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文学と死 ゲーテ太宰三島ヘッセ

 太宰治も、三島由紀夫も、川端康成も、芥川龍之介も、みな自ら亡くなりました。
 対して、人生を通して神経衰弱に悩まされた夏目漱石は、胃潰瘍で死ぬまで、その人生を全うしました。
 若きウェルテルの悩みでヨーロッパに文名を轟かせたゲーテ。若きウェルテルの悩みは多くの後追い自殺が問題となりましたが、ゲーテ本人は82才と長く生きています。

 自分も太宰の「黄金風景」や「人間失格」は大好きな作品です。
 一方で太宰の文才や、そのカリスマ性によって共に亡くなった人がいるのも事実です。


三島由紀夫は言っていました。


小説は、お薬ではない。
しかし、作者にとってはお薬になる。
作者は主人公を殺すことで自らを生かす。
(自分なりのまとめです) 


主人公で死のシュミレーションができる小説家という職業

 ヘルマンヘッセは「車輪の下」でタイトル通り、学業や社会からの目という「車輪」に踏みつぶされる少年を描いています。
ヘッセ自身も、神学校に合格する優秀な学生でしたが、鬱になり神学校を退学しています。主人公と自分を重ねることで、自分を振り返ってアイデンティティを保っています。 

 三島由紀夫は、ゲーテが「若きウェルテルの悩み」において主人公ウェルテルに自決させた事によってゲーテは、自分の行く末を小説にすることで、自分が自殺するのを防いだと考察しています。


太宰治と三島由紀夫


 太宰治の「人間失格」では、自殺に失敗した主人公は最後に人間失格だと悟ります。 
太宰治も、ゲーテやヘッセと同じく、人間として生きる辛さ、人間の弱さをさらけ出すような書き方をする作家です。その弱さに共感する人が多いからこそ、人間失格は「こころ」に次ぐロングセラーなのだと思います。

 前述した三島は太宰治を嫌っていました。私が思うに、三島は太宰の作風が嫌いなのではなく、太宰に同族嫌悪を抱いていたからだと思われます。
 三島は、太宰の作品で描かれる人間の弱さに共感してしまうと自分が駄目になると考えたのです。

小説は作り手にとっては薬でも、
読み手にとっては、後追い自殺の動機になりうるものでした。

結局、太宰治も三島由紀夫も自殺しました。 

 太宰は小説や、実生活での自殺未遂を使って小説を書き、実家からの仕送りを得ていましたが、いよいよ精神的にそれが続かなくなり、執筆も薬とならなくなってしまったのだと思われます。

 三島由紀夫は、戦時中のコンプレックスを拭えず、現代の天皇の扱いや、自由主義的な日本人、自衛隊の扱いに疑問を持ちます。
三島由紀夫は、太宰やヘッセのような私小説ではなく、第二次戦後派として西欧的長編小説の発達に寄与した人であったので、小説を書くことは薬とはならなかったのかもしれません。 

素人の稚拙な考察ですが、 
「こころ」と「人間失格」が日本小説の売り上げ一位二位である以上、日本の文壇にとって、いや世界中の小説と「死」は深く関係しています。

村上春樹も主人公がバットエンドを迎える、「グレードギャツビー」や「ライ麦畑で捕まえて」などに影響を受けていますが、
近年の村上文学では、アンダーグラウンドなど、生きることについて向き合う真剣な姿勢があると感じます。

死を題材にした小説は、人間の弱さや、社会が個人を包摂する力の弱さを暴き出します。
しかし、自殺の動機にもなりかねない部分もあります。
 文学や哲学書を読むと死ぬとまで言われた時代もあったようですが、本質的には、こころを豊かにするためにあるはずなのです。

死は美化せず、逃げて、休みながらでいいから生きてほしい。

不条理を乗り越えられる力が、小説にはあるはずなのです。 

それこそが、小説の最たる力だと思います。

苦痛を享楽出来るのは、ほんたうの詩人です。
宮沢賢治


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