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藤の花の咲く頃に~鬼藤山物語~

「鬼藤山」(おにふじやま)と呼ばれる山の入り口に古びたラブホが一軒、ポツンとあった。営業しているのかしていないのか分からないほど、寂しい雰囲気のそのホテルはいつしか私たちの行きつけの場所になっていた。

 あの日もそのラブホにいて、チェックアウトしようとしていた矢先、スマホの緊急地震速報が鳴った。
「藤枝くん、怖いよ。」
私は思わず彼にしがみついた。
「これくらい大丈夫だって。」
始めのうちは冷静だった彼も次第に動揺し始めた。
「このホテル、古いからちょっとヤバイかな。さっさと出よう。」
自動会計システムがストップしてしまったので、仕方なくフロントで会計を済ませ、私たちはそのホテルを後にした。

 一ヶ月後…私たちはいつものように鬼藤山の入り口にあるラブホへ向かった。元々薄暗い雰囲気だったその場所はさらに明るさを失い、古ぼけた看板の照明さえ消えてしまっていた。
「もしかして、営業してないんじゃない?」
「あーそうかも。この前の地震でこの近辺は派手にやられたらしいから…。」
「他のホテル探す?」
「うーん、でも、他のホテル探すとなるとかなり時間かかりそうだし…。」
彼の性欲は尋常ではない。一ヶ月もしてないから、かなり切羽詰まっている様子だった。正確には、二人でしてないだけど。だって一人では毎日抜いているらしいし。
「あのさ…鬼藤山の山の中でやってみない?俺、野外って興味あったんだよね。」
「えっ?山の中で?誰かに見つかったらヤバイし、虫もいるんじゃないかな…。」
「あんな山の中、しかもこんな時間に誰もいないよ。まだこの時期は虫も少ないしさ、いいでしょ?」
すっかり日も暮れて、たしかに人気(ひとけ)はないけれど、でも外灯さえなくてなんとなく不気味な山だった。でも私が躊躇したところで、彼の性欲がおさまるわけでもない。仕方なく、彼の意見に従うことにした。
「暗くて、全然見えないんだけど…。」
私たちはスマホの明かりを頼りに、獣道をゆっくり歩き始めた。
「そこ、なんか木の根っこ張ってるから、足元気を付けて。」
彼は妙にテンションが高かった。ホテルに入る時より、うれしそうだし。
しばらく歩き続けていると、ふわっと何かの甘い香りが漂ってきた。
「なんかおばさんの香水みたいな匂いしない?何だろう、この匂い…。」
彼はあまり好みの匂いではないらしい。私は何だか良い匂いだなと思って、ふらふらその匂いがする方へ吸い寄せられた。
「一人でふらふら歩いたら危ないって。」
彼が慌てて追い掛けてきた。
「藤枝くん、これって…。」
「すごい、満開の藤の花だな。」
スマホの明かりで照らすと、たくさんの藤の花が咲き誇っていた。
「そう言えば鬼藤山って言うくらいだから、藤の花が咲いていても不思議じゃないよな。」
「こんな所に、こんな藤の名所があるなんて、知らなかった…。」
私はすっかり藤の花の香りの虜になって、写真を撮ろうとしていた。
「よく見たら、ここにベンチあるじゃん。このベンチ使おうぜ。」
彼は藤の花なんてそっちのけで相変わらずやることしか興味のない様子だった。
「ちょっと待って、今、藤の花の写真撮ってるから…。」
と言いかけた時、私はそのベンチに仰向けに押し倒された。あれ?痛くない…。用意周到の藤枝くんがベンチにレジャーシートとクッションを敷いていたのだ。
「なんで、こんなに準備いいの?」
私は思わず笑ってしまった。彼は抜くこととなると、一切抜かりない。
「野外でやるなら、これくらい当然でしょ。」
暗くて全然見えないけれど、見えない彼の影が揺れて、彼の上半身の向こうにはたくさんの藤の花がたわわに実った葡萄のように風に揺れていた。むせ返るようなこの匂い…。くらくらする…。藤の花の香りに包まれながら、こんな場所でHするのも悪くないかもしれないと恍惚に身を任せていた。

 「あー、やっとすっきりした。写真撮りたいなら、照らしてあげようか?」
自称、一ヶ月ぶりの彼はさっきまでの切羽詰まった様子から、清々しい表情に変わっていた。
「うん、ありがとう。ちょっと照らしてもらうと助かる。全然見えないし。」
私は何枚もその藤の花の写真を撮った。今夜は月明りさえない。漆黒の闇の中、薄紫色の花がよく映える。
「この時期のこの場所って案外いいもんだな。昼間なら、もっとキレイに見えるんだろうけどさ。」
「咲いているうちに、昼間来てみようよ。」
「えー、でも昼間だとおまえこんな場所でやりたくないとか言うだろ?」
「Hのためじゃなくて、花を見たいの。明るい時間帯にこんな所でやれるわけないじゃない。」
「やらないなら、こんな山奥に来る意味ないだろ。面倒だし。」
藤枝くんってやることしか頭がない。花だけを愛でるために昼間からこんな場所へは来たくないと言った。
「藤枝くんが嫌なら、私一人でも来るし。」
「一人は危ないからやめろって。俺がいない時、誰かに襲われたらどうするんだよ。」
「それって、心配じゃなくて、藤枝くんの妄想でしょ?」
そんな勝手な妄想さえ、きっとおかずにしてるんだ。藤枝くんってそういう人だし。そういう人って分かって付き合ってる。私はきっと「藤枝」という名前に惹かれて、彼と付き合っている気がしていた。なぜかは分からないけれど、彼の顔でも声でも性格でも性欲でもなく、名前に一番惹かれていた。

 遡ること今から三百年以上前…。
鬼藤山の隣には白藤城が建っていた。そこには藤姫という姫が暮らしていた。
「あーぁ、お城って退屈ね。」
藤姫は城の退屈な暮らしに飽き飽きしていた。ふと隣の山に目をやると、キレイな薄紫の山藤がたくさん咲いていた。
「ねぇ、あの山藤を近くで見たいから、鬼藤山に行きたいわ。」
「姫さま、鬼藤山には鬼が住んでおりますから、絶対に近づいてはなりませぬ。」
家来が藤姫に忠告した。
「それに、藤の花が見たいのであれば、城の庭に藤棚がございますよ。山になんて行く必要はありません。」
藤姫は家来に促されて、広い庭の藤棚の下を散歩してみたけれど、少しも楽しいと思えなかった。
「こんな、誰かが手入れして、作られた藤の花じゃなくて、私は野生の藤の花が見たいの。」
城の者たちが寝静まった夜中、藤姫はこっそり城を抜け出し、鬼藤山へ向かった。

 「月さえ出ていないから、さすがに真っ暗ね。提灯を持ってきて良かったわ。」
藤姫は提灯の明かりを頼りに、山の獣道を上り始めた。
「きっと朝までにはあの見事な山藤が咲いている場所に辿り着けるわね…。」
世間知らずで、怖いもの知らずの藤姫はこんな暗がりくらい一人で歩くことは平気だった。
「何だ?あの女。こんな夜更けにこんな道を一人で歩くなんて…。」
藤姫は通りがかった山賊に見つかってしまった。
「しかもあんな、今にもはだけそうな格好で、うろうろするなんて襲ってくれと言ってるようなものじゃないか。まったく、しょうがないな…。」
藤姫は寝間着姿に薄い羽織を一枚羽織っているだけだった。
藤姫に欲情した山賊は姫に襲い掛かった。
「何をする、無礼者!」
押し倒されながらも藤姫は必死に抵抗した。
「こんな夜中、山奥でいくら大声上げても誰も来ないぜ、お嬢ちゃん。」
山賊は薄汚い手で藤姫の身体をこねくり回した。
「肌につやがあって、すべすべでこりゃあ上玉だ。」
「イヤ、やめて…。」
さっきまで強がっていた藤姫は恐怖のあまり、いつの間にか、か弱い女の声に変わっていた。
侵されそうになった瞬間、ふわっと風が吹いて、誰かが山賊を押しのけた。

 「誰だ?せっかくいい所だったのに、邪魔しやがって。」
暗がりで山賊がきょろきょろしているうちに、その誰かは藤姫を木陰に隠した。
「大丈夫?こんな夜中に、一人でうろうろしていたら危ないよ。」
乱れた羽織を器用に着せながら、誰かがやさしく藤姫に言った。
「助けてくれてありがとう…。あなたは誰?」
暗くてその人の顔は見えなかった。
「俺は…鬼吉(おにきち)。君は…この辺りじゃ見かけない顔だね。」
暗さに目が慣れてきた藤姫はその人の頭に角のようなものが生えている気がした。
「鬼吉…さん?ありがとう。私、どうしても藤の花が見たくて、この山に…。」
「なんだ、藤の花が見たかったの。俺が案内してあげるよ。この山のことなら、隅から隅まで知っているし。」
鬼吉に案内してもらいながら、獣道を歩き続けると、甘く香しい香りが漂ってきた。
「もう藤の花はすぐそこね。」
花の匂いに誘われた藤姫の足取りは軽くなったけれど、一方、鬼吉の足取りはなぜか重くなった。
「ゴメン、俺はここまでしか無理なんだ。これから先は一人で行けるよね?もう間もなく、夜も明けて、明るくなるし…。」
「鬼吉さん、どうしたの?疲れてしまったのかしら?」
「ううん、疲れたわけじゃなくて、その…藤が苦手なんだ…。」
朝日が昇り始め、明るくなると、やっと鬼吉の姿が見えた。
「鬼吉さんって…まさか本物の鬼…?」
藤姫は驚いた。鬼吉の頭にはたしかに角が生えていて、肌の色は全身青かった。
「驚かせないように黙っていたんだけど、ゴメンね。」
鬼吉は寂しそうに笑った。
「どうして黙っていたの?」
「俺が鬼だって分かったら、きっと君は逃げ出しただろう?そしたらまた山の中を一人でうろうろすることになる。君を危ない目に遭わせたくなくて…。」
「私は逃げ出したりしないわ。だって、鬼吉さんは私のことを助けてくれた恩人だもの。鬼だって分かっても、怖くないわ。やさしい人って思っているもの。」
藤姫は鬼吉が本物の鬼だと分かっても、本当に少しも怖いとは思わなかった。
「君って変わってる人間だね。人間は鬼だと分かると、俺のことすぐに警戒するのに。ありがとう、鬼の俺を怖がらないでくれて。」
「たしかに私は家来からも変わり者って思われてるわ。それにしてもどうして鬼吉さんは藤が苦手なの?一緒に見ましょうよ。」
鬼吉は「家来」という言葉を聞いて、この子はきっと姫さまなんだなと気付いた。しかも鬼藤山に鬼よけのために藤の木が植えられていることも知らないなんて、やっぱり温室育ちの姫さまなんだろうと思った。
「鬼は藤に近付きすぎると死んでしまう場合もあるんだ。特に藤の花は強力で。そもそもこの山の藤の木は俺たち鬼を山から追い出したくて、人間が鬼よけとして植えたものなんだよ。」
「そうだったの。私、何も知らなくてごめんなさい。鬼吉さんの命に何かあったら、たいへんだわ。私もうこれ以上、あの藤の木には近寄らないことにするわ。」
藤姫はあと少しで、藤の花に触れることができる所まで来ているというのに、引き返そうとした。
「君はゆっくり見て行けばいいじゃないか。せっかくここまで来たんだし。俺に気を遣うことはないよ。」
「ありがとう。でも、あの藤の花の香りを知れたから、もう満足。もし良ければ、山のふもとまで送ってもらえないかしら?」
「そっか、君はやさしい人だね。人間なのに、俺のことを怖がらないし、藤の花も遠慮してくれてさ…。」
鬼吉はだんだん藤姫に惹かれ始めていた。
間もなく、藤姫の家来たちが二人の元へやって来た。
「藤姫、こんなところにおりましたか?探しましたよ。」
「姫の隣にいるのは鬼ではないか。」
「鬼め、姫に何をした?」
鬼吉の存在に気付いた家来たちは、鬼吉に銃を向けた。
「やめて、鬼吉さんは私のことを助けてくれた恩人なのよ。」
「鬼が人間を助けるわけがありません。姫は騙されているのです。」
「私が…私が山賊に襲われている時、彼が助けてくれたの。」
「何?姫さま、山賊に襲われたんですか?お怪我はありませんか?」
「きっと山賊ではなく、その鬼の仲間だったのでしょう。後で姫を襲うつもりなんですよ。」
藤姫が何を言っても、家来たちは鬼吉のことを信じようとはしなかった。
「藤姫さま、もう十分です。俺はあなたに信じてもらえただけで、幸せです。初めて人間に信じてもらえたんだ。ありがとう。もう二度と山に来てはなりませんよ。」
「鬼の分際で、何、姫に向かって話をしてやがるんだ。」
「早く、消え失せろ。」
家来はとうとう鬼吉に向かって、銃を放った。鬼吉の足元に銃弾が当たった。鬼吉は足を引きずりながら、山奥へ消えていった。

「何てことをするの、鬼吉さんに向かって、銃を撃つなんて。」
藤姫は撃たれた鬼吉が心配で仕方なかった。
「姫さま、鬼の心配なぞ、する必要はありません。姫は鬼にたぶらかされたのです。」
「たぶらかされてなんてないわ。私がまた襲われたりしないように、私のことを一晩中守ってくれたの。」
「守ってくれたと姫が思っているだけで、実は夜明けと同時に、姫を襲って食べてしまっていたかもしれません。ああ恐ろしい。」
「鬼吉さんが鬼だからって、悪者扱いするのはやめて。鬼吉さんは人間なんかより、素敵でやさしい人だったわ…。」
藤姫はすっかり鬼吉に心奪われていた。

 鬼にぞっこんの様子の家来たちは心配し、鬼吉を探し出し、抹殺することにした。そして藤姫が早く、鬼吉を忘れるためにも、早く縁談をまとめようと躍起になっていた。
「鬼吉さん会いたい…。」
恋煩いのためか、藤姫は高熱にうなされる日々が続いた。
「あんなに元気だった姫さまが何日も熱を出すなんて。」
「鬼に何か悪い病気を移されたのかもしれませぬ。」
「早いとこ、鬼吉とやらを始末しなければ。」
「私が会いたいと願えば願うほど、私の家来たちが鬼吉さんの命を狙ってしまう。私が早く鬼吉さんのことを忘れなければ…。」
藤姫は熱にうなされながら、鬼吉の身を案じていた。
 ある月夜…。藤姫の寝室の窓が開いて、誰かが忍び込んだ。ふわっと藤の花の香りが漂い、その香りに姫は目覚めた。
「この香りって…。」
うっすら目を開けると、目の前に鬼吉が立っていた。
「姫さま、藤姫さま、これをお飲みください。」
鬼吉は何か液体を小瓶に忍ばせていた。
「鬼吉さん、会いたかったの。ずっと、会いたかった…けれど、こんな所に来てはダメ。あなたは命を狙われているのよ。」
「知ってます。追われている時、藤姫さまが高熱にうなされていることを知りました。だから、早く元気になってほしくて、この薬を持って来たんです。」
その液体はキレイな藤色だった。
「それは、何?」
「藤の花や種を煎じたものです。鬼にとっては毒ですが、人間には薬になるんですよ。きっと熱も下がります。さぁ、早く飲んで下さい。」
「藤の花って…鬼吉さんまさか藤の木に近づいたの?藤の花を触ったの?」
「えぇ、藤姫さまが見たいとおっしゃっていた藤の花も持って来ましたよ。」
鬼吉は小瓶と一緒に一輪の藤の花を差し出した。
「鬼吉さん、そんなもの持っていたら、あなたが死んでしまうじゃない。鬼にとって藤は毒なんでしょ?」
よく見ると、鬼吉は顔面蒼白で、ひどく具合が悪そうだった。
「俺はいいんです。どっち道、人間に殺される宿命ですから。だから、殺されてしまう前に、藤姫さま、あなたのことを助けたくて…。」
「鬼吉さんが死んでしまうような毒を飲んでまで、私は元気になりたくないわ。私は、藤の花なんていらないから。鬼吉さん、そんなもの早く捨てて、早く逃げて。いつまでもこんなところにいてはダメよ。家来に見つかってしまう…。」
「仕方ないな…藤姫さま、ゴメン、許して。」
鬼吉は自分の口に小瓶の中身を含むと、口移しに、藤姫に飲ませた。
「鬼吉さん…何…してるの…?」
藤姫は鬼吉に口づけされたことより、鬼吉が鬼にとっては毒の液体を含んでしまったことに驚いた。
「鬼吉さん、早く、口をすすいで、早く全部吐き出すのよ。」
藤姫は寝床に置いていた水を鬼吉に勧めた。本当は鬼吉がしてくれたように、口移しでその水を与えたかった。けれど、藤の花の液体を飲んでしまった自分が、鬼吉の口に触れたら、かえって鬼吉の身体を害してしまう。
「藤姫さま…間もなくあなたは結婚されると聞きました。どうか元気になって、幸せに生き続けてください…。」
鬼吉は最後の力を振り絞って静かに微笑むと、亡くなってしまった。
「鬼吉さん…鬼吉さん!こんなことをしてまで私を助けることなんてないのに…。」
藤姫は動かなくなった、鬼吉の唇にぽろぽろ涙を落した。

 「姫さま、何事ですか?」
藤姫の声に気付いた家来がやって来た。
「藤姫さまの寝室に例の鬼が…。」
「なんてことだ。まさか姫が襲われたんじゃ…。」
「姫さま、御無事ですか?」
無言で涙を流し続ける藤姫に向かって、家来たちは尋ねた。
「鬼吉さんは…鬼吉さんは、何も悪いことしてないわ。最後まで、ずっとやさしかった…。」
「あれ?この鬼死んでるぞ?」
「何だ?藤の花なんて持ってるし。」
「まぁ、藤姫が無事で奴が死んだなら良いか。」
家来たちは鬼吉が死んでいると気付くと、安堵の表情を浮かべた。
「鬼吉さんは…私のために鬼にとっては毒の藤の花の薬を持ってきてくれたの。私が高熱にうなされているって知って、わざわざ薬を作ってくれたのよ…。」
藤姫は泣きながら、家来たちに説明した。
「そう言えば姫さま、顔色がすっかり良くなられましたね。」
「なんと、藤の花が薬になるなんて知らなかった。」
「熱が下がって、本当に良かった。」
「でも鬼が考えることだ。藤姫を元気にしたら、また襲うつもりだったのかもしれない。何しろ寝室に忍び込むくらいだし。」
家来たちは藤姫がどんなに説明しても、鬼吉のことを最後まで信じようとしなかった。
「とにかく、この鬼は打ち首だ。姫に触れた罪だ。」
「打ち首…?もう亡くなっているのに打ち首なんて必要ないじゃない。」
「この鬼のせいで、姫は病魔に侵されたようなものです。こいつは死んでも悪者に違いありません。」
藤姫が鬼吉のことをどんなにかばっても、鬼吉の打ち首は免れなかった。

 鬼吉の首はしばらくの間、さらし首にされた。身体だけは元気になった藤姫だったが、心にぽっかり穴が空いたままだった。
「姫、婚礼の日が決まりました。あの悪い鬼もいなくなりましたし、これで平和に幸せになれますぞ。」
家来に何を言われても、藤姫は反応せず、返事もしなかった。
「これほど、美しい姫と結婚できるなんて、私は幸せ者です。」
婚礼の夜、耐えきれなくなった藤姫はこっそり城を抜け出した。
「鬼吉さん以外の人と結婚させられるくらいなら、死んだ方がマシだわ。待ってて、鬼吉さん、私ももうすぐそっちの世界へ行くから…。」
藤姫は鬼藤山へ上ると、鬼吉が連れて行ってくれた藤の木の側の木にロープをかけて、自らの首を吊るし、息絶えた…。

 「ネットで調べたんだけど、鬼藤山にはそんなエロくて悲しい伝説が残っているらしいぜ。」
藤枝くんに誘われて、また鬼藤山に向かっている最中にそんな怖い話を教えられた。
「藤枝くん…今からあの場所に行こうとしてる時にそんな話する?普通に怖いんだけど。」
「だって、おまえこういうオカルト系の話し好きだろ?」
「嫌いじゃないけど、こんなタイミングで話さないでよ。そもそも何でまた鬼藤山でやろうなんて…。」
「だってあれから一年だったけど、相変わらずあのラブホは閉まったままだし、それに藤の花が咲く季節にまた来たいって言ってたじゃん。」
「藤の花は見たいけど、別にあそこでやりたいわけじゃないし…。あのホテル、もう営業再開しないのかな?」
「これもネットの噂だけど、どうやらあの地震の夜に、あのホテルで死者が出たらしい。だから営業再開は難しいのかもな。」
「えっ、あの夜、あのホテルで死んじゃった人いたんだ…。怖いね。私たちもあの場所にいたわけだし。」
「あれからあのホテル閉まったままで、俺たちがあの部屋で最後にやった人たちってことになるから、まぁ思い出深いし、再開してくれないと寂しいよな…。」
「もういい加減、野外ばかりじゃなくて、他のホテル探さない?」
藤枝くんはあれ以来、すっかり野外にハマってしまって、もう一年もラブホに行けてなかった。私は別にどこのホテルでも良いんだけど、なぜか藤枝くんはあのホテルに思い入れがあるようだった。
 去年と同じ、耽美な匂いに誘われて、私たちはあの藤の木の下のベンチで身体を重ね合った。彼の身体の向こうに、今年もまた藤の花がたわわに咲き乱れて、彼の息遣いに合わせるように藤の花の影が揺れていた。

 「あの二人、一年経ってもまだ自分たちが死んだことに気付いてないのね。」
二人の様子を藤姫と鬼吉が眺めていた。
「でもまぁ、ホテルで死んだことに自覚ないおかげで、ああして肉体が残っているわけだし、私たちは今年もあの二人の身体を借りましょう。」
藤姫は生きている間に一度たりとも鬼吉と結ばれることはなかった。鬼吉とは口づけしかしたことがない。だから、藤姫はあの藤の花の下で彼に身を委ねているあの子が羨ましくて仕方なかった。羨ましいからその子に憑依した。鬼吉は藤枝くんに憑依していた。二人がそこの場所でHしたくなったのにはちゃんと訳があった。別に藤枝くんの性欲が強いからではなく、彼女が媚薬のような藤の香りに誘われたからでもなく、三百年以上前に結ばれることなく、亡くなった鬼吉と藤姫が肉体をもつ霊の二人を呼び寄せたせいだった。二人はそのことに全然気付いていない。自らの意志でそこでやっていると思い込んでいる。

「今年もこの場所でやれるたな。」
「二人だけの秘密の場所だね。」
「来年もまた藤の花が咲いたら来ようぜ。」
「うん、藤の花が咲く頃に毎年来れたらいいね。」
藤姫と鬼吉は毎年決まって、その場所を訪れる二人の身体を借りて、年に一度だけHできることを幸せに感じていた。はらりと二輪の藤の花が風に揺れて、より一層甘く香しい匂いが暗闇の中、立ち込めていた。

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