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【読書まとめ】「俳優は考える(将棋)のコマである」

平田オリザ著『演劇入門』の備忘録です。

平田さん自身が劇作家なので、劇作家はもちろん読むべき。
でも役者としても「演技とは何か、演劇の中での役者の役割は」という前提が再定義されたとても学びある本でした。
これから演劇を始める戯曲家・役者には必読書!

《完全に主観的》な要点と学びをまとめます。
※引用ボックス内と太字『』内は引用文です。

I. 演劇の主役は役者でなく、劇作家

 役者が舞台の中心だと思ってた。舞台に立って、自分の伝えたいことを聞いてほしい・見てほしい、だから脇役よりも主役になりたい、という漠然の思いがあったのは私だけじゃないはず。
 でも平田さんは「舞台の中心であり真の主役は劇作家です」と気づかせてくれる。

そもそも「演劇」とは:

・自分の妄想を他者に伝える技術
・他者の知覚を疑似体験することができる

大学で政治を学んでいた時は、「知覚を疑似体験させられる」からこそ演劇は政治と同じくらい重要だと思ってた。政治的課題(人種差別、性差別 etc.)は、政治のハードパワー(政策、法律 etc.)と芸術のソフトパワーで少しずつ解決されていくものだと。少し脱線。

そして「演劇」の中でも「現代演劇」(vs. 近代演劇)とは:

・先にテーマがあって、それを表現するために作品を創るのではなく、混沌とした自分の世界観に何らかの形を与えるために表現をする
・世界の形を少しずつ明瞭にしてくれる

となれば、劇作家の役割とは:

普通の人にとっては、どうということのない瞬間、何気ない言葉のやりとりが、どうしても気になって仕方ない、そういった偏屈な人間が劇作家になる。そして、その瞬間、その言葉に、徹底的にこだわることによって、普通の人々も潜在意識の中では実はさまざまな妄想や、悩みや喜びを抱えながら生きているのだということを明らかにしていく

劇作家の思い描いた世界を舞台上で実現するのが演劇であり、故に『現代演劇において、多くの場合、演出家は絶対的な権力を持っている』。

演出家は、嫌いな役者は使わない。そして、演出家が俳優を「気に食わない」と言って使わなかったとしても、それは一般企業で言うような不当解雇にはあたらない。

そっか、最終的に舞台上で視線の的になるという意味では役者が主役だけど、演劇の創造プロセス上は劇作家が主役なんだ、と理解。

では、その上での役者の仕事と醍醐味はどこに位置するのか。

II. 役者の仕事は『コンテクストの微妙なずれを、何らかの形で調整する能力、技術』

 大学ではアメリカでがっつり「メソッド演技」を学んだ経緯がある。メソッド演技とは、自分の過去の体験から感情を呼び起こし、全く体験したことのないことも含め、如何なる状況も演技で表現できる技術だ。いつでも泣ける、というのが分かりやすい例だろう。
 自分の感情を一つの楽器のようにコントロールすることに感銘を受けたし、役者の仕事かつ醍醐味はその楽器を磨き上げることだと思ってた。

 でも、声楽でも「歌が一人で上手く歌える」ようになった後に、「公演に向けてピアニストとすり合わせをする」ところで全く新しいスキル(お互いを「聞く」力、息の使い方など)が必要とされるように、演技にも「自分の楽器を磨き上げる」先に「演出家とのすり合わせ」という全く新しく難しいスキルがある。平田さんはそれを教えてくれた。

俳優は、他人が書いた言葉(=台詞)を、あたかも自分が話すがごとく話さなければならない職業

そう、上記の通り、劇作家の思い描く世界・妄想する世界を実現するのが役者の仕事だとしたら、劇作家の世界を理解し、そこに入っていかないといけない。

役者の仕事とは:

一、自分のコンテクストの範囲を認識すること。
二、目標とするコンテクストの広さの範囲をある程度、明確にすること。
三、目標とするコンテクストの広がりに向けて方法論を吟味し、トレーニングを積むこと。

ここで言う「コンテクスト」とは、自分の普段の言葉遣いや身体の動きのこと。

私はこれまで頑なに英語劇がやりたいと周りに言ってきた中で、「なんか日本語劇はやりたいと思わない、だって、日本語の戯曲って、『かしら』とか『でしょう』とか、自分が使わない文末が多くて、感情移入しにくいんだもん」と言ってきた。

でも、自分のコンテクストに「かしら」「でしょう」が入ってなくても、それを言えるようにしないといけない。それが役者でしょう、そんなんだったらどうやって時代劇を演じるの、って勝手に平田さんにダメ出しされた気分になりました(笑)反省。

III. プロの演出家を役者側から見極めることも大事

稽古の中では必ず劇作家の仮想するコンテクストと役者のコンテクストのすり合わせを行う。

そのために役者は『演出家の戦術、演出意図をよく理解していなければ、あるいは劇作家の作品の構成をよく理解していなければ』いけない。

逆に劇作家も、頑なに「なんで分かってくれないの、私の思い描いている世界はもっとこうなの」と言い張るだけでは不十分。

優れた演出家は、彼の演劇様式によって、劇作家の仮想する言語のコンテクストと俳優の言語のコンテクストの摺り合わせを行う。また、演出家の仮想する身体のコンテクストと、俳優の身体のコンテクストの摺り合わせを行う。そのような行為に、一定の時間をかける者だけが、現代演劇の演出家と呼ぶに値する。

すり合わせの「実験」を俳優と進める中で、役者に問題があったり、戯曲に問題があったり、色々な「問題」に直面する。そして、限られた稽古の時間の中で、「問題」を一つ一つ解決していきながら完成形を見つけていく。
そして:

プロの演出家とアマチュアの決定的な差は、この問題処理の判断のスピードにある。

私は今月パリの演劇学校に通い始めた。演劇学校の先生も、かなり「コーチ」と「演出家」の境界線の仕事であり、「良いコーチ(もしかしたら=)良い演出家」を見極めることも学校での学びを最大化するためには重要☆彡

最後に

学びがあるのはもちろん、視点を変えてくれる本に出会うのは難しい。だからこそおすすめ一冊。やっぱり一番の衝撃的瞬間は「II. 役者の仕事」についての学びかな:

俳優は考える(将棋の)コマである。
現代演劇における俳優の要件とは、その存在の弱さと孤独を知り、同時に俳優とは何を常に問い続け、俳優の誇りとは何かを常に考え続ける存在であることだ。俳優の尊厳と主体性は、そこ以外にはない。

そんな仕事でも、そんな仕事だからこそ、チャレンジングで楽しいと思っちゃう。

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