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ある深夜の雑記を持て余していたけれど、ここに遺すことにする

2023年1月。

身近なひとの、大事なひとが
亡くなったことを知る。

誰かが亡くなる。

急に現実が迫ってくる。

自由にやりたいことをやる、とか。

すんごく甘ったれたお遊びのような気になる。

私が大事にしていること。
私が大事にしたいこと。

それが、あぶり出されるとも言える。

私の大切な人たち。

みんな、いつか、死ぬ。

それは、わかっているんだけど。

そばにいたい。そばにいてあげたい。

そう思う。

それでも、それだけが私の人生ではないとも思う。

物理的な距離。

私は、なにを体験したいんだろう。

そばにいたって、できないこともある。

ただ、いるだけでいいこともある。

わたしのいのちを、どうつかう。

わたしが信じたいことは、大切にする。

わたしは、わたしのいのちを、生きる。

それは、誰かのためであってもいいし、
それが、自分のためであるかもしれない。

自分が納得できる道をゆく。

いのちがおわるのは、かなしいだけじゃない。

誇らしいことでもある。

いのちを生き切る。
お疲れ様でした。

生まれ、生き延び、命を終える。

大変なことも、失敗も、喜びも。
たくさんある。

健康だからこそ、命の余白を遊ばせてもらっている。ありがとうございます。

チャンスがあるのは、それを「する」ことが、
命の使い道だからか。

なにを選んでもいい。

どんな選択も、結局はじぶんのため。

だれかのせいにしない。

自分の選択に。

選べる贅沢。

本当に贅沢。
恵まれている。

この、いま、この瞬間に満足する。
とても幸せだよ。

離れていても、両親や家族や友達がいる。
生きている。

亡くなった祖父母だって、
生きていた事実は変わらない。

たくさんのひとに囲まれ、生きてこれたことは
幸せ以外の何ものでもない。

いま、わたしが、ここにいる。

その奇跡を思い出す。

どこかでなにかほんのひとつでも欠けたら。
ほんのすこしでも違っていたら。

私は、いない。

私は、存在しない。

その世界もあった。

だけど、いる。

いま、わたしは、ここに、いる。

なんのために、は、自分で決める。

きっと、意味はない。
ただの偶然で、生まれ、ここにいる。

それでも、いいじゃないか。

みんな、偶然生まれた仲間なのか。

なにもまじめに生きる必要もない。

いただいた命を、十分につかうのみ。

自分に使おうが、誰かに使おうが、
なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。

選択の自由がある日本に生まれた幸せ。

大変なことはある。
みんながみんな、手放しで幸せではない。

生まれたことを呪う。

そんな気持ちになることもあるかもしれない。

だけど、生まれたことは、偶然で意味がない。

そう思いすぎると自殺も容認することになってしまうかな。

それはいやだな。

それでも、その選択肢さえある。

ものごとをひとつの価値観だけでみない。

悲しいけれど、誇らしい。

解放でもある。

亡くなった方も、親族も。

結ばれた縁は解かなければ、つながりつづける。

自分の大切なひとたちの死を迎える時。

私はきっと悲しむし、泣いてしまうだろうし、
それを想像しただけで、すでに泣いているけれど。

死は解放でもあることを、忘れない。

生きているうちにしかできないことをする。

それがいのちの使い道。

感謝と愛は何度でも伝える。
生きているうちに伝える。

自分が死ぬ時、なにを後悔するだろう。

思い浮かぶこと。

それが、人生でしたいことのひとつ。

それでも、なにを選んでも、なにをしても、
それがそのときの最善だし、
それでよかったと思う気もする。

だから、なにをしてもいいんだよ。

もっと自分に甘くしてもよかったな。
と思う気もする。

自分は自分と最後まで一緒にいるよ。

もっと自分を幸せにしよう。
もっと自分を喜ばせよう。

それがまわりのひとたちの喜びになるよ。
そして、それを喜んでくれるひとたちと一緒にいよう。

わたしの幸せを喜んでくれるひとたちといよう。

わたしもみんなの幸せを喜びたい。

自分だっていつ死ぬかわからない。
わたしがいつまで生きるかなんて、
だれもわからない。

がまんしてても、だれのため?

まずは自分を幸せにしよう。

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