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「妻からの忘れられないひと言」創作大賞応募で調子に乗り過ぎた私。

「最近のあなた、調子に乗り過ぎよ。
誰のおかげで助けられたと思っているの。

そんなんじゃ応援なんてされないし、まして賞なんか取れない。
応援されたとしても表向きだけ。ほんとうの応援じゃない。

あ・の・と・き、何度助けられたと思っているの。
周りが合っていまのあなたがある。それを忘れちゃいけない。

どんな上司だってけっして100%悪いわけじゃない。
あなたのほうにも注意されなければいけない部分がある。
だから言われてきたのよ」

朝言われた耳の痛いひと言だ。

文章は書けるようになったし、人への説得力ある話もできようになった。
けど。言われてみれば、ぼくのほうがはるかに助けられた回数は多かった。

上司からの罵倒が続き、ボロボロになりながら、会社へと向かった私。
当時、つぶれずに済んだのは、小説「エレナ婦人の教え」に登場するおばあさんや漢方医、周りの味方、人生の師となる人たち。そしてはからずも一時は確執があり、まともに話せなかった父ですら、助け人となってくれた。

そんな人たちへの感謝を忘れ、傲慢になっていた。
そんな私を妻はやさしく諭してくれた。

忘れもしない20年前のあの日。僕は毎日、いつつぶれるんだろう・・・・・・と黒いアスファルトの上を歩いていた。快晴に近い日であっても心は曇天。けっして晴れることはなかった。週末、遠出をして一時的に日常を忘れることができても、日曜日になると、またあの罵倒がはじまるのかと思うと、憂うつだった。

『エレナ婦人の教え』はそうしてでき上った。当時、僕は助けを求めていた。友だちは「そんな上司の言うことなんて聞くこたあないよ」病院の先生は「プチうつ症状です。どうしてもというのなら、専門の窓口に行けばいいですよ」・・・・・・誰も助けとなるヒントをくれなかった。僕はそんな負け犬なんかじゃない。なんで僕のほうが負けなければいけないんだ。

かつての父は僕を全否定する人だった。何をやっても認めてはくれない。父の唯一褒める要素「勉強はしとるんかね」への努力。はじめてオール5に近い点数を取ったときでさえ、約束してた自転車はすぐには買ってくれなかったからだ。私も出すわよと言っていた母方の祖母ですらも、「私は無職だから、お父さんに出してもらいなさい」と言って、父は納得しないまま、渋々買ったくらいだった。

だから父のような人にはなるまいと心に誓った。外では人に気づかいのできるできた人。一方内では何でも自分の想い通りにしないと気が済まず、ちょっとでも気に入らないことがあると、何時間でも執拗に母を叱りつける人だった。

にもかかわらず、いつのまにか父と似た態度をしてしまうことがある。妻とふたりして人生の師につき、厳しい指導を受けて来たから、自分に起きたことはすべて自分にも原因があると気づくことができる。しかしそれでもなお、一番身近な人には、ありがたみを忘れ、つい人間味の無いひと言を言ってしまうことがある。

しかし夫婦とはそういうものなのだ。言い過ぎたと思えば、きちんと謝れば良い。そうやってお互いの悪い点、至らない点を指摘し合うことによって、よりよい自分になっていけるからだ。それがひいては多くの人に想いを届けられる一助になると思っている。

創作大賞 お仕事小説部門 応募作品「エレナ婦人の教え」執筆エピソード

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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