【連載小説】吾輩はガットである⑧
さて、吾輩は人間の喜ぶスポーツというものにはとんと興味がわかないのではあるが、それでもパオロや誰かしら友人が家にいるときにカルチョの中継を見ていればいやでもある程度の知識は持つに至っている。
普段パオロが見るボローニャだのインテルだのミランだのというのはオトモダチのチーム同士が試合を行うので、同じチームにイタリアの人やらブラジルの人やらアルゼンチンの人やら、外国人も多く一緒にプレーしているようである。そして、大体勝つのはお金持ちのオトモダチチームだそうで、パオロの好きなボローニャはそんなにお金持ちでないから特別に上手な人は呼んで来れないということである。
この仲間同士でする試合は夏の終わりから秋、冬の年越しを経て春まで長い間何十回も試合をして、一番多く勝ったチームを決める習わしだそうだ。なので、パオロが週末に試合を見てもまた次の週には試合をしているのである。ボローニャは一番多く勝つというのはないようであるが、時々ミラノのチームが一番多く勝つことがあるようで、そういうのが決まった日には街中を車をブーブー言わせて大騒ぎで走り回る人がいるので吾輩でも異変に気付くくらいである。ミラノにはミランとインテルというチームが2つあるそうで、どちらもそれぞれ強いので有名なのだそうだ。
しかし、平和な日々を謳歌しているところへああやって大騒ぎされるのは迷惑と言えば迷惑な話ではあるが、まあ陽気に喜ぶことがある人が大勢いるのは悪いことではないようだ。ただ、そんな日は窓からの眺めも乱れるので、吾輩はいつにもまして静かに過ごすよう心がけている。人間は陽気に騒いでいるくらいが実は平和な状態らしいので、その辺りのよろしい事情を容認するというわけである。
人間の世界でよろしくないのは戦争と言って、何が悲しくてそうなるのか、人間同士が殺し合いをする状態になることであるそうだ。そうなると、人間達は悲しみや怒りのような感情で満たされるということだ。我々ガットの共同生活者が陽気に笑うことがなくなってしまい、いつも不機嫌だったり心配で夜も眠れず悲しんでいるのは精神衛生上よろしくないことこの上ないと思われる。幸い吾輩はそういうことに巻き込まれることなく今まで過ごしているので、幸運を享受しているらしい。出来ればこのまま一生を全うしたいと思うばかりである。
そもそも同族で殺し合うなんて言うのは吾輩には理解の範疇を超えた考えなので、人間とは本当に愚かなものだと思ったりもするが、機械を作ったりしてより快適な生活環境を整えたりする知恵も持っているので、なかなかに賢い面も持ち合わせているのだから難解である。知恵があっても、いい方向に働かない知恵なら使わない方がいいということが分からないから悪い方向へも知恵を働かすことが起こりうるのが人間の特性のようである。吾輩としてはその特性の究明にこれからも励み続ける所存である。
しかしなぜにパオロはその特別強くもないチームの試合ばかり見るのかと言えば、彼の生まれた街のチームだからである。こればかりは彼に説明を受けるまでもなく吾輩が単独解明した事柄なのである。ところで、カルチョはカルチョでも、イタリアの試合はまた様子が違い、あれは年がら年中試合をするのでなく、時々集まって試合をするお祭りのようなものがある様子で、イタリアと呼ぶ所以はチームにイタリア人しかいないからだそうだ。いわゆる代表というものらしい。そうしてみんな自分の国の人だけでチームを作って国ごとで試合をするらしい。奈緒美の日本にもそういうチームがあるそうで、時にはイタリアと日本の試合なんてのもあるらしい。
世界のお祭りやらヨーロッパのお祭りで何回も一等賞になっているのがイタリア人の自慢のようで、勝つ試合が多くなると普段はカルチョに興味のない人でもああだこうだとカルチョの話をし出すということだ。パオロが仕事に出掛ける朝に時々立ち寄るバールなる場所でも、時としてかるちょのわだいでもちきりになるらしい。バールというところではちょっと顔見知りに会えば、そうやってカルチョの話や、政治の話などをするのが一般的らしい。カルチョ、政治以外では異性の話もよくすると聞いた。
ところで、パオロはカルチョの試合中継をいつも見る習慣であるが、奈緒美は全く興味がない様子である。どうも男性はカルチョが好きな人が多く、女性には少ないという印象であるが、吾輩のまわりの人間だけでそうなのかもしれないので、判断は付きかねる。実際、パオロが見ている試合でスタジアム内のお客さんを映すと、割り方女性や小さな子供も見に行っているようである。パオロが言うには、スタジアムという場所は口が悪い人が多いらしく、子供を連れて行くにはあまり教育上おススメできないところだそうだ。それでも、大きな声で下品な言葉を叫んでも容認される環境はそんなにないので。みんな日常のガス抜きに叫びに行くのだと言っていた。人間の悲哀も詰まっているのがスタジアムという場所らしい。
体験談で言えば、ヨーロッパのお祭りでイタリアが1等賞になったことがあって、あの日も街中は大騒ぎになっていたようである。パオロも大いに喜んで、夕食のワインの後に、またシュワシュワのワインを開けて奈緒美と乾杯していたのを覚えている。パオロ自身はテレビの前で見ていただけなのに、まるで自分のことのように喜んでいるので勝手なものだと思うけれど、吾輩からすれば、パオロと奈緒美が機嫌よくしているのを見ることは悪い気はしないので、家の中の祝杯は結構なものであると考える。
奈緒美がオトモダチと話をしてたところによると、このカルチョに一喜一憂するのはイタリア人の特性であるらしく、日本ではカルチョでこんなに大騒ぎする人は少ないそうである。日本には日本人だけが一喜一憂する何かがあるのかどうかは吾輩の認知外の話なのであまり詮索しないで話を聞いていたわけではあるけれど。
さて、セーリエアーでミラノのチームが優勝して大変騒々しい夜を過ごすかと思えば、他の街のチームが優勝する年にはそういう大騒ぎがないので、吾輩にはセーリエアーがいつ終わったのか今一つよく時期が分からないことがある。まあ、パオロが週末に中継を見なくなるので、大体の察しは付くのであるけれど。どうでもよさそうなことではあるが、あの毎週試合をするのが休みになるのは暑い夏の間なので、いやでも季節の変わり目になるから吾輩にとっても全く無視していればいい事柄ということもない。
季節が廻り、過ごしやすい春から暑い暑い夏がやって来る。6月は初夏というらしいが、始まりでも終わりでも暑いものは暑いので、街行く人の着る服もどんどん簡略化され、ほとんど裸で歩いているような人も時々見かける。我々ガットは年がら年中同じ装いで過ごしていても何とか凌げるが、人間には暑くてどうしようもないと人目を気にするのをやめて一番らくちんな格好で出歩く人がいるということらしい。そんな中、8月の夏休みまではネクタイで首を絞めあげることを続けるパオロは割り方暑さへの耐久性がある方なのであろう。
そのパオロが夏休みの計画の話をしている。外が暑くなってくると、人間はみんな夏休みの過ごし方ばかり考えている様子である。早く充電しないとエネルギーの残量が少なくなって心配なのであろうことは想像がつく。
「今年もリカルドがポルトリカナーテの家貸してくれるって、8月の中旬の2週間、どうする?」パオロが夏休みの提案をしているようだ。
「ええ、まだ7月前なのにもう夏休みの予定考えるの?」
「とりあえずリカルドに返事しなきゃならないからね。彼は8月にマヨルカに行くらしいから、その間家を使ってくれる人を探してるんだ。」
「昨年8月の後半に借りた家でしょ、まあ、その時期に貸してくれるならいいかもね。広いから家から海見ながら過ごすのは悪くはなかったなあ。クロを連れて行ってもいいのは助かるわよね、あの家は。」奈緒美はこういう時に吾輩の処遇にも気を使ってくれるところが人間にしては気が利いていると常々思っている所以である。
「じゃあとりあえず借りるって返事しとこうかな。細かい日程はまた先で決めればいいから。」
「そうね、真ん中の2週間はお店も休みになるから日程的な問題はないと思う。もし引き継ぎに私が行けなくてもパオロだけ先に行って鍵預かったりできるでしょ?」
「まあ、それもその時に考えることにしようか。明日にでもリカルドに電話しとくよ。」
あの海の家は吾輩も昨年一緒に出掛けて滞在したので今でも窓からの景色をはっきり思い出せる。一面の海が目の前に開け、初めて海を見る吾輩にはなかなかに驚く光景であった。あそこに辿り着く前の電車の窓から生まれて初めて見る海という水のお化けのような広い広い果てしない景色が現れ肝をつぶしたことを覚えている。そうしたらやっと到着した家の窓からもその海が一面に見渡せたわけである。最初の日はあの水の量に圧倒され、怖くて直視できなかったことを覚えているが、安全な家の窓からちらちら見ているうちに、段々に怖さが消えて、まあ、遠くからなら平常心で眺められるようにはなった。
どうやら今年もまたあの家に行くことになりそうだと思うと、常々変化のない平穏な日々が送れることが一番の幸せであると思っている吾輩まで、何だかそわそわした気分になって来るから不思議なものだ。どの道、あの海とやらには絶対に近づかない所存であることには変わりないのだけれど。
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