職を転々とする人生。“ショートタイマー”という生き方。
たしか、グスタフ・ハスフォードの有名な戦争小説「フルメタル・ジャケット」、その原題はショートタイマーであった。これは短期除隊兵をさす米軍内の俗語だったようだ。
現在アラフォーのわたしの職業人生をふり返るにつき、まさに“ショートタイマー”という感じがする。
わたしは20代のころは、陸上自衛隊というところに4年余りいたものの、その後の職歴は込み入っている。
学校に入り直して医療の資格をとったが、それも1年余りで辞めた。それからフリーターみたいに、非正規雇用を掛け持ちでやろうと思っていた時期もある。
現在は介護職に落ち着いているが、はたして一つの施設で働き続けるかどうか…いまだに確証がない。だいたい、これまでの職歴は1〜2年をめどによそへ移ってきた感じである。逆にいえば、どんなにキツイと思っても、最低1年くらいはそこに執着して続けてきた、ともいえる。
たぶんわたしは、組織の中でやっていくことに向いていないのかもしれないし、あるいは日本の組織や経営のあり方にうんざりしてる面もあるかもしれない。
転職を重ねると困ってくるものに、履歴書がある。面接に応募したら、これまでの経歴を相手に話しては理解してもらわなきゃならない。
わたしの場合は、学校を出てから働いて、また学校に入り直してまた働いて、ところどころに空白期間もある…こうした履歴なものだから、それを相手に理解してもらうのも一苦労だ。そして、べつに自分の経歴に恥じるようなことは何一つとしてしていない、とも思ってます。
ときには履歴書の中で在籍期間をちょろまかしたこともあるけれども、それが明白に悪いことだとは思っておらず、グレーゾーンだと思っている。たぶん、そういう求職者は他にもたくさんいるだろうし、企業の経営幹部の不正に比べたら些細なことにすぎない。なにより、もはや終身雇用を期待するような時代でもないしね。
何年か前にある本を読んで以来、わたしにはこんな組織で働いてみたい、と思えるようなモデルがある。それは“ティール組織”とか“自主経営組織”といわれるものである。日本では、“協同労働”という働き方がそれに近いのかもしれない。
そこでは、上司も肩書も存在しない、社員一人ひとりが経営に参加できて、組織を変えていくことができる、というものだ。
翻って、日本のいまの会社組織のあり方をみて、依然として厳格なタテ社会で運営されていて、上意下達が徹底されているような運営の仕方になっているように見える。
そこでは中央の一握りの管理部門が権限をもち、現場レベルの店舗には自主裁量の余地が残されていないとかさ、そういう話はごく当たり前に見られるのではないだろうか。
本当はこうした組織のあり方を変えていきたいけれど、なかなか簡単にはいかない。そのためには、経営者や役員がオープンマインドで、柔軟な心をもっている必要がある。
残念ながら、日本のサービス業における経営者のレベルは世界的にもみても低い、というはなしがある。一方で、日本の従業員の質の高さは世界でも指折りレベルなのだそうである。
(デービッド・アトキンソン著「新生産性立国論」参照)
わたしが自分のニックネームに、“とある野良猫”と名付けているのはたんなる思いつきではない。
あくまで飼い猫にはならず、野良猫のように気ままに、人や組織に束縛されずに、柔軟な心で生きていきたい…そんな思いを込めてそういう名前にしたのであった。