「迷惑と思ってくれたら」2019.12.10




やってしまった、と妹から連絡が来た。その手編みのマフラーは被害者男性の自宅ポストに押し込まれたらしい。あの人は悪くない、と繰り返す妹は明らかに、振り向かない彼に不満を持っていた。じゃあ諦めたら、と言うと、既に諦めていると返ってくる。気持ちが欲しいわけではない、嫌がらせをしたいわけでもない。何も求めない、と妹は繰り返す。それならやめなよ、と僕が返すと、だって首元が寒そうだったから、と健常な善人が他人へ親切するような物言いで、妹が呟く。だからマフラーなんか編んだの、と聞くと、そう、と返ってくる。どうせ使ってくれないし、意味ないってわかってるけど、編んでしまったの。もうこんなことしなくていいってわかってる、あの人だって本当に首が寒ければ自分でマフラーを買って巻くだろうし、私がいなくてもあの人は、当たり前に生きていける。それって幸せなことだと思うの、一人で生きられないよりよっぽど良い。あの人が大丈夫なら私も嬉しいよ。でも、その時は寒そうで、編んでしまった。どうやったら、本当の意味で幸せになってもらえるのかな。私が消えたほうがあの人は幸せなのかな。でも、消えたところで何も変わらないと思うの。私が消えて幸せになってくれるなら消えるよ、でもそうじゃない気がするの。だってあの人にとって私は大事な存在じゃない、それなら消えたって何も変わらないじゃない。どうしたらいいのかな。私はあの人に何をしたらいいのかな。何をしたら幸せになってくれるの。消えても駄目、何かしても駄目、でもあの人が幸せそうには見えないの。何かしたい、でも、あの人は私を知らない、と、妹は早口で言った。彼と妹は一度顔を合わせたことがあるだけで、忘れられてしまうほど関係性が薄かった。何かするのがマイナスで、消えるのがゼロなら、消えたほうがマシかもね、と妹に言った。妹は、あのマフラー、今からでも取りに行って、捨てたほうがいいかな、と聞く。僕は、妹は彼に会いたいだけなのだ、と思った。もうやめたら?彼はさ、マフラーなんてとっくに忘れてるよ。大丈夫、許すも許さないもない。嫌われてもいないよ。妹は、そんな、と眉をひそめて言う。もしかして、認知してもらえるだけで嬉しいのか、と僕は察した。末期だ、やめたら禁断症状が出そうだ。新しい人探しなよ、と言えば、妹はそうだね、と悲しげに返した。彼はどんな気持ちでいるのだろう、と思う。少しでも覚えていてくれたら、妹は救われるのかもしれない。迷惑に感じてくれるだろうか、妹のこの自己中心的な優しさを。存在すら認識されないのと、迷惑に思われるのは、どちらのほうがマシなのだろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?