる暇も無く、赤い髪の女は歩き去ってしまった。

「······それじゃあ、僕は君を殺して彼女に合流するとしよう」

 ダヴィデが精悍な顔立ちのままフレイヤに死刑宣告を下す。

(何か、何か方法は無いの!?)

 そのとき、辺りを見回して焦るフレイヤの脳にある報告が入った。



『4号機から9号機、フレイヤ=バイフィールド氏と合流しました』



 フレイヤは瞬間的に横へ視線を移す。そこには、蜂の羽音に似た回転音を伴って浮かぶ六機の小型ドローンが現れていた。

 そして、敢然と走り出した鹿嶋陵平が。

「············っ!」

 ダヴィデはわずかに目を見開き、掌握した三機の飛行型ワーカービーのうちの一つを鹿嶋に向ける。しかし、

 タンタンタン!

 鹿嶋につけていた飛行型ワーカービーをフレイヤが操って発砲し、ダヴィデが奪った三機を撃ち落とした。無防備になったダヴィデを鹿嶋は殴り抜き、フレイヤは再び奪われる前に飛行型ワーカービーをシャットダウンする。

 鹿嶋はさらにダヴィデに拳を叩き込むが、リーチで勝る杖での反撃を浴びた。だが後退する鹿嶋と入れ替わりで踏み込んだフレイヤが反重力蹴りを放ち、ダヴィデを吹き飛ばす。

「フレイヤさん、大丈夫ですか!?」

「それはこっちのセリフなんだけど!でも助かった、ありがとう」

「大丈夫です!あのドローンから大体聞いてますけど、何がどうなってるんですか!?」

「詳しいことは後で話す!とりあえずあいつを倒して外に出よう!」

 転がっていたダヴィデが身を起こしたが、距離を詰める様子は無い。不審に思うフレイヤだったが、すぐに狙いに気がついた。位相間現象アチーヴメントを変化させたのか、ダヴィデの手に握られている物が羊飼いの杖ではなく投石機に変わっている。

「鹿嶋くん、来るよ!」

 ダヴィデが投石機から石を放つ。フレイヤが額めがけて猛進してくる攻撃を倒れ込んで回避している間に敵は二発目を用意するが、鹿嶋はすぐ傍にある研究室の扉に飛び込んでしまった。

「君だけ安全地帯!?」

 二発目を転がってかわすが、立ち上がる隙に三発目が迫る。

(よけられない!)

 フレイヤはとっさに両手で顔をかばう。

 ゴンッッ!!と凄まじい衝撃音が轟き、一気に亀裂が走った。

「··················危なかった、また君に助けられたね」

 投石がフレイヤに命中することはなかった。鹿嶋が研究室にある防弾ガラス製の窓を取り外し、それを用いて攻撃を防いだのだ。

「フレイヤさん、どうすればあいつを倒せるんですか!?」

 ガラスの盾の裏側で鹿嶋が問うた。いくら防弾ガラスだろうと、豪速の投石が当たる度に亀裂が広がっていく。それを目にしたフレイヤは早口で、

「肉体にダメージを与えれば降霊状態を維持できなくなるよ。ただ、どうやってそれほどの攻撃をするのかって問題はあるけど······」

 そこまで言ったとき、一際大きな衝撃が盾に加わった。ヒビがさらに広がり、もう少しでガラスの端まで達しそうになる。残された時間は少ない。

「もう一度確認しますけど」

 前方を見据えたまま、鹿嶋が口を開く。

「降霊は条件さえ整えば、強く思えば、俺にもできるんですね?」

「そうだけど······それは危険だよ」

「そうじゃなくって」

 鹿嶋の声に、力が込もる。

「降霊ができるなら、その······位相間現象アチーヴメントでしたっけ?あれと同じようなことも、俺にできるんですか?」

「理論上は可能······だけど無理だよ、降霊者は両方の位相を行き来していてコツを掴んでるし、起こす現象のイメージが多くの人に共有されてるからいいけど、普通の人がやったら莫大な精神力が必要なんだから」

「理論上は可能なんですね?」

「うん、でも」

「可能なんですね?」

 もう一度、力強く確かめられ、フレイヤはうなずかざるを得なかった。

「······それで、君が位相間現象アチーヴメントを起こすとしてどうするの?」

位相間現象アチーヴメントを消去して、降霊者を退去させます」

 鹿嶋はきっぱりと言い切った。

「専門家のあなたからしたらバカバカしい話かもしれません。だけど俺は信じたい。あなたが言ったことを信じてみたい。強く思えば実現できるってことを。そして、日咲にまた会えるってことを。だからお願いします。俺を信じてください。俺を、信じてみてください」

 今日出会ったばかりの高校生に、降霊研究どころか精神系研究の門外漢に、そんなことを言われても成功する保証はどこにも無い。ここで彼を送り出して、死なせてしまうかもしれない。

 それでも、フレイヤ=バイフィールドは鹿嶋陵平を信じたかった。自分が信じないことで、彼が挫けるのは嫌だった。自分のせいで、また人が死ぬのは嫌だった。



「きっと、君ならできる。専門家の私が言うんだから間違いない。私が言ったことを信じて」



 その言葉に背中を押され、鹿嶋は一直線に駆け出す。攻撃がさらに激しくなるが、鹿嶋はほんの少しも怯まない。投石は盾に激突した瞬間に消滅し、ダヴィデがついに顔を歪めた。鹿嶋はヒビ割れたガラスを握りしめ、ただ全速力で突き進む!

「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

 得物を投石機から杖に戻したダヴィデが盾を突き崩す。その瞬間、盾に触れた杖が消滅した。舞い散るガラスの破片を押しのけ、鹿嶋の拳がダヴィデの顔面に突き刺さる。

 ダヴィデの体は力なく倒れ込み、そのまま動かなくなった。精悍な顔立ちの少年の体が淡く発光し、その光は少年から離れて霧散する。ダヴィデの精神が少年の肉体から離れたのだ。

「············勝った」

 確信したのは、むしろ見届けていたフレイヤの方だった。

「すごいよ鹿嶋くん!ホントに勝った!」

「勝った············んですよね?それでいいんですよね。だったら、フレイヤさんのおかげです。あなたがいなかったら、俺は何もわからなかった」

「いや、とんでもない。私には何もできなくてごめんね」

「そんなことないですよ。きっとフレイヤさんにはあなたにしかできない、これからやらなきゃいけないことがあるはずです」

 鹿嶋に言われて、フレイヤは辺り一面に血のにおいが充満していることを思い出した。生き残っている研究員は何人いるのだろうか。脱走した降霊者はどこへ行ったのか。黒幕と名乗った降霊者の正体と目的は何なのか。鹿嶋の位相間現象アチーヴメントは正確にはどのようなものなのか。やらなければならないことは、確かにある。みんな死んでしまったとしても、引き継ぎたいものがある。

「そうだね。私にはできる。私はそう信じたい」







「························鹿嶋くん、いつまで待てばいいの?」

 ベンチに座っている磯棟はピンクのメッシュが入った黒髪を指でいじりながらスマホを眺め、ため息を洩らした。既にオープンキャンパスが終わってから十分以上経過している。

「さあ、どこに行っても自由だよ。ワタシについてきたい人はそうすればいいし、自由に楽しみたい人はそれでいい」

 目の前を通り過ぎようとする七人の集団の中で明らかに異彩を放つ赤髪ポニーテールの女が楽しそうに言うのが、耳に入った。

(赤一色とか許されるんだ······ウチの校則もユルい方だと思うけど、やっぱ大学って自由だなあ)

 彼女の言っている内容は少しもピンとこなかったが、そんなことをぼんやりと思いながら磯棟は赤髪ポニーテールを目で追いかける。

 くるり、という効果音がよく似合う楽しそうな動きで赤髪の女は振り向き、磯棟とがっちり眼が合う。

 そして、彼女は妖しく微笑んだ。

「··················?」

 磯棟は首を傾げるが、赤髪の女は前を向き直して他の六人とともに遠ざかっていく。その七人が視界から外れるまで、磯棟は赤髪の女だけから眼が離せなかった。

 



〈つづく〉




【第二話以降は随時更新していきます】



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