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妄想と欲望という名の夢か誠か 第九話~覚醒~

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妄想と欲望という名の夢か誠か 第九話~覚醒~



萌芽

  少年には分からなかった。
  人は何故、泣き、笑い、苦しみもがき、悲しみや嬉しさに一喜一憂するのだろうか?
  少年はそれが不思議でならなかった。
  彼は生まれてこの方、『感情』が揺さぶられる事など経験になく、それが当たり前だと思っていた。しかし、同世代の子ども達は、あまりにも自分と違い過ぎた。些細な事で喧嘩、或いは手を取り合い、思うがままに『感情』の波に沿って、その満ち干きは絶えず繰り返されていた。
  少年は、それが少し羨ましくさえ思えた。
その『違い』が、その少年のこれからを形成する『発露』だったのかもしれない。
  そう。あの日、彼は目覚めるのだった。



「うえっ! 汚ぇ!  こいつ吐いてるし!」
  給食後の昼休み。
 その日は生憎の雨で、生徒たちは教室の中で足止めを喰らう。女子達は買ってもらった携帯を見せびらかしあったり、好きなアーティストの話で盛り上がっている。
  男子は教室の真ん中を陣取り、プロレスごっこに夢中だった。
  少年は怠惰にその風景を眺めつつ、時間の経過に身を委ねていた。
「お次はこれだ!」
「行け!  高階!」
  彼の目の前では、高階と呼ばれたガタイのいい少年が、やせ細った少年に殴る蹴るを繰り返し、意味の分からない技を何度も掛け続けていた。
  やせ細った少年の顔は真っ青で、今にも倒れそうなほどに憔悴しきっていた。しかし高階少年は、そんな事知ったこっちゃない! と言わんばかりに、容赦なく猛攻を続けている。
  そして、高階少年のパンチが、その少年のみぞおちに深くのめりこむ。と同時に、やせ細った少年はうずくまるように倒れ込み、粗く咳き込みながら、胃の中のものを床に撒き散らした。教室内は一瞬にして、給食で出されたミートソースの匂いで満たされる。
「うぇ!  マジで臭ぇ!」
「何やってるで!櫻井! マジで汚ぇ!」
  櫻井と呼ばれた少年を、周りの男子たちは囲い込み、罵声と共に執拗に蹴り始めた。
「や、やめて……お願い……」
  微かに漏れ聞こえる櫻井少年の声。しかしそれは男子たちの罵詈雑言に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。
  蹴られ続けながらも、櫻井少年はその場から逃げ出そうと、必死にもがいた。
「おい!  どこ行くんだよ!」
「面白れぇ、誰に助けを呼ぶか、見ようや」
  男子たちは面白がって、一度櫻井少年を解放する。
  櫻井少年は弱々しく立ち上がると、ある少年に向けて、震える手を伸ばした。
「ゆ、ゆきおくん、た、助けて……」
  ノートの空いているページに、アニメの女性キャラらしきものをひたすらに描き続けていたゆきおと呼ばれた少年は、その声に顔を上げる。
「知らんし。バカな事は向こうでやれし」
  ゆきおは冷たく言い放つと、またノートに視線を戻し、絵の続きに没頭する。
「はーい、ゆきおちゃんは、エロい女の子しか興味ありましぇーん!」
  男子の誰かが喚き、教室内はどっと笑いに包まれる。
  櫻井少年は苦悶の表情を浮かべ、膝に手をつき、そして倒れ込んだ。
  その瞬間、その一部始終を見ていた少年の心と身体に、電流が走った。
  櫻井少年の『懇願』からの『失意』、そして『諦観』に至る表情とその落差と廃退の有様に、少年は身を強ばらせる。
  えも言われぬ浮遊感に高揚感。脈動する鼓動。そして身体の中心が熱く滾り、まるで何かのエネルギーが一気に充填されたような、充足感が身体を包み込む。さらにそれにより、身体中の神経が鋭敏になり、ほんの少しの衝撃で、それは暴発するほどに高まり、少年は椅子の上から立ち上がる事が出来なかった。

「ちょ! 臭っ!」
 教室の後ろ側から三人の女子が入ってくる。
  三人の内の最後の一人が入ってくるのと同時に、教室内の生徒はその女子生徒に釘付けになった。他の女子とは一線を画す容姿とその佇まい。頭のてっぺんからつま先まで光が包み込み、それは見る者全てを魅了する。他の二人も可愛いらしい少女であったが、彼女の前に立てば、ただの引き立て役にならざるを得なかった。
  しかし、少年はそれどころではなかった。絶えず生成され続けるエネルギーが漏れ出ないようにするだけで精一杯。そして少年は無意識に股間を手で押さえた。
「やだ! また櫻井君いじめてんの?  可哀想やん」
  入って来た女子の一人が、笑いながら野次を飛ばす。
「だって、こいつ、全然死なねぇし!  死んだらゆるす!」
  高階少年の意味不明な宣言に、教室内の生徒たちは、一斉に笑い転げた。
  「加奈ちゃん?  どうしたの?」
  そんな中、一人だけまとうオーラの違う少女、加奈子は、そっと櫻井少年の近くに駆け寄る。
  吐瀉物にまみれたままくずおれた櫻井少年は、視界に現れた少女に苦悶の表情を見せる。
  加奈子はその櫻井少年を見下ろし、
「マジで臭いわ!」
  と、顔をしかめて唾を吐いた。
  その彼女の言動に、櫻井少年は堰が切れたのように、声をあげながら泣き始めた。
  そして、それを見ていた少年も、もはや我慢の限界と言わんばかりに、硬く肥大化した股間を握りしめた。すると、尿意とは別な何かが、多幸感を伴って股間に押し寄せて来た。
『やばい!』
  初めて少年は焦った。
  このままでは何かを漏らしてしまう!
  意を決して少年は立ち上がり、トイレへとひた走った。

「おい!お前ら! 何騒いでんだ!」
   少年がトイレに駆け込んでいる最中、担任の教師と思しき男が教室に入って来た。
「また、お前ら教室汚しおってから! なんて匂いだて!」
「片桐先生! 櫻井君がゲロ吐きましたー!」
  一人の生徒の声で、教室内の生徒たちはまた笑いに包まれた。
「お前らふざけるのもいい加減にしとけや!  ほら、櫻井も寝っ転がってばかりおらんで、雑巾持って来て、汚したとこ拭かんかい!」
  片桐は、それまでの経緯を振り返ろうともせず、ただのふざけ合いでその場を片付けた。
  櫻井少年はぶるぶると震えながらも立ち上がり、よろよろと歩き出した。
「さっさと歩かんかい!」
  背中越しに片桐が喝を入れる。櫻井少年は、歯を食いしばりながら、教室の隅にある掃除用具入れまで歩く。そしてその用具入れの手前の机に座っていた生徒が、素知らぬ顔をして、櫻井少年の引きずる足に自分のそれを掛ける。
  途端にバランスを崩して、そこに倒れ込む櫻井少年。そのさまを見て、また教室内はどっと笑いに包まれた。


  「はぁ、はぁ、危なかった……」
  トイレの個室に駆け込んだ少年は、間一髪、下着やズボンを汚さずに済んだ。
  急いでズボンとパンツを下ろし、トイレットペーパーを掴もうとするも、間に合わず、そのまま股間を便器に押し込み、迸るエネルギーを解放した。その放出される瞬間、今まで味わったことの無い、昇天するかの如く満ち溢れた多幸感に、身体中が支配された。ビクビクと痙攣のように波打つ身体と、全ての喧騒を淘汰し、隅々まで満ち溢れた彼の『心』は未だにその余韻に浸りきっていた。
  少年はおもむろにトイレットペーパーを引っ張り、股間に当てがう。しかし、上手いように拭き取れずに、ドロドロと粘つく液体が指にまとわりついた。粘つく指を虚ろな目で見つめる少年。ツンと鼻につく匂い。その指先は夏場のプールを想起させる。
  少年の脳裏には未だに、苦悶に満ち、泣き叫ぶ櫻井少年の顔がこびりついて離れなかった。その顔、声、そこに行き着くまでの過程からの、谷底へ叩き落とされるその様が、またもや少年の身体を火照らせる。
  少年は午後の授業も忘れて、個室トイレの中にしけこむのであった。


真実

「えっと、七月十七日?」
  加奈子は加藤社長からの誘いに応えるべく、スケジュールをチェックしていた。
「この日は、大丈夫よね?」
  誰かに声を掛けるかのように、自分に言い聞かせる加奈子。
  ちょうどその日は二十時までは、付き合いのある企業のパーティーが入っていた。しかし加藤からの誘いはいつも二十二時過ぎ。今回に至っては二十三時以降。万が一遅れて行っても、彼は彼女を絶対に咎めない。寧ろ駆けつけてくれた事に感謝をする。そんな男だ。

  加奈子は了解の旨のメッセージを送り終えると、スマホをタップしてとある配信アプリを開いた。

「きゃー!  もう! ありがとう! ゆっきー大好き!」
  彼女が開いたのは、みさきちが配信しているアプリ。幸夫とみさきちの動向をチェックする為に、彼女もインストールしていたのだ。
  今晩も幸夫がギフティング出暴れているようだ。

「あ!みさ太郎ちゃんもありがとう!すんごいギフト!え?  嘘?  そんなにぃーーー!」
  絶え間なくコンボされるみさ太郎からの特大ギフト。コメント欄はギフト通知で埋め尽くされ、まるでみ他のリスナーの侵入を拒むかのように、滝のように流れて行った。
  画面の中のみさきちは、みさ太郎のあまりもの大量のギフトに驚きを隠せずに、放心状態。そしてやっと感情が追いついたのか、涙を流しながら、みさ太郎にしきりに感謝を述べる。それに負けじと幸夫もギフティングを続けるが、みさきちはそれに気付いていなかった。そして、その日の配信は終始、みさ太郎への感謝の言葉で費やされ、ギフティングのランキングを確認しないままに締め括られた。
  幸夫がギフティングをすれば、被るようにしてそれ以上のギフティングを繰り出すみさ太郎。その都度、幸夫の存在を掻き消し、みさきちを虜にしていく。
  現にその日の配信では、みさ太郎の特大ギフトのコンボの後は、みさきちは一切幸夫について触れなかった。どんなにコメントを打っても、ギフティングで掻き消され、その逆をやろうとしても、それに気付かない始末。或いは気付かないフリをしているのか、四時間以上続けられた配信内で、みさきちが幸夫に掛けた言葉は最初の一回きりだった。

「マジでウケるんですけど!  この女、相当性格悪いわね!」
 加奈子は寝酒のスパーリングを煽りながら、その見せしめに笑い転げた。




「ふざけんな!」
  幸夫はスマホをベッドに叩き付けた。
「みさ太郎!  マジでふざけんなし! なんでいつもお前が持って行くんだよ!  一番ギフト贈ってるの、俺だっつーの!  マジでふざけんなし!」
  時計の針は深夜一時を回ろうとしている。
  家族はとっくの昔に床に就き、寝息を立てている時間。
  幸夫はそんな事お構いなし、声を張り上げて絶叫する。
「絶対許さない!  絶対に許さない!  みさきちへの愛は、僕が一番で、オンリーワンなんだ!」
  迸る怒りと、零れ出る涙。
   みさきちを洗脳しようとするイカレリスナーをどうにかして懲らしめ、みさきちに本当の愛に気付かせてあげなければならない!

どうする?

幸夫は考える。ひたすらに考える。
『何かしらの力で、あの男を配信に入れなくすれば話は早い』
  早速幸夫はアプリ内のヘルプの項目に、みさ太郎のアカウント名を入力し、問題を起こすリスナーとして通報。
  併せて彼のリスナーのページから、公開されているSNSにアクセスする。
そのアカウントに公開されている写真は全て豪奢なもので彩られ、あからさまな裕福さを絵に描いていた。しかも世界各国を飛び回っているようで、フォロワー数も桁違いの人数。
  とは言えきっと、有効に機能しているフォロワーなど、数える程も居ない筈!要するに『金』で釣ってるだけのインチキゲス野郎だ!
  
  そんな金にまみれたような男に、『アイドル』、否、『イモ娘』、それ以上に『みさきち』を理解出来る筈がない! 今回の騒動は金持ちの一種のお遊びのはず。幸夫は全財産と、そして人生をみさきちに賭けている。道楽で楽しんでいる奴らとは、覚悟が違う!

そして、あらゆる感情を込めて、それぞれののアプリ内でも、彼を問題を起こすアカウントとして、幸夫は通報を行う。
  これで少しはみさ太郎の足を挫くことが出来る筈。

それでも落ち着かない幸夫は、イヤホンを再度耳に突っ込んで、ベッドに突っ伏した。

  耳に流れ込むイモ娘の楽曲が、彼のささくれた脳内に静かに染み渡っていく。

そして幸夫は思う。
  彼の使命は重く、そして孤独な戦いだ。
  しかし、それはみさきちとの光ある未来へと繋がる道筋。障壁が大きければ大きいほど、勝ち得た喜びはひとしおだ。
  いずれ勝利の祝杯をみさきちと交わすのだ。
  その切符を持っているのは、幸雄ただ一人のみ!
   それだけは揺るがない『真実』だ!



  雅樹は、櫻井少年の母親の家を出ると、夜分遅くにも関わらず、今一度篠田の自宅を訪れた。

「まーた来たでか?」
  篠田は恨めしそうな顔をするも、雅樹の強い気迫に圧され、また書斎に彼を招き入れた。
  雅樹は、三十年前に櫻井少年の母親を訪ねて来たという少年が誰か気になってしょうがなかった。それを聞き出す為に、再度篠田を猛襲したのだった。

「雅樹や、すまんが、その時の書類がもう無くてのう……その子が誰かは調べようがないんじゃで」
「そう言わんと、調べてくださいよ!」
「そんなにつんけん言わんでもよかろうに……なぁ、大人しゅうしとけやて。そんな事しちょると、お前も呪われるで、俺はそれが一番心配だて。そうそう、幸雄も殺されるかどうかまだ分からんけ、じっとしとったら、何事も上手くいくかも知れんし、なあ!」
「呪いとか有り得ませんて!  やから、もう三人も死んどるんですよ! これを見過ごす訳には行きません!」
「過去は変えられんて。そんな事ほじくり返したところで、三人は戻ってこん!」

  結局、埒が明かなかった。
  二人とも意見が平行線で、どちらも折れることなく、話は断裂のまま、幕を閉じた。

「呪いなんて、そんな事有り得んて! あのバカ男が!」
 篠田の家からの帰り道、 昔の恩師に悪態をつく。どう考えても納得が出来ず、雅樹は癇癪が収まらなかった。
「ああ!クソッタレが!  あぁ!腹が立つで!」
  暗い夜道に、一人吠える。
  そのままブツブツと文句を言いながら、雅樹は自宅へと急いだ。いつまで経っても帰ってこない旦那に、千夏も腹を立ててふて寝をしてるはず。これ以上遅くなったら、明日の朝、ギクシャクする事は間違いない。

 雅樹は商店街の角を曲がり、工場通りに出る。ここを突き抜けて、住宅街に入れば我が家が見えてくる。

  工場通りを歩いていると、不快極まりない生ぬるい風が、ほんの一瞬だけ彼を包み込んだ。その風に違和感を感じた雅樹は、その場で脚を止めた。

そして、その風が吹いて来た右手を仰ぎ見た。

   そこには数年前に、このN市に参入してきたとある企業の工場が見えた。
  この工場はN市では一番巨大で、設備も最新を誇っていた。そして何よりこのN市の雇用のおよそ二十%を支えている。まさにN市には、なくてはならない工場である。およそ十年前は、都心への労働力の流出が止まらず、ほぼ年寄りばかりの過疎地と化していたが、この工場の誘致を目処に、それは歯止めが掛かり始めた。そして操業が開始され、流出は収まり、今となっては他地域からの人材の流入を促すまでに発展。このN市でこの工場に務めるのが、ある種ステータスと言わんばかりに、その価値はうなぎ登りである。

  雅樹は自分とは関係の無かった過去に思いを馳せ、その工場の佇まいを一瞥する。
  何の工場か知らないが、堅牢な門扉に広大な敷地内に建てられた幾棟の作業場。そして絶え間なく響く機械音。きっと二十四時間操業中なのだろう。煌々と灯された電灯の群れが、まさに不夜城と言わんばかりに、他を圧迫しているかのようにも見えた。

苛立ちをリセットする為に、一度深く深呼吸をする。そして、雅樹が再度歩き始めようと右脚をあげた刹那、彼の耳に誰かが囁いた。


『んな     いだ!   ねばいいのに……』

つづく

https://note.com/hiroshi__next/n/n0b8e0426f1d9



  
 


#創作大賞2023 #ミステリー小説部門

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