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25歳になりました

人生25年目に突入しました。
なんと早いもので理論上アラサーというものの仲間入りらしいです、もう歳とりたくないです。

いい節目なのでこれを機にちょくちょくこういうnoteを書いていこうと思います。

記念すべき最初のnoteは、25歳になったということでこれまでの自分の半生を振り返ってみる内容にしようと思います。


受験勉強頑張ってた時

高校生の時は当時なんとなく流れで陸上部に入って、最初は練習キツすぎてめっちゃさぼってたんですが、なんかしらんが3年間続けることができてました。

高3になるまで勉強というものを全くしてこなかったのですが、部活の顧問の先生や同級生にお前はどの大学にもいけないみたいなことを言われたのをきっかけに受験勉強を頑張ることにしました。反骨精神ってやつです。
とりあえず地元の塾の入塾テストを受けたのですが、その時の偏差値が29で担当の先生を絶句させた思い出は今でも忘れません。

useってUSAの誤字?くらいのレベルで英語がわかんなかったので最初は新中学問題集とかやってました、やばいですね。

でも陸上部で培われた根性がいい感じに効果を発揮してくれたのか、なんだかんだ勉強も1年間頑張ることができました。
結局その地元の塾に入塾して、授業は最低限しか取らずあとは自習室に引きこもってひたすら勉強してました。
結果的に関西にあるそこそこの私立大学に入れたので当時の頭の悪さから考えると全然よかったんじゃないかなと思います。

将来何しようか考えてた時

ということで滑り込みで大学に入学したわけですが、受験勉強の時の熱が消えなかったのか消したくなかったのか、ここでまた努力することをやめたら終わる気がしたのでなんとなく将来どんなことをしたいか考えるようになりました。

当時は10年後の仕事図鑑という本を読んだり、世の中の職業が一覧になっているようなwebサイトがあったのでそのあたりの情報をかき集めていました。弁護士医者公認会計士からひよこ鑑定士まで色々しらべました。

ひよこ鑑定士ってベテランなら平均年収700万あるらしいんですよ、気になる方はぜひ。

その結果戦略/経営/会計/ITコンサルとか、商社マンとか宅建士等の士業とか、今から対策すれば何にでもなれるなーとか調子乗ったこと思いつつ実際選んだのはソフトウェアエンジニアでした。

この時大学1年生の終わりごろでした。

プログラミングの勉強に全てをかけていた時

「プログラミングって知ってる?」
大学の授業終わり、同じ電車で一緒に帰っていた友達から不意に聞かれたこの言葉で自分は初めてプログラミングという概念を知りました。

どうやらプログラミングというのはアプリとかいろんなソフトウェアを動かすために使う技術らしく、それまで自分はゲームとかLINEとかがどのようにして作られていたのか全く知りませんでした、なんかそういう魔法でもあるんですか?って思ってました。

かといって最初からよしやってみようとか思ってたわけではなくて、むしろ最初は自分文系だからこういうのは関係ないやって思ってました。

大学1年生の時に10年後の仕事図鑑を読んでいた時にもエンジニアについての紹介があったのですがこれだけはないなって思ってたし、まさか自分が6年後エンジニアとして就職するなんてまあ微塵も思ってなかったですね。

じゃあなんで大学1年生の終わり頃にはエンジニアを目指すようになっていたのかというところなんですが、当時は結構エンジニア系インフルエンサーのブームだったんですよ。

察しのいい人はもうお気づきかもしれませんが、マ○ブさんとかやま○とりゅうけんさんとかがフリーランスエンジニアになって年収イッセンマン!みたいなこと言ってブイブイ言わせてたわけですねYoutubeで。

当時自分はフリーランスという概念も初めて知ったのでこんな裏ワザみたいな働き方あるのかと、まんまと口車にのせられたわけです。お恥ずかしながらこれがプログラミングを始めた理由です。

それからはサークルもバイトも全部やめて授業にもほとんど出ずに全ての時間をプログラミングの勉強に費やし、大学前のカフェで9:00-21:00までずーーーっとパソコンをカタカタしていました。
HTML/CSSを使ってローカル環境で簡単なLPを作ってみたり、ProgateのRubyコースやRailsコースなどを何周もしたり、わからないなりに色々独学していた時期が1年ほど続きました。

今年必死に勉強して来年からは休学して長期のエンジニアインターンに行って実務経験を積み、将来はフリーランスのエンジニアになっていつでもどこでも働ける年収1000万プレーヤーになるぞと息巻いていました。

ただ人生というのはそう上手くはいってくれませんでした。

結構いろいろどん底だった時

当時自分は京都に住んでいて、三条あたりにエンジニアインターンを募集している会社があったので勉強した後はその会社で働きたいと思っていました。時給も1250円~3000円とかなり良さげで休学してフルタイムで働く気満々でした。

その会社は入社するためにいくつか試験を突破しないといけなかったのですが、これがまあ難しくて正直最初の課題の時点で手も足も出ませんでした。これまで何ヶ月も必死に勉強してきたにも関わらず、いざ試験となると適切な解決策が全くでてこなかったんです。

結局試験時間中には全く回答することができなくて、もちろん入社試験には落ちました。
今まで全部を捨ててプログラミングの勉強に打ち込んだこの期間はなんだったんだと悔しくて三条通商店街を誰にも気づかれないように泣きながら帰ったことを覚えています。

サークルも辞めバイトも辞め、ここでインターンすることを前提に休学する気だけは満々でゼミも応募していなかったのでこの試験に落ちてしまったことは自分にとって最悪の出来事でした。
お金もない友達も少ない居場所もない単位もない。ただ残ったのは休学するという事実と中途半端なプログラミングの知識だけ。
そしてこの状況に追い討ちをかけるようにコロナがやってきました。

プログラミングなんてやんなきゃよかった、こんなことなら適当に居酒屋とかでバイトして適当に単位取って適当に友達作って色々遊んでおけばよかったのにと本気で後悔しました。

この時大学2年生の終わりごろでした。

ひたすら全部を取り戻そうと頑張っていた時

経済的理由または健康的理由以外で休学するほとんどの人は留学/インターン/起業などなにかしら目的を持っています。

そんな中、ただ休学するという事実だけを抱えた無味な人間がここに爆誕してしまいました。

とはいえ正直この時は結構焦ってて、普通なら同級生は大学3年生で企業へのインターンなど就職活動を始める時期です。

一方自分は何をしていたかというと、まあ半分鬱状態ではあったんですがこのままで大学生活終わってたまるものかと奮起していました。

一度はやめたサークルも別のところに入り直しました。
でもフリーランスのエンジニアになるという目的は捨てきれなかったので勉強も続けることにしました。
その時ちょうどノーコードツールというコードを書かなくてもアプリが作れちゃう代物があったので、それで一旦アプリを作って感覚をつかむ目的でそう言ったツールの勉強も始めました。

でもこっちはこっちで全部英語の情報しかないし使い方わからんしで全然難しかったです。

インターンもエンジニアじゃなくていいからどこか探さないとと思ってwebライターのインターンをやったりとか、ノーコードツールを使った開発業務やPMをさせてくれるインターンをやったりとかとにかくいろんなところを走り回ってました。

そうして休学してから半年ほど経った頃、思ったよりコロナが長引いていて来年の入学式で新入生歓迎活動ができないかもしれないということを知りました。それをきっかけに、アプリ上で新入生の歓迎活動が行えるようなプラットフォームがあればいいなと思って学生限定のSNSを作ることを決めました。

コードはもちろん書けなかったのでノーコードツールでなんとかできないかなと試行錯誤した結果、なんとかそれっぽい形のアプリを作ることには成功しました。

このアプリを引っ提げて大学の学生生活課というところに営業しに行って、大学側も困っていたのか運良く翌年の入学式で公式に採用されることが決まったのでそりゃもうウキウキですね。

あとはバグ修正をして部活やサークルの代表にそれぞれの団体情報をアプリに入力するようお願いをして、入学式当日はサークル紹介パンフレットの最後のページにアプリへのQRコードを載せてもらっていたのでそこからアクセスしてもらう形で利用してもらいました。

その時Twitterで全然知らない新入生が「このアプリあるから大学のパンフレットいらんくなった」みたいな内容の投稿をしていたのをみてめちゃくちゃ嬉しくなったのを覚えています。
この時自分が作ったもので他の人を喜ばせることの楽しさを知って、自分で何か物を作って生きていく道も本格的に考え始めるようになりました。

プログラミングに再挑戦した時

大学生限定SNSを作った時に新入生から嬉しいお言葉をいただいたこともあり、どうせならもっと便利なものを使って欲しいという思いからこのSNSを来年に向けてリニューアルすることにしました。

そこで今まではノーコードツールで作っていた物をもっとリッチにするためにちゃんとコードを書いて実装し直すべくFlutterというプログラミング言語(正確にはフレームワーク)を勉強し始めました。
とはいってもお勉強をしている時間はなかったので学び始めた初日からアプリのリニューアルをやっていました。

最初はもちろん何がなんだかさっぱりではあったんですが、今回は勉強のための勉強じゃなくてちゃんと作りたいものがあった上での学習だったので意外と慣れていき、Flutter関連のYoutubeやオンラインサロンでの質問会にも通い詰めてなんとか成果物を作ることができました。

まだまだエンジニアから見ると全然大したことはないのですが、この時初めてコードをかけると自信をもって言えるようになったと思います。

そしてまた翌年の春にリニューアルしたアプリをリリースし、前回と今回合わせて約800人くらいの学生に使ってもらうことができました。

この時確か大学4年生になったぐらいだと思います。

やっと個人で稼げるようになった時

実は2021年の1月に開業届を出していて、しれっとフリーランスデビューしていました。
最初は知り合いづてでノーコード関係のお仕事やHP制作案件などをもらっていて、運が良ければ数万円程度稼げていました。
ただこのくらいではフリーランスを主軸にして生きていくにはあまりに厳しく、結局カフェでバイトしたりタイミーなどで日銭を稼いでいました。

なんやかんやで2年ほどだらだらやっていたのですが、2023年の夏頃にIVSというスタートアップの展示会に行った時に当時タイミーの雑用バージョンを作っている会社のCEOと出会いました。
彼は韓国人でしたが日本語ペラペラでなんか勢いがあったのと、単純に仕事がなくて暇だったのでエンジニアとしてその会社を業務委託で手伝うことにしました。

その年の9月ごろ、同社の元CTOが辞めることになったので企業価値の維持のためか自動的に自分がCTOになり、そこから半年ほどこの会社で名ばかりCTOをやることになります。この時の月の契約金額が40万だったのでここでやっと個人事業でまともに稼げるようになりました。

それまではというと相場感が全くない人から数万円でアプリ作ってくれとか、無料でやってくれとか、どれだけ働いても月1万円とか、なんならあることないことでっちあげられて損害賠償請求されたりとかろくなことがなかったのでこのような機会をくれたCEOには感謝しています。

就職そして退職した時

結局就活はほぼやらなかったのですがなんとなく就職エージェントから紹介された企業を受けたらなんか受かったのでそこに就職しました。
一応東証プライム上場の大企業だったし、今までベンチャーとか中小、スタートアップでしか働いたことがなかったので大企業ってどんな感じなんだろうという好奇心で入りました。
CTOをやっていた会社は3月末で業務委託契約を解消しこっちの企業に勤めることになったのですが5ヶ月で辞めちゃいました。
理由は色々あるんですが1番は自分で起業してた時の方が圧倒的に楽しかったというのと、今起業しないともう後がないと思ったからです。
まあとりあえず1年休学して1年留年してせっかく新卒で入った大企業を5ヶ月で辞めたやべえやつが出来上がったという話です。

これからどうする

ここまで色々受験生時代から自分の半生をざっくり書いてきたわけですが、これからどうするのかというところについてはあくまで現時点での計画を書いておきます。
結論を言うとヘルスケア領域で起業します。
なんで起業?なんでヘルスケア?
周りの投資家とか起業家にはすでに結構言っちゃってますが、この辺については創業時に改めて詳しく書いていこうかなと思います。

最後に

振り返ってみると色々ありましたね、誕生日前日にバーーーってやった割には結構書けたかなと思います。

あ、ヘルスケアで起業はするんですが自社プロダクト以外にもキャッシュ作り目的で受託開発も行っております。

フロントエンド/バックエンド/ネイティブアプリ/PM全てできますのでもしシステム開発を検討されている方はぜひDMいただけますと幸いです。

人生25年目も全力で生きていきたいと思います、よろしくお願いいたします🙏


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