見出し画像

学校いかなくてよかったー!

 人間って問題が起こると、そっちに集中してしまって現状を冷静に認識できないんだと思うんです。実際自分がそうですからね。

 不登校というと、学校に行く行かないはもちろん。学力や将来のことについて心配の種は尽きません。

じゃあ逆に。

『不登校で得したことってなんだ?』

という質問を投げかけてみます。

ギターに出会えた

画像1

 ボクは、不登校始まって少し経ってから洋楽を通して「ギター」に魅力を感じました。(SUM41というアーティストです。※Youtubeが開きます。)

 母親を通じてギターを借りて触ることが出来たんですが、今でこそ弾く機会が無くて鈍ったと思いますが、当時は指に出来た水ぶくれがやぶれてビリビリしても弾き続け、痛みで止めた翌日も弾いていました。

 それくらいのめり込むほどに夢中になれたって、ゲーム以外にないんじゃないかなって思うんです。これほどのめり込めたのは、不登校という『たくさんの時間があったから』できたことだと思っています。

キーボードの入力が早くなった+友達が出来た

画像2

 不登校の期間中、ゲームをたくさんやっていました。もちろん勉強そっちのけで(笑)

 その中に、オンラインゲームに熱中していました。

 そのゲームのなかでは、どこか見知らぬ誰かと一緒にグループになってレベルを上げたり、強いボスを倒しに行くのです。もちろんチャットを使って年上や同い年、年下の人たちと会話をするわけです。

 そのおかげで、キーボードの入力速度がメキメキ上がっていき、大人になった今、仕事での入力の速度が速いので、他の方より少し早く仕事が終えられたりします。役に立ってるんですよね!

 そして、ゲームなどを通して年齢を超えてお友達が出来ました。そのお友達には直接会いに行ったりしましたし、プレゼントを贈ってくれたりしました。今でもたまに連絡を取っていますので、10年以上の付き合いになるんですね!驚きです。

自分というものを受け入れられた

画像3

 これは年を重ねてからなんですが、不登校について向き合うことによって、自分の内面をみつめるということが習慣化されました。

 その為、自分の思い込みや感情に気づきやすくなったために「良い悪い」という判断基準を超えて「ただ受け入れる」ということが出来るようになったということを痛感しています。

⇒ 私は今こう思っている。こう感じている。それもよし。
⇒ 今自分を罰したな。そこで終わり。
⇒ これが嫌なんだ。じゃあ伝えてみよう。

 こんな感じで、自分がどんな風に思っていて何を感じているのか?それをただ受け止める、受け入れることが出来るようになってきたおかげで、他人に対しての批判がどんどんどんどんと減ってきたんです。

 おかげですっごく楽になってきています。これも不登校というキッカケが無ければ今はなかったと思います。

繋がりが出来ました

画像4

 画像のようなはっちゃけたものではないんですけども(笑)

 自分の不登校の克服経験を活かして、似たような人々のココロを少しでも楽にして、ゆとりを作りたいと思うようになってから、地元の不登校支援の団体にアポイントを取って交流を始めました。

 その団体の方々にお話する場を設けていただいたのですが、その団体の方々との繋がりが出来たということが、ボクにとっては宝ものになりました。

 運営している「居場所」というものがいくつかあるんですが、ただそこにいていいってのがまた気持ちいいというか、自宅以外でくつろげる場所ってなかなか貴重だなって思うんですよね。他人がいるのにね。

考え方がやわらかくなった

画像5

 不登校と向き合うようになって、かなり考え方が柔軟にやわらかくなりました。

 不登校って一体何だ?と自分に問うて、こんな風に自分に対して思ってたんだ!とか勝手な思い込みに気づくことによって『本当にそうなのかな?』という疑問が湧いてくるのですが、その疑問のおかげで不登校がマイナスの出来事からプラスの出来事に変わったのです。(詳しくは不登校とは『No!』と言える勇気である。をご覧ください)

 そして、この発想の転換法は仕事でも恋愛でもなんにでも使う事ができる一生の資産になりました。

自分のことが前より好きになった

画像6

 なによりも、今までは自分の事を責めに責めて卑下をして生きてきたわけですが、不登校を克服することによって以前より、はるっかに自分の事が好きになりました。

 人を褒めることもスゴイ得意だし、想像力も豊かで、自分でもビックリするようなことで幸せを感じます。(例えば蝶のツガイがひらひら飛んでいるのを見て幸せだなぁと感じていたり。)どれもこれも、不登校と向き合って、自分や母を許すことが出来たからできたことなのかなと思っています。

最後に

画像7

 挙げれば枚挙にいとまがないくらいに出てくるんですが、ここで終えておきましょう。

 振り返ってみると、その当時には不登校である自分に否定的だったので、不登校で得したことなんて考えもしませんでした。振り返った結果、得られたことの方が圧倒的に多いんですよね。

 これって、種まきみたいなもんだなぁと。不登校という『未来の資産』をまいて、芽が出て大きくなって収穫できるまで大変かもしれませんが、収穫できた時の恩恵たるや凄まじいモノだなぁと思うんです。

 10代前半の数年間。たしかに辛いことがあります。向き合うということもなかなか大変なことでした。だけど、お母さんやお子さん。アナタのその辛く苦しい感情は必ず笑顔に変わりますし、それぞれのココロの資産にもなります。

 それまでの道のりをサポートする人はいますから、どうぞ皆さんのペースで気楽に進んでいってくださいね。

 いつも読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?