収蔵資料展「日立のここにもあそこにも遺跡あります」
日立市郷土博物館で開催されている「日立のここにもあそこにも遺跡ありますー日立市内遺跡調査成果展ー」に行ってみた。
桜の開花で賑わうかみね公園の入口、神峰神社のすぐそばにある日立市郷土博物館。訪れたのはいつぶりだろう。初めてかな?いや、1回くらい来た事はあるはず。とにかく、久しぶりだ。
常設展と企画展、ともに入場は無料。
まずは企画展から、見る。
最初に感想を述べると、この5つ。
1.遺跡数の多さに驚く
2.土器のおもしろさ
3.土偶の愛らしさ
4.謎のオーパーツ
5.遺物から学ぶ
1.遺跡数の多さに驚く
まず、日立市内の遺跡数の多さに驚く。私の脳内に基礎知識がない為、情報を整理しきれなかったのが正直な感想だ。時代の変化(旧石器時代~古墳時代など)による居住地の変化。寒さが厳しい旧石器時代から、この地に人類が住んでいたことに驚いた。
2.土器のおもしろさ
(1)造形美
遺跡から出土した土器たちの造形や文様の多彩さに驚いた。
装飾や文様を入れる手間を考えると、適当には作っていないことが分かる。古代人の美意識を感じた。わざわざ入れている。こだわって入れている。絶対(わからんけど)。
物が入る大きさに作ればいいや。
水を注げればいいや。
そんな風に、用途に合わせた目的を果たせればいいとは思っていない。土器を作ることに、なんらかの思いがあったと思わせるくらいのこだわりようだ。弥生土器の洗練された造形も美しいけれど、縄文土器の創意工夫の精神が美しいと思った。
(2)底
土器の底についている模様。それは、意図せずに残された情報。
豆のようなものの跡。敷物と思われる模様の跡。土器の底についている痕跡によって、当時の暮らしが見えてくることを知って、おもしろかった。
土器を作る際に、滑りやすい方が作りやすい為か、葉の上や、織った敷物の上で作業していたことが分かるそう。敷物の折り方も、さまざま。土器以外にも、生活用品を作っていたことが分かる。
3.土偶の愛らしさ
(1)土偶三姉妹
土偶三姉妹と書かれた土偶たち。ひとつひとつに異なる表情がみられて、愛らしい。
(2)指の本数
土偶の右足には、指が6本。
偶然か、それとも。当時は6本指の人類もいたりして。
(3)埴輪
土偶以外に、埴輪も展示されていた。一緒に行った母は「鼻が高いねえ」と何度も感心していた。埴輪の鼻は、しっかりと表現されている。私は、埴輪を見ながら「おーい!はに丸」を思い出していた。はにゃ。
4.謎のオーパーツ
オーパーツといわれているヒスイの勾玉も、出土している。
ヒスイ(翡翠)は硬い石の為、古代人たちはどうやって穴を開けたのか、現代でも方法は謎に包まれている。日立でヒスイは取れない為、別の地域からもたらされた物なのだと思うけれど、もしこの地にもロストテクノロジーを使えた人類がいたのだとしたら、浪漫があるなあ。
5.遺物から学ぶ
戦時中は、遺跡の一部を防空壕として利用していた場所もあり、食器や防衛食と印字された容器も出土している。食器に日立製作所のマークが印字されているのも日立ならでは。日立市は工業都市の為、戦時中は軍需工場として稼働しており、第二次世界大戦時には空襲や艦砲射撃を受けている。遺物は、はるか昔のものばかりではない。ほんの数十年前の遺物も、歴史を伝える貴重な遺産だ。
遺跡や遺物は、旧石器時代から近代までの歴史を伝えてくれている。今後、負の遺産を遺さないように。学びたいことや知りたいことは、まだまだある。自分の言葉で考えて、伝えられるようになりたい。
企画展の後は、常設展を見学した。常設展もまた、日立の歴史が詰まっていて、興味深かった。郷土博物館に14時頃に到着して、16時まで滞在。母とじっくり見すぎて、長居してしまった。受付の方に来場者アンケートを手渡し、ありがとうございましたと伝えて外へ出ると、後ろからスタッフさんがついてきた。
なにかな?と思ったら、「閉館しました」の看板を出していた。
母と、閉館時間を過ぎていたのかなと慌てたら、閉館時間は16時30分。入場時間の16時を過ぎていただけだった。せめて私たちが帰った後に看板を出してくれたらよかったのになあと思ったり(愚痴でした)。
常設展では、日立の歴史や、日立の民俗と産業について、学べる。祭り(日立風流物、日立のささら等)や、工業都市として発展した歴史、戦争の歴史などをもっと知りたいと思った。
今回、興味を持った事を調べて学んだあと、また行きます!
おわり
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