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黄色い星

台風が接近していて大雨で、肌寒い金曜の夜。数日前に日本がW杯で負けて、お祭り後の空気が微かに漂う夜。ある教団の幹部たちがさりげなく処刑された日の夜。豪雨で百人を超える人達が亡くなる前夜。いつになく順調にダイヤ通りの総武線。雨雲の中にスカイツリーの光が瞬いていた。

駅前で何かを待つ人々は、改札前の壁にもたれてスマホに顔を埋めていた。通路の真ん中では、初老の男性が持ち物を散乱させて倒れていた。道行く雑踏は言い訳じみた速度でその場を避けて行った。男性を中心にポッカリ空いた空間に、斜めの視線達だけが集まっていた。

男性は手足をパタパタさせながら、起き上がろうともがいていた。
「大丈夫ですか?」私は声をかけてみた。
「大丈夫です。」男性は落ち着いた顔で言った。

私はとりあえずその場に散らばっていたメガネやら帽子やらを拾って、横たわった男性のカバンの上に乗せた。その場にいた数人が駆け寄ってきたので、とりあえず大丈夫だろうと思って私は改札をくぐった。駅員を呼ぼうかと思ったが、男性の方へ走っていく駅員とすれ違ったので、そのままホームへ上がった。

時刻通りやって来た各駅停車に乗ると、車両の端の3人がけの座席の真ん中が空いていた。壁側のスーツ姿の男性は寝ていて、ドア側の大柄の男性は欠伸をしながらディスクユニオンの袋を漁っていた。

私の向かいには親子が座っていた。少年はヒョウ柄のカバンを肩からかけ、金ピカのスニーカーを履いていた。隣に座っている母親は、パサパサの金髪だった。金色が好きなのだろう。

「オレンジは右側です」車掌放送を聞いた少年が母親に向かって言った。
「何よオレンジって」スマホから顔を上げて母親が言った。
「昔から降り口がオレンジに聞こえる。オレンジはママが寝ている側です」
「寝てないよー」母親が答えた。
「寝てたよー」少年が微笑む。
「目瞑ってただけだよー」母親も微笑む。

少年は湿気で曇った窓ガラスに指で絵を描き始めた。電車が駅に止まり、乗ってきた乗客達に私の視界は塞がれた。私は少しの間目を閉じた。

次の駅で私の視界は再び空いた。窓ガラスには、「ほし」という文字の下に大きな星が描かれていた。少年はじっと正座して、星型に曇りの取れた窓から外を眺めている。星の中には向かいに座っている私の姿も映っていたが、きっと彼の目には私の姿は映っていない。星の中を、雨で霞んだ湾岸の夜景が流れて行く。

異常が普通に通り過ぎた雨の日の夜、少年が描いた「ほし」は、その日私が観た金ピカの一番星だった。

カバーイラスト:ヒロム


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