最近,いろんなことがよくわかりません。SDGsとか。
最近,コロナ下でストレスの溜まっている方々も多いことと思いますが,私も広島に緊急事態宣言が出されたりして,ゼミすら学生と対面でできなくなったりして,非常にストレスが溜まっている人間の一人です。
で,そんなストレスの中でつい誰かにきいてほしくて書いてしまうわけですが,
ほんとうによくわからないので,ご存じの方がおられたらお伺いしたいのですが,
SDGsというのは,いったい何が新しいのでしょう??
そこに含まれる各項目は,はるか昔から,世界中の無数の企業が,組織が,個人が,内実は別として,旗印としては掲げて活動してきたものであるように思えるのですが…。
これを学生が言うのならまぁそうかと思うのですが,マスコミや役所が嬉しそうに目を輝かせて報道しているのを見ると,(言葉は超絶悪いですが)この人の頭の中は本当にお花畑が広がっているのだろうかと思ったりしてしまうのです。
なぜかというと,ここで「本当にSDGsは新しいのか?」「なぜ新しいと言えるのか?」という疑問が沸々と湧いてくることこそ,大学で身につけるべき教養だと思うからです。
報道のされ方を見て,少なくともSDGsの発想がどのような意味で新しいのかを説明してくれるような言葉が耳にできれば良いのですが,残念ながら今のところそういうものは私は聞けていません。
大学の学びというと,現実のサラリーマン稼業で役に立たない抽象的な学問を大卒の資格を取るためにイヤイヤ履修して,卒業後ただ忘れていくということをイメージされる方が多いようにお見受けしています。政治家や有名人の中にも,大学人が無意味なことをして税金を食いつぶしているということを堂々と仰る方がいますね,残念ながら。
しかし,大学で何を修めるかなんて,はっきり言って何でも良いのですよ。ここでいう「何でも良い」とは,そこから得られるものは何かしらあるという意味です。どうでもよいという意味ではないです。
大事なのはそれを学ぶ過程で身につけるべき「科学的思考」のはずなのです。
我々大学教員の仕事は,半分は学生の教育ですが,残りの半分は研究です。少なくとも本来は(というのは,おおむね大学教員の合意を得られると思います)。
なぜ小中高の先生方のように教員免許も持っていない我々が教育に携わるのかというと,科学的知識とあわせて科学的思考を提供することができる立場にあるからだと考えています。
言い方は悪くなりますが(ってか最悪ですが),流れてきた情報を諸手を挙げて大衆に流している主体には,おおよそ大学で何やってきたんだ,社会人になって何学んできたんだ,という思いを禁じ得ないのです。それは所属していた教育機関において科学的思考の教育を提供されていないか,あるいは提供されているにもかかわらず科学的思考の訓練を拒絶してきたか,いずれかにしか思えない。
もういい加減,学問が役に立つか立たないかという不毛な議論はやめていただきたい。
第一に,ここまで社会が複雑化し,不確実性が高い中では,何が役に立って何が役に立たないのかなんて事前に予見することは不可能なのだ。
そして第二に,役に立つ・立たないという基準で選別された「テクノロジー化学が正当化されるのは,それが道具として使える目的が十全な価値をもっていると見なされるコンテクストにおいてのみである。……換言すれば,テクノロジー科学は普遍的に合理的とは限らない知的営為なのである」(佐々木 1992: 500)。
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