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私のトラウマ3

私に起きたトラウマ反応のひとつ。

フラッシュバック。

道を歩いていたら、左前方からトラックが来た。
私が歩いていた歩道の方向へ、トラックが右折した。

その瞬間。

ドーーーーン!!!

大きな音がして、私は事故当日に戻された。

とても怖くて、目を閉じた。

混乱した。

だけど、次の瞬間。

目を開けたら、何も起きていない。

トラックは、何事もなく走り去って行った。
大きな音がなるような衝突は起きていない。

混乱した。

だけど、これがフラッシュバックか。

何も起きていないのに、
あんなに大きな音が聞こえる。

何も起きていないのに、
強いストレスを受けた時に、一瞬で戻される。

とても怖い。とても辛い。とても嫌だ。

トラウマやフラッシュバックについて、
知らなかったとしたら。

自分がおかしくなったと思うかもしれない。
それくらい、わけのわからない体験だ。

誰かに話したとしても、理解してもらいにくい。相手にトラウマの知識があれば、分かってくれるかもしれないけれど。そうでなければ、分かってもらえず、信じてもらえず、逆に心ない言葉を言われたり、馬鹿にされたり、無理解にさらに傷つくことだってある。

それは、トラウマ反応で辛いうえに、さらに傷つき、ひとに相談することを控えたり、諦めて、さらに孤立していくことになる。

トラウマを負った出来事が、一時被害だとすると、その後に、まわりの無理解などによって傷つくことを二次被害と呼ぶ。

それによって、新たな辛さが重なり続ける。

交通事故を経験しなくて済めば、その方がよかったかもしれない。だけど、自分がトラウマを負い、トラウマ反応を経験したことで、頭だけの理解であった知識が、体感を伴った経験として理解できたことは、心理士として、とても大きな収穫だった。

心理士として、さまざまな辛さを抱えた人たちと関わるなかで、その方の辛さや、困難さを、トラウマという視点から見てみると、気づく事はたくさんあった。トラウマという視点から、関わることができた。トラウマ当事者同士という部分が、うまく働くこともあれば、私の思いが空回りすることもあって、反省もあったけれど、トラウマ反応を体験していなかったとしたら、私はもっと頭でっかちで、知識だけの傲慢な心理士になっていたと思う。

ほんの小さなきっかけで、フラッシュバックが起こる。何が引き金になって、辛いトラウマ反応が起きるかは、分からない。トラウマ反応は人それぞれ。私の体験が全てではない。人それぞれのトラウマ反応がある。

たったひと言。ちょっとした声かけ。それが、相手のトラウマ反応を引き起こしているかもしれない。引き金を、刺激しているかもしれない。相手に辛い思いをさせているかもしれない。

全てに配慮しきれる訳ではないけれど、その視点を忘れずに、人と関わる。その配慮をしたいと思える心理士になれたのは、交通事故のトラウマのおかげだ。

つづく

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