過干渉 共依存の母親と分かり合えなくて

発達障害、躁鬱、アルコール依存症の夫とまもなく別居→離婚予定の妻です。
子供はいません。

最近はずっと夫のことを書いていて、noteのメイン記事もほぼ夫のことになり、
noteの目的が「夫と離婚するまでを綴る」になっている。

しかし人生いろいろあるもので、夫とのことだけでなく母親とも問題がこじれている。今回は母親メインで書いていこう。

前回までの記録

万引きや💩から夫の躁鬱+アルコール依存症の事件は止まらず、
ついこないだ友人と飲みに行き、帰りにスマホ落とす+道路で寝て通報され、朝の5:30に警官が我が家に来る、というところまで書いた。

そしてその後、母親と接触した夫。キレる私。

夫はその後猛烈に謝ってきて、躁だった状態から鬱に転機。(したように思う)
私の嫌がることをもうしたくない、とのことで、その日からきっちりまた薬をに見始め、家からも出ない(お酒を買いに行くので)ということを徹底している。

正直、躁+アルコールでハイになっている状態よりもはるかに接しやすい。

そして前の記事に書いた「いつか夫に謝りたい」というもの、この機会に自分なりに謝罪した。

私は結局、母親と同じで夫をコントロールしようとしていたのかもしれない。いやきっとそうだった。
夫に良くなってもらいたいという思いは紛れもない事実だけど、それを押し付けることは、本人が願っていない限り「押し付け」以上の何者でもなく、
ただただ困惑するものにしかすぎない。
それに自分が辛い時、本当にかけて欲しい言葉は「辛いんだね」という共感なんじゃないのか?
夫がアルコールで苦しんだ時、そんな言葉かけたことなかった。
私が言った言葉はただひたすら「お酒は体に悪いからやめろ」「これ以上飲んだら離婚する」「私だって辛い。なんでこうなるの。耐えられない」と言った言葉ばかりだった。今思うと、辛いことがあってお酒で忘れたいから飲むんだよねって。
それなのに、「飲むから依存して辛くなるんだよ」という上から目線のアドバイスもしたりしてた。
もう終わったことだし、言った言葉は取り返しがつかない。でもいつか謝りたい。

離婚前の別居。。実家には過干渉?気味の母

今までは謝られることで許し、そこからまた共同生活をしていた。

けど、今回はいくら謝られても別居と離婚は確定である。

そこは自分自身、成長できたポイントなのかなって思う。

母親との喧嘩

また母親とやり合ってしまった。

2年前も同じような内容で喧嘩している。

2年前の私は今よりずっと他人から踏み込まれやすい状態を作っていた。
母親に夫のことを愚痴り、そして家に招き入れる。
仕事のストレスを溜めた母親の格好の捌け口となり、夫の問題は解決するどころか、悪化。私とも喧嘩して終わった。
何も生まないエピソードだった。

それからずっと自分なりに考えてきた。踏み込まれやすい自分がいるのだと。
他人から侵入されやすい。侵入を許してしまう。

自己開示を控えたり、他人との境界線を意識しながら2年間過ごした。
アドラー心理学の「課題の分離」もすごく役立った。

おかげで夫とは共依存を辞めるきっかけになったが、母親との関係について悩んでいた。

今回の喧嘩の内容は、
「2年前のことがあるので夫と接触してほしくない。夫の問題をイネイブリングしないためにも夫に責任を取ってもらいたいので、世話焼きはもってのほか、されたくない。」
という私の願望に対して、母親はタクシー代を立替しようとし、また、夫を引き留めて長話をしていた。

母親に覚える違和感

少しだけ母親との「共依存」「過干渉」だと思ったエピソードを書きたい。

ーーー過干渉

私が去年から新しいパートの仕事を始め、少しずつ慣れてきた頃、暑い夏の日だった。
私は用意した水筒を実家に忘れてしまった。(実家に寄ってから仕事に行く予定だった)

「仕方ないな、、自販機で買うか」と思ったのも束の間、受付の人に名前を呼ばれ「お母さんが来てるよ」と言われた。

母親は間違いなく「ちょっと、やばいかも」みたいな顔をしながら、水筒を手渡してきた。私はびっくりしたがお礼を言って仕事に戻った。

後から「なぜ届けにきたのか」と怒りが湧いてきた。どういう怒りかというと、その頃は「いい歳した大人が母親に水筒を忘れて届けてもらうなんて」という恥ずかしさがあったのかもしれない。実際に、その日ペアだった子(19歳!)に苦笑いされてしまったからだ。

母親もなんとなく罰が悪そうな顔をしていたのは、「来るべきではないかも」と心のどこか奥でそう感じていたからだろう。

今振り返ってみると、あの日の私の怒りは「私は水筒を忘れて、水分すらも調達できない未熟な子」というものを無意識に突きつけられたからかもしれない。そんなふうに思った。

過干渉を勉強していると、親が子に過干渉になればなるほど子は無気力になり、自己肯定感が下がるという。
それは、親がなんでも先回りして子の世話を焼くことで、子が失敗する機会をも奪うことと、「あなたは信じられない」「あなたにはできない」というメッセージを無意識に突きつけられるからだそうだ。

・・・ね。過干渉って興味深いでしょう。

ーーー共依存

次に共依存のエピソード。
これは単純解明。

母親が私に愚痴をひたすら言ってくることだ。

こう書くと「そんなことくらい当たり前でしょ」と思うかもしれない。けど、母親が私に愚痴る頻度は高く、それが当たり前のように行われている点に着目したい。

共依存について調べると「親が子に愚痴ること」は、共依存の一種だと書かれていることが多い。

愚痴を言う親と、愚痴を聞く子がセットになって共依存という関係がマッチする。

「愚痴を言う」と言う行為は、相手を変えると、できなくなってくる。例えば、娘にならなんでも愚痴れるが、上司に同じことを言ってください、となると「いやいや無理だから!」となるだろう。

じゃなぜ娘には言えるのか?そこが、境界線だろう。
「娘には何を言っても聞いてもらえる。娘なら受け入れてくれる」と思っているからだ。これは一種の甘えとも言える。

娘は口の掃き溜め係ではないはずだ。でも、境界線を踏み込むことで、「なんでも話していい」「何でも聞いてもらって当然」と言うようにエスカレートしていく。

一方で娘の私は「聞いてあげないとかわいそう」などと思ったりする。
しかし、心理学を勉強する中で「真面目に聞かない」つまり右から左・・と言うスルーを覚えたのだが、それでも「スルーしてあげる」と言う態度を取っていると言うことすら「聞いてあげる」のうちに入ってしまうことに気づいてしまった。

じゃどうしたらいいのかというと、「それ聞きたくない」「私は口の掃き溜めじゃないよ」とはっきり言うか、愚痴を言い始めたとたん「立ち去る」のが効果的だと思う。

「言う」ということは「聞く」人がいてセットなのだから、聞こうとする時点で話される姿勢を作ってしまう。それは自分にも責任があると思う。




お母さんとは分かり合えないね、という言葉の裏にあるもの

私は電話で母親に、「お母さんとは分かり合えないね!」と言った。母親は無言で電話を切った。

怒り心頭だったけど、落ち着いた今改めて考えてみると、「分かり合えない」と言ったってことは「分かり合える」と期待していたんだなということ。

私はまもなく別居も離婚も控えていて、それでいてアルコール依存症と躁鬱の夫と一緒にいることでストレスも溜めていて、そんな中で一杯一杯だったのかもしれない。

どこかに「母親だけには分かってほしい」という期待が込められていた。

母親が「さよならを言いたかった。私はこういう性格なの!」と言ったように自分の気持ちを優先するより、私の「夫と接触してほしくない」という私の気持ちを優先して欲しかった。

分かり合えないなりにコミュニケーションは取れる

今後、母親にどんなふうに対応していけばいいのかしばし悩んだ。

だけど、どれだけ考えても、母親は変わってくれそうにない。分かってくれそうにない。

むしろなぜ「変わってくれる」などと思っていたのだろう?

夫との共依存を手放そうとしている今、母親との関係ももっと手放すことができるはずだ。

分かり合えなくたっていい

変わってもらおうとしない

その代わり、母親の望む通りの人物にだってならなくていい。私は自由なんだ!!

変わらない母親を変えようとしなくていいのだし、
そういう母親にうんざりもしなくていい。

愚痴は聞かなくていい。

職場に水筒届けにきたら「ありがとう」で、「でも次からは自分で買えるからいいよ」でいい。怒る必要はない。

「姉と仲良くして欲しいの!!!」と言われたら、したくないです。と言えばいい。めんどくさかったら、「はいはい」と言えばいい。そして何より、私は姉と仲良くしなくていいってこと。だってそれは私の望みじゃないから。

夫と連絡を取ったら・・・二人でやらせたらいいんだ。もう、私の出る幕じゃないんだ。それでいいんだよな。

もう、お母さんは私の行動を決め付けられない。

私は、お母さんに行動を決め付けられなくていい。

手放していこうよ。私は自由だ。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。