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私のトラウマ8

地元で日中は空いている駐車場へ行き、バックで車庫入れの練習をする。何度も線を越えてしまう。思い通りに車のおしりが入らない。自宅の駐車場でも、また苦戦。

父親が大きな声で、

「スト!(ストップの意味)」

と言うたびに、恥ずかしさと苛立ちで、運転が余計に混乱した。

父親の声があまりにも大きいから、散歩中の人が、何事かと様子を見に来たこともあった。お騒がせしました。

父親が運転練習に付き合ってくれるのは、とてもありがたいし感謝しているのに、その感謝と相反する苛立ちを感じてしまう自分にも、混乱した。

今思えば、それもトラウマ反応だったのだと思う。運転という強いストレスに晒されているだけで、苛立ちは強くなる。父親の言葉に苛立っていたのではなく、運転という緊急事態に対して起きていた反応だったのだと思う。もちろん、思い通りに車を操作できない情けない自分にも苛立っていた。

その頃の日記に、こんな事を書いている。

「運転練習中にふわふわと現実感がないのはトラウマ反応のひとつなのかな。目の前にあるものをひとつひとつ確認していくのみ。(2020年2月7日)」

現実感がないのも、トラウマ反応のひとつだ。

運転練習に慣れた頃、
2020年2月22日の手帳には、
こう書いてある。

「車の運転練習。事故現場の交差点を右折した。」

大学生、初心者の時に交通事故を起こした、あの交差点。行かなければ、と思った。行くと決めて、交差点へ向かう。手汗が出てくる。体が緊張して、危険に備えている。完全に体をコントロールする事はできなくても、自分の状態がいつもと「違う」ことに気づく事はできる。気づいたら、今の自分にできる事をするだけ。呼吸を整える。走行スピードを緩める。目の前の車と道路に集中する。それが、私にできること。

交通事故現場に到着する。

交差点を右折する。

あの日、曲がれなかった交差点。

曲がってみれば、普通の道だった。

曲がった後も、道は続く。

曲がれた自分が、嬉しかったし、自信になった。

17年前の2003年(H15)から止まっていた時間が、進んだ気がした。

あの日が、ひとつの区切りになった。

つづく

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