君の右腕が動かなくなってから(2)

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誕生

君が生まれてから一週間ほど経った。この一週間、僕は仕事が終わるとすぐに職場がある岐阜県を離れ滋賀県へ車を走らせた。もちろん娘に会うためだ。高鳴る鼓動をなんとか押さえつけ、ゆっくりとアクセルを踏んだ。距離にして100kmだがそんなことは瑣末なことだった。面会できる時間は少しだが、1日ごとに変化していく娘の顔をどうしても見ておきたかったのだ。

病院に着くと僕はをまるで何かを確認するかのようにコツコツと足音を確かめながら廊下を歩いていた。
父親になって数日しか経たないが、自分の家族が一人増えたことを現実と捉えるまでには少し時間がかかった。これはもしかしたら夢なのかもしれない。夢から醒めた瞬間、僕は小学生のあの夏へと戻り、行きたくもない朝のラジオ体操へ向かっているのかもしれない。つい数日前も同じことを考えながら廊下を歩いていたのだが、病室へ通う度にだんだんと現実が目の前を侵食してきていた。そう、僕は父親になったのだ。そして、目の前にあるドアノブを回し、ドアを開いたときそれは確信へと変わる。
そしてその瞬間、ほんの少し前までぼんやりと淡く揺らめいていた陽炎のような僕の存在は、娘という温かな陽に照らされて再び力強いシルエットを作り始めていた。

病室に着いたときには太陽はすでに稜線に隠れ、窓から見えるビルの灯りを背景に君はぐっすりと眠りについていることが多く、目を開けていることはほとんどなかった。そんなときは僕は自分の指を娘の小さな手のひらに滑り込ませる。すると君はその小さな指でぎゅっと握り返してくれるのだ。

よく眠るというのも赤子の仕事の一つだと言うが、寝ているときは寝ているときでしか味わえない魅力が赤ちゃんにはある。
運良く起きているときに鉢合わせたときはとても嬉しかった。そして僕は起きている娘に必死に語りかけた。

「こんばんは、お父さんだよ」

もちろん返事はない。
そして2時間ほど病院で過ごした後、近くの実家へ帰り、翌朝岐阜県の職場へと出発する。
朝が早いのでとても眠い一週間だった。

生後4日目


娘が生まれて一週間が経った。新生児は退院時にセレモニードレスというものを纏うそうだ。明らかに現時点ではオーバーサイズなんだけど今後お宮参りやお祝い事の際にも着るので問題ないそうだ。
退院当日、僕は仕事だったのでセレモニードレスを見ることは叶わなかったが、その日のお昼頃に無事退院したよと妻から写真がiPhoneに送られてきた。妻が里帰り中なので娘は妻の実家にしばらく滞在することになる。
初めて外に出る君の瞳にはこの世界はどのように映るだろうか。願わくば君の未来に幸多からんことを。

帰省

生後2ヶ月に正月を迎え、そのタイミングで妻と娘と僕の3人は僕の職場のある岐阜県へと帰っていった。これから始まる親子3人の生活にこのとき僕はどんな思いを抱いていただろうか。

時は経ち、はじめは泣くことしかできなかった君に笑顔が生まれ、手足もバタバタと動かし、なにかを取ろうとしたり、手に取った物をマジマジと見つめたりすることが多くなってきた。

まだ生まれて数ヶ月しか経たないが、ふと写真や動画を見返すとその姿は全然別人のように見えた。そしてつい先日まで出来なかったことが今日では出来る様になっている。

赤ちゃんとのコミュニケーションというのは不思議だ。言葉やボディランゲージなどはほとんどできなくても目でなにかを訴えて意思の疎通を図ろうとしている。"している"というのはこちら側がそう思っているだけで赤ちゃんからしたら実はなにも考えてなくてただ目の前のことに反応しているだけなのかもしれない。
親はそれを自分に向かって一生懸命になにかを伝えていると思い込んでいるだけなのかもしれない。だからこちらも一生懸命に話しかけてしまう。ほとんど一人芝居に近いものがある。しかしそれがわかっていても可愛いからやめられない。なにか反応してくれるだけで嬉しいのだ。

発見

父親というのは日中仕事に出ているので子どもの新しい動きの第一発見者になることは少ない。

なので子どもがちょっと見たことのない動きをすると驚いて

「すごい!見て見て!」

と妻に呼びかけるも

「そうそう、こないだできるようになったよ」

と妻は至って冷静に返す。悔しい。。。

ただ次のことだけは僕が一番目に発見したと自負している。それは笑い声だ。

初めて君の笑う声を聞いたときのことを今でも鮮明に憶えている。

赤ちゃん用品を買い出しに出かけ、妻が品定めしている間に娘を抱っこしていたときのことだ。
それまではニコッすることはあっても声を出して笑うことはなかった。だがこのときは違った。にっこりしながら声を出して笑ったではないか。感動で膝から崩れ落ちそうになった。俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった。この日から君を笑わせてシャッターを切ることが僕の日課になった。

心配していた夜泣きはほとんどなく、日中は目が合うたびににっこり笑ってくれる君に僕たち夫婦はメロメロになった。仕事で嫌なことがあった日も家に帰れば君が待っていることがわかっていたから辛抱できたのだ。

親目線だからかわからないがほんとに愛くるしい顔をしていた。買い物に出かけると必ず声をかけられ、その小さな口から出てくる笑い声や喃語は周りの人の心を癒しに癒した。君が僕の娘だということがとても自慢だった。

不思議な力

赤ちゃんの持つ不思議な力を強く感じたときがある。
妻の祖父のいる高齢者施設を訪問したときのことだ。娘が生まれてからというもの祖父はみるみると元気になり、会うことが生きる目的の一つになった。身体はうまく動かすことはできないが抱っこさせてあげるととても喜び、顔が生き生きとしているのがわかった。
他にも施設内を娘を抱いて歩いているとおじいさんおばあさんみんなから声をかけられた。赤ちゃんと接し始めた老人たちの顔に急に生気が満ち溢れていくのを感じた。赤ちゃんから溢れ出る無限の力強い生命エネルギーは周りにも伝染し、みんなを元気にしているんだなとひしひしと感じた瞬間だった。

ほんとにとても育てやすい子だった。ほとんど人見知りもせず、出かけた先では知らない人に愛想を振り撒き人々を笑顔にした。

とても幸せな日々だった。


予防接種のある日はこっそり仕事を抜け出し、病院へ同伴した。予防接種は、初めは一種類だったがだんだんと種類も増え、最終的に4本になった。あの細い腕に針を刺す様子がとてもかわいそうでならなかった。2回目からは娘は病院の駐車場に着くだけで注射だと理解し、チャイルドシートから降りようとしなかった。そして注射を打たれると一瞬で君は大声で泣いた。
僕も最初の方は、この細くか弱い腕に針を刺すなんてなんてことをするんだという気持ちと打たなければいけないという気持ちの間で揺れていた。ただこのときは予防接種は安全だという認識があったので何も心配はしていなかった。

しかし、この数年後に打った予防接種が娘を脅かすことになるということを僕たちはまだ知らなかった。


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