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年末年始、母を思う

普段、私はあまり遠くにいる父母と話すことがない。
電話もしないし、手紙もメールもほとんどしない。
時々、母から電話がかかってくることがあるけれど、
なぜか母はいつもタイミングが悪くて、
お料理中で脂ギトギトの肉を掴んでいるところだったり、
歌の練習が最高潮に盛り上がっているところだったり、
自転車をこいでレッスンに向かっている最中だったりと、
どうにもスルーしたくなるような時にかかってくることが多いので、
私が母からの電話に出ない確率はとても高いと思う。

上の姉二人は、ちょこちょこ電話で近況を報告しあったりしているようだけど、末っ子の私は一向に連絡もしてこないしょうがない奴だ、と思われていると思う。
その通りかもしれない、ゴメン。

だけど、私は普段生活をしていて、
母のことを思い出すことがまるで無い訳ではない。
思い出すのは大体、私が「あーこれキツいわ~」と思いながら
家事をやっている時。
みんなが寝静まった深夜に、一刻も早く布団に入りたい気持ちを抑えて
明日の朝ごはんのお米を研いでいる時や、
換気扇にこびりついた油汚れを一生懸命ゴシゴシこすっている時、
眠い目をこすりながら息子の給食エプロンにアイロンをかけている時などだ。

それは、私が幼い頃に見ていた母の姿と重なって見えるからだと思う。
あ~、お母さんもこんなことやってたな。大変だったんだな。。って
40歳を過ぎて初めて気づくこともまだまだ多い。

そして、私が大学生になり、一人暮らしを始めてから、
隣の県に住む私の家へ、母は時々泊まりに来たけど、
そんな時もいつも家中のお掃除をしてくれた。
私がどうしたらいいのか分からなくて放置しているものなどを、
手際よく片付けてくれた。
枯れ果てた植物の残骸となった植木鉢とか、
数年前に賞味期限がきれているビン入りの調味料とか、
そういうものの処理がすごく面倒臭いっていうことは
分かってくれる人もきっと多いと思う(笑)

そんな風にして、母の思い出は家事やお掃除と結びついているので、
自分が母となり、家族ができた今となっても
年末年始に大掃除をしたり、お雑煮を作ったりしていると、
幾度となく母を思い出すことになるのだ。
母の姿だけでなく、三人姉妹で分担していた大掃除のこととか、
お正月に親戚のおじさんがお年玉をくれた時のこととか、
特に特別とは思えないようなことでも、
そんな風にしっかり記憶に残っているくらいだから
子どもの頃の私達にとって年末年始は、
特別なお祭りのようなものだったんだろうと思う。

それに比べて、現在の私が母を務める我が家族は3人しかいないし、
何部屋もあるような大きな家に住んでいる訳ではないので、
大晦日やお正月といっても静かなものだ。親戚がわーっと集まることもない。
現在のところ、
息子の年末年始の思い出はどのように形成されているんだろう?

賑やかなお正月では無いけれど、しめ縄を飾ったり、年末の買い出しをしたり
大掃除、年賀状、お雑煮、初詣、お年玉、、、日本の文化的なものは
せめてちゃんと伝えてあげたいな、と思うけれどどうだろう?

とりあえず、今年の大晦日は徹夜で家族3人麻雀だった。
これが我が家の正月として息子に受け継がれていくんだろうか・・・・。

ありがとうございます!創作の力と糧に!