離婚前の別居。。実家には過干渉?気味の母
ようやく具体的に道が見えてきました。
夫と付き合い始めてから幾度となく「変わってるな」と思った点もあったし、
モラハラまがいなこともたくさんあった。
DVこそなかったけど、(手を挙げられたことは本当に1度もない。逆に私からはあり・・・)
アルコール依存症になってからは、精神的に追い詰められた。
それからまもなく躁鬱も発症し、いよいよ一緒に暮らすこと自体が難しくなってくる。
「地獄を見たければ、アルコール依存症のいる家族をみよ」
と言われているくらい、カオスな病気。
それに加えて躁鬱(双極性障害)となると、素人ではどうにもならないくらい。
例え薬などで緩和しても、もう一生治ることもないのだし、そもそも「緩和」するまでの道のりが長すぎる。
躁鬱の人にとって何が転換のトリガー(引き金)になるのか、ストレスや睡眠不足、パートナーの何気ない一言、また、薬の正しい服用はもちろんアルコールやタバコの併用はしないことも推奨。などなど・・・
結局そういうのは、周りがどうこうコントロールできるものではなく、当人が自分と向き合っていかないとほとんど意味がないと感じた。
どうにかしてあげたい気持ちで5年間の結婚生活を送ってきたけど、無理だった。
私が頑張れば頑張るほど、夫は頑張れなくなってしまう。
今は共倒れしないためにも、お互いが離れなくてはならないと思った。
共依存と過干渉にも敏感になった
夫がアルコール依存症になってから、自分が共依存になっていることに気がついた。
案の定、3年前に別居した時は1ヶ月で元に戻った。
そこから必死に共依存について調べた。
でも、それから数年経って今思うのは、結局お互いが離れない限りは共依存は続いていくんだなということ。
なんとかしようと思ってなんとかできるものではないと思う。一番効果的なのは、物理的な距離を取ることだと思う。
そして、過干渉にも敏感になった。
母親の過干渉とコントロール
共依存と過干渉は関連深いと思う。
私の母親は過干渉で、他人の行動を無意識にコントロールする癖があるようで、困っている。
例えば・・・
今回の別居に伴って、
引越しは火曜日にする予定
九州の土地もなんとかしたいな
という2点を母親に言ったところ、
引越しが火曜日だと父親がいないので手伝えないからNG
九州に行くなら今のパート仕事も辞めないとだし、働き方を考えないとね。
というふうに言ってきた。
私は引越しは業者に頼んでする予定だったし、九州に行くにしても今の仕事は在籍させてもらえて、(シフト制なので)別に辞める必要はない。
勝手に父親に引っ越しを頼むことになっているし、仕事も辞めると思われて(決められて?)いる言い方がすごく気になった。
なんで私のことなのに勝手に決めてるわけ?と思っちゃったわけ。
母親の過干渉は今に始まったことではない。
私の弟にもなんだかんだ(頼まれていないのに)世話を焼き、弟がその通りにやらなかったせいで数十万単位の損失が出たことがあった。
それで母親は文句を言ってたけど、そもそも弟は「そうしてくれ」と頼んだわけではない。それなのに、弟は罪悪感を負った。
こういう大きなことだけでなく母親と会話していると、細かいことまでもが「コントロール」されているように思えてくる。
「こうするんでしょ」「ああするんでしょ」的な発言が多く、そうしない、というと「え?なんで?」とか批判ばかり。
思い込みも激しく、自分が「こう!」と思った想像を超える行動を他人がしたとき、動揺したり怒ったりする。
他人がどう行動するかあらかじめ予想していて、それにそぐわない人がいるとパニックになるようだ。
でも結局、夫と私の関係が「離れる」ことでしか解決できないと知った今、
母親との過干渉の関係も「離れる」ことでしか解決できないと思った。
母と娘(息子)の共依存はよくあることで、
世話焼きの母親が何かと全てやってくれるから、子供は自分で選択したり行動することができなくなってくる。
そして母親は「私がいないとダメなのね」と思い込み、子供の世話を焼くことが生き甲斐となって、子供を手放さない。
そして子供も同様に、共依存になる。母親が全てやってくれるから無気力になり、違和感があっても母親から離れることができない。
過干渉・コントロール・共依存から抜け出すためには
過干渉・コントロール・そして共依存。
これから抜け出すには、物理的に「離れる」ことでしか解決しないと思う。
3年前夫がアルコール依存症のピークだった時、母親が我が家に乗り込んで、夫に対して説教しにきたことがあった。
世間から見るとびっくりだろう。
成人して、お嫁に行った娘の夫の家にズカズカ入り込んできて、あろうことか夫に「どうしてお酒飲んじゃうの」なんて説教しにきたのだから・・・・
母親の話はもっと色々深く書けそうなので、また別の記事にしようかなと思う。
でも今思えば、「踏み込む母親」と「踏み込ませる娘」がいないと、共依存は成り立たないもの。
結局、踏み込ませていた自分がいたことも正しい。だって母親に夫のことを相談していたんだから。家に来ることだって断れたはずだ。
これが共依存の怖いところ。お互いが「自分の方が正しい」「自分は被害者だ」と思っておきながら、お互いの縁を切れないのだ。離れられない。どんなに相手にイライラしても悲しくなっても、、、、。
不快な気持ちは嘘じゃない。思っていてもいいんだよ。
共依存について回るのは「経済的」な問題だと思う。
いくら親に過干渉を受けようと、結局、経済力がなくて離れられない子供っていっぱいいると思う。
それを親は盾に取るようにさらに強くコントロールしてくるし、子供は「不快だけど、親がいないとやっていけない自分も悪いのだから、仕方ない」と飲み込んでしまう。
けど私が思ったのは、「不快と思う気持ちにまで嘘をつかなくてもいい」っていうこと。
今までは「経済力がない自分が悪いのだからコントロールされてあたりまえだ」と思ってきたが、そうではなく、
「親が過干渉してくるのは本当に不愉快だ。今は、経済力がないからこの不快な親から離れられないのは仕方ないが、不快なのでいつか離れてやる」
と思うのが
正しいというか、「そう思うべき思考」だと思う。
ついつい、不快な気持ちにまで蓋をしがちだけれど、不快と思ったことは不快でいい。自分が思った感情に嘘なんてないし、蓋もしなくていい。
そして経済力がないという現実的な面はシンプルに認めて、それをどうするかロジカルに考えていけばいいのだと思う。
いろいろ母親のことを悪く書いたが、帰らせてもらえる実家があることはありがたい。
とはいえ、母親からの精神的な「侵略」はさせるつもりもない。そして、させないためにも、メンタルを整え、また、経済的にもしっかり自立していかなければならないだろう。
悪気があって踏み込んだり踏み込まされなりしてないのはお互い百も承知だと思う。だからこそ共依存は怖いものだ。
なぜかズルズルとずぶずぶと、深い沼にハマっていくような感覚。
はじめの一歩・別居まで残りもう少し・・・
夫との話に戻すと・・ 夫は今週、家を出ていく。
この地方からも離れるため(飛行機の距離)、物理的な距離はかなり大きい。
去年の年末から夫が躁鬱の転換がめちゃくちゃになり、今日まで気が気じゃなかった。
過去記事にも書いたけど万引きで捕まって、警察署にまで行った。
友達は心配してくれた。「夫は仕方ないにしろ、妻のあなたにまで前科とかの影響がないといいね」って。
夫をなんとかしようしようと思ってきたけど、なんとかするたびに夫は悪化する一方だし、それと今回気づいたのは、心配になってるのは自分だけじゃないってこと。
「自分ばかり我慢すればいい」はいつか破城するだけでなく、友達も親も心配させて悲しませている。
こんな単純なことが、視野が狭すぎたせいで気が付かなかったようだ・・・。
もう、夫の世話することはやめた。
私にはできません。それでいいんだよ。頑張ったよ自分。
そして夫へ。夫が本当に辛い時、言ってほしい言葉をかけてあげられなかった時、きっとあったはず。それについて、ごめんと言いたい。
私は結局、母親と同じで夫をコントロールしようとしていたのかもしれない。いやきっとそうだった。
夫に良くなってもらいたいという思いは紛れもない事実だけど、それを押し付けることは、本人が願っていない限り「押し付け」以上の何者でもなく、
ただただ困惑するものにしかすぎない。
それに自分が辛い時、本当にかけて欲しい言葉は「辛いんだね」という共感なんじゃないのか?
夫がアルコールで苦しんだ時、そんな言葉かけたことなかった。
私が言った言葉はただひたすら「お酒は体に悪いからやめろ」「これ以上飲んだら離婚する」「私だって辛い。なんでこうなるの。耐えられない」と言った言葉ばかりだった。
今思うと、辛いことがあってお酒で忘れたいから飲むんだよねって。
それなのに、「飲むから依存して辛くなるんだよ」という上から目線のアドバイスもしたりしてた。
もう終わったことだし、言った言葉は取り返しがつかない。でもいつか謝りたい。
だから私はもう、夫から手をひく。
もちろんお互いがお互いに迷惑をかけ合っていたことは事実だと思うし、
なので、夫から手を引くし、夫の迷惑行為から逃げもする、という言い方がしっくりくるかな、なんて思う。
私たちにとって「離れる」とは、もがいて、もがき切って、最後に現れた手段だったように思う。
人生とはある意味孤独なものだ
実際に共依存や過干渉を経て学んだことや、最近は下記の本を読んですごく「ああ〜〜これだこれ」と思っている。
今まで踏み込んだり踏み込ませてきた私が読んでみるとびっくりした。まさにこれが大事なんだよ、と思う。(実践するのは練習がいると思うが)
このタフラブを人間関係で実践すれば、割と悩みは激減するのではないかと思う。
親子関係だけでなく職場や友人関係だって、このタフラブが必要だろう。
踏み込んだり踏み込まれなくなってくると、人はいよいよ孤独になるのだと思う。それは、悲しいことではなく、人間同士が本来そうであるべき姿なのかもしれないと思った。
18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。